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生ける屍達についての日記帖 : Data of the living dead   作者: 230
生ける屍達の日記帖 二冊目
67/90

生ける屍の性教育2




旅 25日目




 「じゃあ、性教育の2時限目をこれからはじめる。着席!」




 今日も朝からエリカ鬼軍曹は絶好調だった。


 鉄は熱い内に打てとばかりに正座するアキラくんの前に大きく立ちはだかり、彼女はありがたい教えを垂れ始めた。




 「ブッダの教えによる、欲望って言葉の定義だけど、アキラ分かるか」


 「はい、必要十分を越えてもっともっと欲しがることです」


 「うん、そうだ。必要ってのは束縛とほぼ同義だ。だから束縛なんか少なねーほうがいいに決まっている」


 「それに近いことを父ちゃんもよく言ってました。便利さとは横着者が横着するための詭弁だ、って」


 「やっぱアキラの父ちゃんはすげーな。薄々そーだと分かってても、中々それを言える人はいねーし。ましてやそれを実践出来る人はもっと少ねえ。アタイのじいちゃんも、それはよく言ってた」


 「エリカ先輩のおじいちゃんですか、きっと凄い人だったんでしょうね」


 「お、あんがとよ。じゃあ、こっからはもう少し実際的な話をする」


 「はい」


 「欲の厄介さってのは、ほしいほしいほしい、って欲しがることによる苦しみが一番目立つんだけど、それは妄想による“まやかし”の苦しみだ、ってところなん──」


 「えっ、ええーっ?  あ……すいません。でも苦しいのは本当に苦しいんですよね。それが、まやかしなんですか」


 「ああ、まやかしだ。だってどんなに欲しがって苦しんだところで、それでホントに死ぬヤツはいねーだろ」


 「ああーっ!! 確かに! 確かにそうだ。そりゃあ欲しがる苦しみで心を病んで死にかける人はいるでしょうけど、でも、それは! 風邪をひいておとなしく養生をせずに、無理を重ねて不注意から事故死するような、それくらい別の話なんですよね!」


 「そそ、正解。だって必要なもんはもう十分あるワケだからな。それでも死ぬなんてなあ、アホかって話だ」


 「はあー、なるほど、いや凄いです!」


 「おう、でもこんなのはまだ序の口だ。気を抜くな。アキラもアタイもキョーコさんだって、まだまだ解脱には程遠いんだからなー、その辺ヨロシク」


 「ハイッ!!」


 「うんうん、そんでな、このまやかしが最も顕著に(あらわ)れる欲が、性欲なんだな」


 「あー、確かに。セックスしないから死んだなんて、それは有り得ないですからね」


 「おおー、やるねぇ、またまた正解。そうなんだよな、男女共にヤリてーって衝動は確かに強ええんだけど、そんなもん実際の生死には全然関係ねーってのが性欲の本質だ」


 「けど、アキラ、その性欲に振り回されてヤリ過ぎれば、男の場合ホントに死ぬことが結構ある。だけど女が欲望のままにヤリ過ぎて死ぬなんてこたー、ほとんどねえ」


 「あ、なるほど……ありがとうございます! もちろんボクはまだまだですけど、このお話を聞いていなかったら、本当に危なかったことが分かります」


 「よかったな。(ヤリたい)してる、なんて感情で物事を考えると前提からして間違えるからな。それをよく覚えておけ」




 「ところでさ、人間は感情の生き物だ、とかよく言うだろ。アキラはそれはどう思う」


 「むむむ……そう、ですね、ブッダの教えに基ずくと、“人間”って人類全てをそうだと一括りにする時点で、もう間違えていると思います」


 「そうだ。感情に抗う(すべ)を知らない人、感情に流される怠惰な生き方を肯定的に誤魔化そうとするタイプの人が、こう言うことを言いたがる」


 「まあ、ちょっと前のアタイもそうだったから、あんま偉そーなことは言えねーけどな」


 「エリカ先輩、それじゃあボクはもっと立場がないです。あははは」


 「ハハハ、まあしゃーねーよな。で、人間に感情があるこたー間違いねーけどよ、それだけが人間の全てみたいに言いきるのは、もう詐欺だ」


 「欲は必要以上に際限なく欲しがるから苦しい。だけど、必要以上に欲しがれるから、また、“楽しい”、なんて屁理屈を成り立たせるものが欲という感情のもたらす、狂気だ」


 「と、言うことは……感情もまた本質的には狂気……と、いうことですか?」


 「それは自分の心で確かめろ。アタイも最近、自分の心を瞑想して、瞑想して、やっと確かめられたことだ。これは大事な事だ」


 「はいっ、頑張ります」


 「じゃあひとつヒントだ。SMとかってあるだろ」


 「あー、はい」


 「あんな見苦しい暴力で快感を得て、ホントにそれで自分は幸せなのか、幸せになれるのか、って立場からアタイは自分の心を観察したことがある」


 「おおお……いや、でも、なんだかボクにそれは、さすがに無理っぽいですね」


 「だから、ヒントだってーの。アタイの場合は剣術って暴力の修行が長かったからなあ、それでそんな暴力つながりの発想を手掛かりにしてみたけど、アキラにはアキラの手掛かりがぜってーにあるからよ、それを探してみなよ」


 「まずは感情ってのは欲に左右されるってことが、ホントかどうか、一度いろいろな立場に立ってみて徹底的に確認してみな」





 「はい」「はい」




 「……えっ? ……キョーコさん?  ナニしてんの??」




 この時のわたしは、いつの間にかエリカさんの横で正座していて、アキラくんと同じように彼女のお話に聞き入っていた。




 「あははは、いやいや、わたしもね、エリカさんのお話をアキラくんと一緒に勉強させて頂きました」


 「えーっ! なんだそれ!! ぶっ、アハハハー! 参ったなー、キョーコさんにアタイごときがセッキョーしちまったかー」


 「ええ、それはもう型破りで破天荒で、エリカさんらしいお説教は大変いい勉強になりましたよ」


 「いや、もうマジでカンベンしてくれ。アタイはもう生ける屍だよ……HPはゼロだよぉ。キョーコさーん、あとよろしくぅぅ」


 「仕方ないですねぇ。分かりました。いいですか、アキラくん」


 「はい、よろしくお願いします」




 「じゃあですね、せっかくエリカさんが性欲についての具体的なお話をしてくれましたから、その続きのお話をしますね」


 「必要とは束縛と近しい。これにわたしも同意します」


 「例えば食欲だったら、必要最小限の栄養摂取で済ませた方が健康的ですし、他の生き物を殺すことも減らせます。それに燃費もいいとなれば、これはもう善いことだらけですね」


 「では逆に、美味しいものをたくさん食べるとその時はとても幸せですが、その後が大変ですね。食べ過ぎはあらゆる病の源です。一度美味しいと執着すれば、不味いものが嫌になり不機嫌を回りに撒き散らします。およそロクなことがありませんね」


 「では、性欲はどうでしょうか。性欲はどこまで減らせるでしょうか。これはさっきアキラくんが答えてくれてましたよね。セックスなんかしなくても死なないと。だから完全に無くせます」


 「ブッダの教えを少しでも理解し解脱を志すわたし達のような人間であっても、食欲や睡眠欲は最低限満たす必要がありますけれど、性欲は違います。性欲を満たす必要などどこにもありません」


 「なのでセックスそのものを避けることは割に簡単ですけど、そのひとつ前に起こる性衝動をどうするのかが次の問題となります」


 「その前に少し補足します。男女の性欲や性衝動の違いを先程エリカさんは語られました。それに付け足したいことがあります」


 「それは食欲や睡眠欲と違って、性欲とは生まれた時から活動しているものではありません。人間の肉体が10年以上育ってから、遅れて、新たに活動をはじめるものです」


 「個人差や男女差で多少のばらつきはありますけれど、生まれてすぐに射精したり、妊娠できるような人間はいません」


 「だからまだ性欲が働いていない幼い頃は、皆が、今よりもずっと幸せだったことを多少なりとも憶えている筈なのです」


 「だからもし、これから先、アキラくんの性欲を刺激して、満たそうとする人間が現れた時、ここでアキラくんが誘惑に負けて性欲を満たせば、それから先はどうなるのか? を、よくよく考えて、観てください」


 「一時の快楽と引き換えに、解脱を諦めること、相手に依存すること、相手から束縛されること、そして欲望(あい)の結晶でもある子供が生まれるかもしれないということ」


 「こうした現実的に充分有り得る可能性と、一時の快楽が、本当に釣り合うものかを、今の内によくよく考えて観てください」


 「はい」


 「最後に仮称ゾンビ達ですが、わたしの見た限りでは、今までのところ彼らの心の内に性欲はほとんど働いていないよう見受けられます。堀師の日記によるハイ1、ハイ2に関しては、もう確認がとれないので保留せざるを得ませんが、これから先もそうだと言えるものでもありません」


 「しかし、彼らは今まで確実に、もっと強力で純粋な欲に支配されていました。それは」


 「生存欲です」


 「それは、『なんとしても生きたい!』という、生きとし生けるもの全てに共通する最大の欲である、生存欲の権化が仮称ゾンビ達です」


 「死は避けられないものであるという客観的な、間違いのない事実を、事実であると、生存欲に狂った生き物達は絶対に認めようとしません」


 「とくに仮称ゾンビ達はその傾向が顕著でした」


 「しかし、先日アキラくん達と遭遇し撃退された仮称ゾンビ達は、それ以前にわたし達と遭遇し、わたし達を見て、逃げ出した仮称ゾンビだったようなのです」


 「アキラくんは逃げる仮称ゾンビを見たことがありますか」


 「ないです!! ほ、本当なんですか、いや!、すいません。本当にそんなことが……あったのですね」


 「いいんですよ。でも本当のことです」


 「そしてまだまだデータが少ないので断言は避けますが、もしかしたら今も生き残っている彼ら仮称ゾンビ達の何割かは、死を、誤魔化し覆い隠す生存欲からの妄想が薄れつつあり、死を恐れ得るようなまでに、成長しているのかもしれません」


 「む、むう…………………」


 「どうかアキラくんも、これらのことを胸に刻んでおいて頂ければと、わたし達はいつも思っていますよ」


 「はい! 絶対に忘れません! ありがとうございましたっ!!」




 この日わたし達はもう一度温泉に入り、穏やかな時を瞑想を共にして過ごした。


 わたしからはブッダの本を一冊、エリカさんからは愛用していた砥石をひとつアキラくんに贈り、アキラくんからは山塩とブーメランをわたし達にプレゼントしてくれた。


 これからアキラくんは納得のいくまで弟くんを探し、もう見つからないとの確信を得るか、弟くんの死が確認された場合は、わたし達の後を追って来ると約束した。


 そしてもしも弟くんを発見出来たなら、堀師の経験を参考にして、時間をかけて弟くんをもう一度育てなおし、もしも二人で旅に出られるようにまでなれれば、やはり、わたし達を追って旅に出ると宣言した。


 今、わたし達はこれからわたし達が向かう大まかなルートと、通過地点の目印などの打ち合わせを終わらせていた。




 生きとし生けるものが真に幸せでありますように。



※参考文献:アルボムッレ・スマナサーラ著/欲張らないこと 役立つ初期仏教法話13/サンガ新書

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