七話 生ける屍の美辞麗句
20××年 6/23 雨
今日はかなりヤバい感じの生存者達を発見した。
これは勿論ユキのお手柄だ。
「(トマトを水に浸けた時、甘いトマトは水に沈むんだ!へー)」などとノンキに野菜の本を読んでいると、急にユキが鼻面を押しつけてきた。
ユキを撫でてやろうと手を伸ばすと、その手は無情にも尻尾で払われ、まるで「早く!ついて来て!」と、言わんばかりに窓の前へユキは進む。
外に人か?仮称ゾンビか?……どちらにせよ図書館の中に居ながらよくも分かるものだと半ば呆れつつ……ユキの能力にいつも甘え過ぎている自分の心を引き締めながら、俺も窓の方に向かった。
その窓は磨りガラスの入ったルーパー窓で、少しだけ開いてはいるけれど、これでよくもまあ分かるものだ……と、しつこく感心しながらユキ頭を軽く撫でる。
だがこの程度の隙間からでは人間には何も知覚出来ないので俺は一旦屋上に上がった。ユキまで濡れる事は無い。出入り口の手前でユキはお座りだ。
屋上にて、身をかがめて室外機の脇からそっと顔を出す。目だけを動かすように意識しながら道路を伺うと…………いた。
こうしてずぶ濡れになりながらの監視が始まった。
道路の隅っこを歩いていているのは二十代前半に見える男が二人。
それぞれがバッグを背にし、手にはバットやバールのようなモノを持って武装していた。そして二人ともが身体にケガを負っているような歩き方をしており、しきりに後方を気にしていた。
やがて彼らは何かを言い争っているような素振りを見せながらも、大人しく図書館の前を通り過ぎて行く。
やがて彼らが見えなくなってもしばらくの間は周辺を見張る。……さみぃけど、ガマンガマン。
約三十分後に一旦屋内に戻りタオルで身体を拭い見張りを続行する為に急いで着替えた。昨日の洗濯物が乾いてくれていて助かる。
ついでに万ヶ一の逃走に備えて手早く荷物をまとめたら、今度は荷物を抱えて最上階にある読書室に入った。先ほどの彼らがしきりに警戒していた後方方面をしっかり見渡せる窓から見張りを再開した。
その間、ユキにはご褒美としてちょっと高級な缶詰めを一つ献上して奉る。
カミサマ、ホトケサマ、ユキサマサマー、アーメン、ナムナム、リンピョウカイトウシャジンレツザイゼン、オンアビラウンケンソハカー、ベントラベントラスペースピーポー(以上真顔)。
……っと、聖なる祈り終了(笑)。
そうして見張りを再会してたったの5分も経たない内に、さっき二人が向かって行ったのと同じ方角から、今度は別の男が二名図書館に向かってやって来た。
一人の手には拳銃らしきものが握られている。もう一人の腰にも拳銃のホルスターらしきものが吊るされていた。
今度の彼らは先ほどの二人のように最低限の緊張感すら保ってはいなかった。
雨の中で何がそんなに楽しいのかヒャッハーしながら歩いているそのバカそうな二人の肩には……先ほどの二名が背負っていたバッグと同じに見えるバックを背負っていることを確認。
先の二人の生死は不明。しかし問題なのはこの二名だ。
……バカに鉄砲かよ。危険度が高過ぎる。
この拳銃持ちの二人もまた図書館前を何事もなく通り過ぎ……それても俺は監視を継続した。
二人の姿が見えなくなって小一時間程経った頃……遠くから微かに銃声のような音が聞こえた気がした。
さて、今日見たままを順序立て素直に考えるならば、今回発見した二名と二名で計四名の男達は、おそらく同じグループに属していたのだろう。
何らかの事情で先発の二名がグループを離脱。それを後発の二名が……おそらくは待ち伏せして処理したものと思われる。
あのバッグの中身の大半は、おそらく数日分の水と食料だろう。流石にお金や貴金属類という前時代のお宝をわざわざ持ち運ぶロマンティストはもういない筈だ。
最早かつてのお宝で、今なお人々が価値を認めるモノがあるとすれば…………やはり、武器弾薬か。
とは言え、先の二人の装備はバットとバールのようなモノという頼りないものだった。もし彼らが拳銃を持っていたならば、果たしてバックに入れたまま背負ったりするだろうか。それはない。
まあどうせバッグの中身など今さら確認のしようも無いし、それはもういい。
それよりも、もう一つ厄介なのは拳銃持ちの二人組が待ち伏せを簡単に成功させていたかもしれない……という可能性が高い点だ。これは無視出来ない。
あのバカ丸出しな二人のイメージからは、この雨の中で強靭な忍耐力を必要とする「待ち伏せ」を成功させるだけの屈強な精神的な実力があるとは、どうしても思えないのだ。……何かを見落としているのだろうか。
ともあれ確定している事実としては、最低でも彼ら二人は銃器を所持し、この一年を生き延びている。この二人が属する「グループ」があるのならば、かなり狡猾で危険な集団である可能性が超高い。
……マズい。
「人は一人では生きて行けない」
これは私見だが、そういう正しくも美しく思える考え方を支持する人はとても多い。だがこれは実際のところグループを管理する側にとってのみ都合のいい只のおためごかしな場合が多すぎると、俺は考えている。
そもそも「一人で生きる」とはどういう事なのか?。
それは単に自分の面倒は自分でみるという当たり前の事でしかない筈だ。そんな当たり前の事が出来ないとは果たして一体どういうつもりなのか?。
ハッキリと言えば「自分のことを他人にやらせる」という人間の強欲さを誤魔化すための体のいい言い訳にしか俺には聞こえない。
要するに金や権力や暴力、或いは愛などという甘いエサをちらつかせて、自分の厄介な面倒事を「他人に押しつける」 ための狡猾な詐欺の手口に他ならない場合が多すぎるのだ。
従って「人は一人では生きて行けない」という美辞麗句の実態は、俺達人間のみっともない依存心を浅ましくも見苦しく正当化する為の戯言でしかないと俺は考えている。
この場合、どこまで行っても最終的には不幸しか生まれない。
例え銃という圧倒的な暴力を手中にして、大勢の他人を服従させたとしても、そんな奴は決して幸せになどなれない。
暴力は怒りしか生まない。
怒りを持ったまま幸せを感じることは出来ない。
怒りを向けられて幸せを感じることは出来ない。
もしも暴力で人を従えるなら、結局は積み重なった全ての怒りによって更なる不幸の深みに沈み込むことしか有り得はしない。
だから俺は暴力は嫌いだし、殺人を目的に作られた武器などは絶対に持たないと決めている。
これを暴力以外の金や権力や愛に置き換えたところで「一人では生きて行けない人間」など、結局のところ不幸にしかなれない。
ならば正解は。
「自分一人でも、しっかりと生きて行く」……ことだと俺は考える。
勿論、最初から一人で生きて行ける人などはいないだろう。それに小さな子供やお年寄り、身体が不自由な人には酷過ぎる言い分だ。
しかし、例え今は自分の面倒すらまともにみれない境遇に在ったとしても、しっかりとした自立心を育てることは、何時でも何処でも誰にでも心ひとつで出来うる話だ。
そういうしっかりとした芯を心に持つ人間ばかりのグループならば、本当の意味でお互いに助け合い、こんな仮称ゾンビだらけの世の中でも結構幸せに生きることは可能だと俺は本気で考えている。
しかし実際はそんな風にしっかりしている人はとても少ない。
泣きたくなる程に少ない。本当に少ない。超少ない。絶滅危惧種としてレッドデータブックに記載しなければならない程に少ない。
それにこんな偉そうな事を言っている俺とてまだまだ甘っちょろい青二才だ。
だから先ずは自分自身が一人でしっかり生きれるように、先の震災以降、俺は自給自足の生活を始めていた。
そして現在、仮称ゾンビで溢れた今の世界であろうとも「一人では生きて行けない」と、考える人達とは積極的に関わる気はない。
ともあれ、本日この図書館の近くには銃器を所有する「グループ」が存在することが明らかになった。
明日は雨が降ろうが槍が降ろうがこの図書館から撤退する。
一年前の話はまた今度落ち着いてからだな。