生ける屍のたから物
旅 35日目
今朝、わたし達と川久保家の皆さんは、ここで一旦お別れして、それぞれお互いの道に踏み出していた。
そして別れの際に、おめめを真っ赤にした瞳ちゃんから、一枚の手紙をもらった。それを今から書き記そうと思う。
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キョーコお姉さん、エリカお姉さん、たくさんありがとうございました。(お姉さんたちの漢字が分からないから、カタカナでごめんなさい)
正直に書きます。
わたしにはキョーコさんのお話は難しくて、よく分からないことが沢山ありました。
それでも時々、わたしにも分かるところがありました。
だけどその分かり方は、むかし学校でしていた、おぼえるお勉強とはちがって、おなかの中に、ズンとくる分かり方でした。
お兄ちゃんが今も人間として生きていれば、今年で21さいになります。
お父さんは50さい、お母さんは51さいになります。
みんな、わたしより長い時間を生きているなんて、そんなのは当たり前なのですけど、わたしには、そんな当たり前なことが、よく分かっていないことが、よく分かりました。
それに、みんなが年れいなんか、かんけいなくて「生きたい」と強く思っていることも、わたしにはよく分かりました。
キョーコさんの日記には「生存欲」という言葉で、そのことが書いていましたけれど、わたしはまさか「生きたい」という気持ちが悪いことだなんて、わたしは今まで思ってもみませんでした。
でも、よく、よく、思い出してみると、わたしよりも長く生きてきた人たちが「生きたい」と思って、たくさんたくさん、ヒドイことをしていたことを思い出しました。
だけど、わたしやお父さんやお母さんも「生きたい」と思って、やっぱりヒドイことをしていた事も思い出しました。
ゾンビも、人間も、お父さんも、お母さんも、わたしも、みんなが間ちがっていると思っていましたけど、わたしには、何がどうなって間ちがっているのか、今までは、ぜんぜん分かりませんでした。
でも、キョーコさんのおかげで、お父さんとお母さんは、何がどう間ちがっているのか、やっと、少しだけ分かったと言って、泣きながら(ナイショにしてください)よろんでいました。
わたしはまだ、うまく言えませんけれど、少しは分かりそうな気持ちが、ズシンとしています。
でも、一番うれしいのは、お父さんとお母さんが、また、仲良くなったことが一番うれしいです。
わたしは、みんなが仲良くするのが、一番の、たから物だと分かりました。
これだけはゼッタイに、キョーコさんのおかげだと、わたしにだって分かります。
だから、本当にありがとうございます。
それと、エリカお姉さんにも、たくさん教えてくれてありがとうございます。
この紙に書いちゃうと、キョーコお姉さんにも分かっちゃうから書かないですけど、ほんとにありがとうございます。
わたしはまだアキラくんとはまだ会っていませんけど、きっといい人だと思います。
だからわたしも、キョーコお姉さんとエリカお姉さんみたいな、仲良しになれるように、アキラくんとお友達になろうと思います。
わたしまた、お姉さんたちとゼッタイに会いたいです。
川久保 瞳より。
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一文字、一文字を、丁寧に描き、一所懸命な文字で敷き詰められた瞳ちゃんのお手紙には、何度も何度も書き直した跡が、沢山沢山残っていて、それを見ていると、わたしの喉の奥がヒリヒリと熱くなってしまう。
エリカさんの想いもまた同じだったようで、このお手紙は、問答無用でわたし達の大切な宝物となった。
さて、それはともかくとして。
──エリカお姉さん、とやらは一体「な に を」瞳ちゃんに教え込んだものやら、これは後で詳しく追求しなければなりませんが、まあ、いいか。
結局わたし達は、このまま京都や大阪を真っ直ぐに通過することは諦めて、一旦高速道路を降りて、琵琶湖沿いに少し北上しながら比叡山を巻き込むような形で大回りする、迂回ルートを選択した。
なんだけど……わたしの方向オンチぶりには、筋金が100本くらい入っているだけに、ちょっと……いや、かなり不安だった。
「キョーコさんさあ、酷い道って書いて酷道とか、険しい道って書いて険道っての聞いたことある?」
「なんとなく聞き覚えはあるけど、それって……」
「そう、これから山沿いに行くのは、多分、そんな酷道だな。アタイはそーゆーの結構好きだからさ、ちょっと楽しみだ」
エリカお姉さんのざっくりした説明によると、国道の名を冠していながらに路面が悪かったり、幅が狭かったりと、自動車がまともに走れない道をからかって、面白がって、いつの間にか広まったダジャレ系の造語だそうだ。
それでも一応は自動車道路な訳だから、わたし達や、サマーちゃんが引くカンタカ号なら、とくに問題ないだろうとの事だ。
まあ、そう言う事なら確かに問題なさそうだし、わたしもエリカさんに釣られて、まだ見ぬ酷道が少し楽しみになっていた。
だけど今までの高速道路とは違って、下道に入れば、その近隣の住宅街などで生き延びている生存者や、仮称ゾンビ達が今も居るものとして、あらかじめ覚悟しておいた方が懸命だろう。
そんな話をしながらわたし達は、今日は何事もなく、目的のサービスエリアにまで到着していた。
という訳で、明日からは一般道路に降りる事になる。
生きとし生けるものが真に幸せでありますように。




