生ける屍の弱肉強食
旅 28日目
アキラくんと別れて3日が過ぎた。
この3日間は生存者とも仮称ゾンビ達とも出会っていない。
そして旅を始めてからもう18日が経った訳だけど、さっき地図を見て今までに進んだ距離を調べてみたら、たったの40kmくらいしか進んでいない事が分かった。
もし今でも自動車があれば、せいぜい1時間ほどで移動出来る距離だけど、今さらそれを言っても仕方ないよね。
それでもまだ十分に使えそうな車もちょくちょく見かけてるけど、残念ながらガソリンがもう腐ってる。世紀末ひゃはー、は無理そうだ。
とにかくこの3日間でとくに大きな事件には出会わなかったけど、落ち着いて日記を書ける時間と場所がうまくとれなかった。
一昨日、アキラくんと別れてから最初に到達したサービスエリアは、とても酷い有り様だった。
建物の入口付近を塞ぐようにものすごい数の自動車がバリケードのように囲っていて、そう易々とは近づけなかった。
わたしとエリカさんは自動車の上を歩いて建物に近寄り、その中を覗いてみて……最初は、床に白い玉石が敷かれいるのかと思ったけれど、それは違った。
ここで一体何があったのかを知る由もないけれど、表の自動車の数に見合うだけの大量の人骨が隙間なくビッシリと床を埋め尽くしていた。
ザッと見たところ、店内には焼けた様子もなく、争った形跡もない。
かなり広い店内だけど、それ以上に足の踏み場もない程の人々がここに居てその全員がここに座して、死を受け入れたようにも見える光景だった。
集団自殺? かとも思ったけれど、これだけの数の人間が一カ所に固まって皆が大人しく自ら死を選んだとは到底思えない。
だけど、それはこれ以上考えても詮無いこと……とは言え、やはり疑問だった。
わたし達は一応使えそうな物資がないか一通り探索してみたが、特にめぼしい物は何もなかった。
この日は店内で一夜を過ごす気持ちにはさすがになれず、わたし達は大きなトラックの荷台で休むことにした。
満天の星空は恐ろしいまでに煌めいていて、沢山の流れ星が夜空を駆け抜けていた。
翌日(昨日)。
この日わたし達はニャアが獲物を狩るところを初めて目撃した。
ニャアが本当にユキヒョウだとすると、基本的に野生のユキヒョウは夜行性だ、と図鑑には記されている。
そうだとしてもニャアはわたし達の日中の移動に、さして文句もなさそうに付き合ってくれていた。
だけど、そんなニャアが何時どこで食事をしているのかはこの時までわたし達は把握しておらず、今までのところはちょっとしたミステリーだった。
夜明け前、朝の冷え込みに思わず目を醒ますと、トラックのキャビンの上に立つニャアが、背中を丸めながら地表に動く一点を目で追っていた。
そして、ニャアのしなやかな身体が、薄明の空にひらりと舞い上がり、わたしの視界からかき消えた。
この時エリカさんも実は起きて見ていたようで、わたし達は同時に立ち上がり、荷台の端に寄ってニャアを探すと、思ったよりも遠いところにニャアはいた。
そしてさっき仕留めたらしい獲物を咥えて、わたし達の方に振り向いていた。
そんなニャアの目の奥には、なにか少しだけ、悲しそうな色を湛えているように、わたしは感じていた。
わたし達はそんなニャアに気を使わせないよう荷台に座り込み、ニャアの視界から姿を隠した。
「そう言えば前に鹿を仕留めた時も、やっぱり早朝だったわね」
「多分、深夜から夜明け前の時間が、ニャアの狩りと食事の時間なんだろーな」
そんな事を話ながらわたし達も火を起こし、朝食の支度をはじめた。
「(肉食動物ほど哀れな生きものはいない)」
この時わたしは、そう小さく悟っていた。
生きとし生けるものは皆、何かを食べなければ生きては行けない。
だから、草食動物や雑食動物は決して弱者だという訳ではなく、まだ恵まれているのだ。
少なくとも彼ら草食動物や雑食動物は他の生きものの命を奪わなくとも生きて行けるのだから、それは罪の少ない生き方だから、それは少しだけまだマシな生き方なんだ。
だけど、肉食動物は他の生きものを喰い殺さなければ生きては行けない。それ以外の生き方は許されない。
肉でしか栄養を補えない以上、これは避けようのない因縁だ。
どんな生きものも、殺されることを自ら望むことはない。
自分を喰い殺そうとするものがそこにいれば、そこから逃げるし、遠ざかる。当然だ。
だからこそニャアはいつも孤独だった。
しかもこの島国にはニャアの同族の仲間すら、そもそも居ないのだ。
それはある意味において、カンちゃんやサマーちゃんもまた同じく孤独なのだ。
だけど孤独とは決して悪いことではない。
むしろいいことですらある。
特にわたし達のように、個人としての完成である解脱を目指す人間にとって孤独とは、必要不可欠な前提条件でもある。
孤独を安らげるだけの「個」を確立し、その上で、依存もなく、束縛もなく、ただ朋として歩める者だけが、わたしの本当の仲間だ。
だからニャアは……これ以上は上手く言葉にならないけど…………だからこそ。
今、ニャアはわたし達と共に歩み、自立した一個の仲間として、自らが「(一緒に行きたい)」という意志を持って、わたし達と近しくしているのだと、わたしは悟った。
わたし達日本人がよく言う「弱肉強食」なんて、そんなものは、薄汚い泥棒や詐欺師達が、自分たちの悪行を正当化するために流布した風説、つまり詭弁に過ぎない。
強食者の実態とは、弱肉に忌まれ、疎まれ、嫌われ、蔑まれ、それでも弱肉に依存せざるを得ず、生き血を啜り、生肉を屠るしか出来ない、哀れな生きものなのだ。
この時わたし達は改めてニャアもまたわたし達の大切な仲間なんだと、深く、心に、思い知ることとなった。
そして今日。
「アキラ、弟を見つけられるかなぁ」
「そうね、見つかるといいわね」
かれこれもうこの3日で何度も交わした同じやりとりを繰り返していると、次のサービスエリアが見えてきた。
だけどここは、なんと言うか……ひとつ前のサービスエリアも大概酷かったけれど、それとは比べものにならないくらいに凄惨な廃墟と化していた。
一見して、大規模な戦争が残した破壊の跡があっちこっちに施されていた。
壁に空いた大穴付近に散らばる瓦礫の散り方をよく見ると、外側から何らかの強打が実行されたらしい痕跡が見て取れる。
そして駐車場の一角には自衛隊が使うような車両が2、3台固まっていて、男の子が好きそうなロケットランチャー(使用済み)のようなモノもそこらに転がっていた。
どうやら、かなり以前にここで激しい戦闘か虐殺があったことは間違いない。
しばらく歩き回ってあれこれ観察していると、ちょっと懐かしい感じのする車がわたしの目を引いた。
軽トラサイズのボデーに大きなタンクを積んでいるガス関係の配給車だ。
何気なく運転席を覗いて見ると、ダッシュボードにはいろいろ描き込まれた図面のような紙が挟んであった。
それを手にして見ると、図面の角に一つ前のサービスエリアの名称が記されていた。
瞬間、わたしの背中に怖気がはしる。
「(!!……毒ガステロ、かっ)」
今現在、この車のタンクにどんなモノが詰まっているのか、それは分からないけれど、もしかしたら当時この車は何らかの毒ガスを積んでいて、それをひとつ前のサービスエリアに撒いたのではないかという、如何にもありそうな妄想が閃いていた。
だとすれば、この自衛隊関係の車両に乗って来た人々とは、圧倒的な火力を携えてここに報復しに来た可能性が高いのでは、と更に妄想した。
斯くして悪因悪果がここに窮まったようだという思いを、わたしはサティした。
堀師の日記の序文を思い出す。
「(人類はついに、直接的な『共食い』をはじめた)」
そう、そして、わたし達は輪廻転生を、人として、又は獣として、或いは虫として、何度も何度も、生死を繰り返し、繰り返し、更なる地獄を延々と繰り返し続けている。
出来得ることなら全人類、いや、生きとし生けるものの全てが真の平和を実現するように解脱を志して欲しいと、わたしは思った。そう思わずにいられなかった。
だけど、そんなわたしのそんな思いは、甘っちょろく、現実を無視した奇麗事や理想論でしかない。
自分自身が未だに実現出来ていない理想を他者に説くことなど、それこそ出来の悪い詐欺師のすることだ。わたしは、そう、自分を戒めた。
わたしが真に幸せでありますように。
生きとし生けるものが真に幸せでありますように。




