表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
生ける屍達についての日記帖 : Data of the living dead   作者: 230
生ける屍達の日記帖 二冊目
75/90

生ける屍のおとぎ話



旅 34日目(実質33日目分)




 瞳ちゃんのご用とは、お月様関係によるバイタルサインのお悩みだった。とりあえずわたしの手持ちの半分を差し上げて、事なきを得る。


 さて、続きね。




 「自分の手で家族を殺した」


 「こうした確固たる現実を前にしても、わたしは、あの時ああすれば良かった、こうしたら良かった、いや、あの時あれがあれば、いやいや、これがなければ……と、おそらくは今の皆さんと同じように、何度も何度も仮定の上に仮定を重ねていました」


 「だけどそれは、何の助けにも、何の救いにもなりませんでした。それはただただ苦しみが増すばかりの自傷行為に等しいものでした」


 「そしてわたしは堀師の日記を知ることになって、実は家族を殺さなくても良かったという事実を突きつけられました」


 「今更そんな事を知らされても、それを素直に受け入れる事など出来ませんでした。そしてわたしは迷い、悩み、怒りに震えながら考え続けた」




 「……仮定、そして可能性」


 「堀師の日記を何度も読み返したわたしは、いつしか、この可能性という概念こそが最も悪質な妄想だと悟りました」




 「ところで、少し前に記した〈縁起〉のお話を、ある程度はご理解頂けたものと期待して、もう少しお話を続けさせて頂きます」


 「現実や事実から目を背けた、自分に都合のいい単なる思いつきの羅列をも、わたし達は可能性と呼びます。或いは希望、という言葉に置き換えてもいいかもしれません」


 「それらは縁起という蓋然性(がいぜんせい)を露骨に無視した、あまりにも愚かで実現不可能な思いつきに過ぎないものまでも、わたしは可能性だと思い込んでいました」


 「本来の可能性とは、今、ここで、確実に実行出来るけれど、その出来ることが複数存在していて、それを同時には実行出来ない状況において、あえて “選ばなかった行為” のみを可能性と呼ぶべきだと、わたしは考え直しました」


 「あの時にああすれば良かった、こうしたら良かったという可能性は、冷静に考えれば、当時の自分にはどう足掻(あが)いても実行不可能だったことが明白でした」


 「皆様はどうでしょうか。クックッチャという、何度も繰り返し思い出しては怒りに苦しみ、ああすれば、こうすれば、という心に湧き上がる、後付けの考えが、果たして本当に正当な可能性だったのか、それとも否か、一度、とことんご自分の心を見極めてみることを提案致したく思います」




 ここで少しの間を置いて御家族の様子を観ると、ある程度の理解は得られたような所作が見られて、わたしは話を続けた。




 「もう一つお話があります。わたしは倫太郎さんを直接には存じ上げませんけれど、もし彼が今も生きているなら、もう立派に巣立ってから三年も経った、一人の責任のある大人だと考えます」


 「わたしに言えることは以上になりますが、何か質問などありますでしょうか」




 和人氏は黙って瞑目していた。


 圭子さんは涙していた。


 瞳ちゃんはその目を大きく見開き、今にも飛びかかりそうな目つきでわたしを睨みながら、その衝動を、必死に抑えているようにみえた。


 やがて和人氏が口を開いた。


 「京子さん、ひとつ質問をいいだろうか」


 「はい。もちろんお伺いします」


 「十分にあり得る可能性として考えるなら、今、倫太郎は生きているかも知れない。死んでいるかも知れない。そして仮称ゾンビ化して生きているのかも知れない。ここまでは、考え方として大丈夫だろうか。何か妄想に犯されていないだろうか」


 「はい。とても理性的な考え方だと思います」


 「そうか、ありがとう。では……次に、堀氏の仮説によると、第一世代発症直後であれば、もう一度、人間としてやり直せる可能性が十分にありそうな事は理解したが、第一、第二に関わらず、仮称ゾンビと化して三年間を過ごした場合、堀氏のやり方はどこまで通用すると、今の京子さんはお考えですか」


 「その問いにお答えする以前に、わたしには信頼できるデータが圧倒的に足りません。そうである以上、この問いは本来わたしにはお答え出来ない性質のものですので、わたしの手で確かめられた事実のみを、答えに代えさせて頂きます」


 「わたしの日記の初期部分にも記していますが、視覚を完全に塞いだ途端に仮称ゾンビの身体は、間違いなく脱力していました」


 「う、むむむ……」


 「和人さん。ひとつよろしいでしょうか」


 「む、……おお、もちろんです。お願いします」


 「和人さんのお気持ちはお察ししますけれど、今のご質問は大きく飛躍し過ぎた妄想です」


 「わたし達は何をするにしても、自分の手の届く範囲でしか物事を成し得ません」


 「以前のこの国では、お金や権力を使って個人の手では届かない遥か遠くの地でも大事を成せたように錯覚していますが、それもまた、細かく、詳しく、紐解けばやはり、個人の手の届く範囲が連携しているに過ぎないことが分かります」


 「そして今の世の中では、お金も権力もかつてほどの影響力は持ち得ません。それは同時に、自分の行動の決定権が完全に自分にのみ帰結するという事でもあるでしょう」


 「だからこそ慎重に、そして確実に出来る、次の一手、次の一歩をひとつひとつ成功させることが先々の成功に繋がる唯一の道となり得ます」


 「遠大な目的に固執すると、わたし達はどうしても眼前の事が愚かになり、やがては目的と手段が転倒する事に、必ずなります。それは科学技術の発展が結果的にもたらした、核ミサイルのようなものです」


 「そうではなく、ただ、この瞬間瞬間にわたし達自身が、本当に幸せであれるように最善を尽くすことが本筋なのです」




 「これは少し意地悪な妄想の質問返しですけれど、例えばもし、倫太郎さんがあなた方ご家族を助ける為に、沢山の犠牲を払ってこちらに向かっているとしたら、どうでしょうか」


 「自分の身を省みず、ただひたすらに皆様の元へ辿り着く為に、沢山の命のやり取りを繰り返していたとしたら、どうでしょうか」


 「多大な犠牲を払ったその先に、確かな幸せなどが、本当に、あるのでしょうか」




 「ナイですっっ!!」




 思わず、といった勢いで瞳ちゃんが大声をあげた。


 「うあああっ! す、すみません!!」


 「大丈夫ですよ、瞳ちゃん。でもその通りです。犠牲を払わねば得られない本物の幸せなど、絶対にあり得ません」


 「それでもまだ、場合によっては、善意の犠牲が必要だというのでしょうか」


 「例えば自己犠牲とは、一見すると美しいおとぎ話ではありますけれど、それは、そうされた側の人間にしてみれば、一種の呪いでしかありません」


 「自分の為に誰かが犠牲になるなど、そんな事は誰にとってもただの不幸でしかないのです。ましてやそんな犠牲の上に成り立つ本当の幸せなど、決してありません」




 「そしてこれは『順番』の問題でもあるのです」


 「家屋の建築に例えると、先ずはしっかりとした土台を最初に固めなければ、しっかりとした柱を立てることも叶わず、ましてや立派な屋根を乗せることなど出来ません」


 「まずは土台である自分自身の幸せさえも達成出来てもいないのに、どうすれば他人を幸せになど出来るのというのでしょうか。それでも出来るというのなら、それは、土台も柱もない空中に、立派な屋根を浮かべることさえ出来るということになります」


 「ですから、わたしとしては皆様がご自身の幸せを、確実に達成出来ることを第一に考えて頂ければと、思っております」




 「大変差し出がましいことを申し上げましたけれど、以上がわたしの意見になります」




 長い静寂の後、川久保家の皆さんから、心を振り絞るような謝辞を受けたわたしは、皆さんがそれぞれご自分の心を見つめているのを邪魔しないように、この場を辞した。


 そしてわたしの後ろにはエリカさんが控えていた事は分かっていたけれど、エリカさんの隣りにはニャア、そしてサマーちゃんやカンちゃんまでもが、そこでじっとして居た。


 それからわたし達も瞑想に没入した。





 生きとし生けるものが真に幸せでありますように。




※参考文献:アルボムッレ・スマナサーラ著/的中する生き方 初期仏教法話10/サンガ新書

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ