生ける屍の短絡思考
旅 9日目
と、書き出してみてちょっと思ったんだけど、実質的には今日が旅の1日目だ。
だけどまあ準備もまた旅の醍醐味の一つって事で、この日記では旅の9日目ってことにします。
で、嬉しいことに今のところカンちゃんもニャアもしっかりわたし達について来てくれていた。
なんだかもうわたし達って、桃太郎や西遊記を通り越して、人間二人と動物三匹によるミニミニサイズのノアの箱船っぽいパーティーと化している。
それにしても……と、思う。
最初に堀師の日記を読んだ時は「(こんなの有り得ない!)」って強く思ったものだけど、このわたしのたった9日分の日記もまた知らない人からすれば同様か、もしくはそれ以上に有り得ない内容になってきてるわよね。(アハハ……)
ともあれこの旅の先が見えない以上わたし達は、わたし達の心と身体にある程度の余裕を常に保てるように、いくつかのルールを定めていた。
最初に決めたルールは、一日の移動は日中に限り5~6時間程度に収めるというものだ。
とにかく一寸先に何があるのか分からないのが旅というものだ。道中で食べることや寝ることも容易ではない。目的地もまだ完全には特定し切れてはいない。
ないないづくしのこの旅で不用意に体力を浪費して、精神を磨耗させることだけは絶対に避けたい。そしてこれはわたし達自身の意志とサティ次第で自由にコントロール出来る唯一の事柄でもある。
疲れ果てる前に休み、無理なく進む。特に期限が限られている旅じゃない。焦らずにコツコツ進もうとわたし達はそう話し合っていた。
そしてわたし達は今、とある空き家にお邪魔している。
旅を決意した当初、わたしとカンちゃんだけのつもりだった時にたてた計画では、王姉弟に習って新幹線の線路上を行くつもりだった。
しかしエリカさん、サマーちゃん、ニャアと出会ったことで新幹線ルートは破棄せざるを得なくなった。
わたしとエリカさん、カンちゃんはともかく、サマーちゃんとニャアの食糧が線路上に都合よくあるワケがないからね。
で、とりあえずわたし達は今、高速道路を目指している。
高速道路なら山間部を縦断している場所が多く、サマーちゃんやニャアの食糧も割と簡単に調達出来そうだし、高速を降りれば一夜を凌げる空き家や、空き店舗にも事欠かないと考えたからだ。
そして今日、初日の移動中にわたし達は最初の生存者と遭遇した。事の顛末はこんな感じだ。
高速道路を目指すに当たって、一番簡単なルートは主要幹線道路を伝って行くのが確実だけど、それはあまりにもリスクが高いとわたし達は結論していた。
わたし達のパーティーを端から見れば、常に固まっているのは女二人と荷物を積んだ小さな馬が一頭。
と、なると……これはもうどうしようもなく客観的に見て、いいカモにしか見えないということをわたし達は自覚している。
ニャアはちょこちょこ姿を消しては、しばらくするといつの間にか戻ってくるという行動パターンを繰り返しているし、カンちゃんに至ってはどう見てもただのカラスなので、まさかわたし達に同行していて、何かおかしなことがあれば優秀な斥候の役目まで果たしてくれるわたし達の仲間だと、初見で見抜ける人はまずいないでしょうね。
エリカさんの言葉を借りると、野生化した人間達、特に粗暴な男達の目からすればわたし達はどう見ても「マジ美味そうな美女二人添えの豪華カモネギセット」にしか見えねーハズだ。ということになる。アハハ……ですかねぇ。
まあそんな訳でわたし達は人目につきやすい幹線道路は避けながらも、それに沿う形の生活道路を選びながら進んでいた。
山沿いに伸びる狭い道は、常に蛇行していて見通しが悪い。そしてサマーちゃんの蹄の音が辺りに割とよく響く。そんな道をわたし達はゆっくりと歩んでいた。
そしてしばらくすると前方に人影が現れた。それと同時に。
「後ろにもいるぜ」
と、小声でエリカさんがそう囁いた。挟み撃ちか。まあ、まともな人間のする事じゃないわよね。
わたし達は後ろを振り返ることをせずに、前方から近づいてくる人影のみを注視する。
彼我の距離は約10メートル。男性、四十代前後、ガッチリした体格、左手をこちらに振りながら、右手には金属バット、そして。
「おーい! ネエちゃんたち~、二人だけかぁ~!」
そう言うその男の濁った光を宿す目つきと声色が、隠しようもない、いや、隠すつもりもない期待感で見苦しいまでに高揚している。
「ちょっとは隠せよな……」
と、エリカさんが低く呟く。確かにおっしゃる通りなんだけど、よくもまあこんな薄汚く浅ましい男が、この3年を生き延びたものだと心底呆れ……
「(サティだ、わたし)」
この時点ではまだバットを持った男が声をかけてきただけに過ぎない。
なのにわたしは「(襲われる、奪われる、犯される)」と勝手に思い込み、そういう前提でこの男を見ている。
確かに今回はそうかも知れないけれど、こういう決めつけからの短絡思考、気の迷い、そして心が妄想に侵食され暴走することこそが、わたしの内に潜む真なる敵だ。
しかもこの時、ドーザ(怒り)までもがいつの間にかわたしの心に芽生えていた。
そして更に悪いことに、いつの間にかわたしは「(この男をどうやって殺そうか)」とまで意識が飛躍していた。
こうして文章にすればかなり長く感じられるけれど、これは実質的にはほんの数瞬で起こったわたしの心の変化に過ぎない。
わたしはドーザを消し、妄想を断ち、改めて男を「観る」。
すると……どうやらこの男は既に、股間を勃起させているようだった。
それに構わず、予めサマーちゃんが背負う荷袋に引っかけておいたミラーで素早く後方を確認すると、電柱の陰に隠れている人影をひとつ確認した。
[殺さないこと。殺されないこと]
最初はただの奇麗事だとしか思えなかった堀師の唱えるこの指針を、今のわたし達は神聖な戒律として心に定めている。
そしてエリカさんとわたしは、こういう事態を想定した打ち合わせを既に済ませている。
欲に目の眩んだ人間や、怒りを肯定する人間とは一切交渉しない。
避けられる状況なら避ける。
逃げられる状況なら逃げる。
避けきれず、逃げきれず、戦わざるを得ない状況なら戦う。
しかし、相手の命を奪うような攻撃は絶対に仕掛けない。
それでわたし達が負けるか、死ぬのならば、それはそれまでの事だと諦めるしかない。そう決めている。
エリカさんが視線でわたしに合図を出した、その時。
「ウアアアアアッ!!」
と、後ろから叫び声が上がった。
ニャアが来てくれたのだ。突然現れたニャアの姿に驚いた後ろの男は腰を抜かしていた。
エリカさんは前に、わたしは後ろに向かって走り出す。わたしが後ろの男にあと数歩という所まで迫った時。
「ガアッ!!──イッッテエェェ!!」
後ろからそんな叫び声が聞こえた。それに構わず走り込み、腰を抜かした男にまで辿り着いたわたしは、男の顔面に向けて、わたしお手製の催涙スプレーを吹きかけていた。
「イテェ!」だの「死ぬ!」だの「ブッ殺す!」だのと大騒ぎする男達を猿轡で黙らせ、彼らの両腕を後ろに回し結束バンドで拘束する。
勃起男は右膝の関節をエリカさんの木刀で砕かれていた。腰を抜かした男はカプサイシンのもたらす痛みでまともに喋ることすら出来ない。
しかし、この期に及んでもまだ煮え滾る欲望を押さえ切れない様子の男達は、猿轡を噛まされた布越しから言葉にならない薄汚い呪詛を呻き散らしていた。
わたし達はそれに取り合わず、一切無言でこの場から立ち去る。
ニャアはカプサイシンの臭いを嫌ったのか、しばらくの間どこかに姿を消していた。
こうして辛くもわたし達は殺すこともなく、殺されることもなく、旅を続けられる時を得られた。
生きとし生けるものが真に幸せでありますように。




