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生ける屍達についての日記帖 : Data of the living dead   作者: 230
生ける屍達の日記帖 二冊目
53/90

[番外編] 生ける屍の準備万端



 エリカは笑っていました。


 その口元はふにゃふにゃっと緩みっ放しです。


 歩きながら何か一人言を呟いては、「アハハ」「二ヒヒ」「ムフフ」と、誰に憚ることもなく多彩な笑い声を洩らしています。

 そのついでに手にした重そうな木刀を、枯れ草か何かのように軽々とヒュンヒュン振り回しています。


 そんなエリカの足どりはとても軽やかでした。


 もしも仮称ゾンビ・アポカリプス以前の平和な社会で今のエリカのように振る舞えば、おそらくは皆に気味悪がられ、下手をすれば最寄りの警察署や病院を紹介されかねない位には、エリカは楽し気に歩いていました。


 人は誰一人として居らず、道端には時折ガイコツと放置車両が転がるだけの広い道路の真ん中を、彼女は悠々歩みます。




 そんなエリカがふと立ち止まると、前方の街路樹の陰から一頭の獣が現れました。


 「(トラ? じゃねーな……ヒョウ、かなぁ?)」


 エリカにはこれが大型のネコ科の肉食獣だとしか分かりません。

 だけどアポカリプス以降、希にこうした珍しい動物を見かけていたエリカはさほど驚いている様子もありませんでした。

 おそらくは動物園等から運良く逃げ延びて野生化した獣なのだろうとエリカは見当をつけていました。


 そしてどうやら獣の方も今はお腹が減っていたり、気が立っているというワケでもなさそうで、横目でエリカをチラッと確認すると、さして気にする様子もなく通り過ぎて行きます。


 この時、冬の名残の風の冷たさは刺すようでしたが、その風を押しのける暖かい日差しが春の訪れを知らせていました。


 エリカもまたのんびりと歩き出します。




 そして、それまでのんびりと歩いていたエリカが突如として足を早めました。

 その表情には何か急に心配事を思い出したかのような焦りが刻まれています。




 大きな獣とすれ違ってからおよそ小一時間。


 エリカは山あいにある広い草原に辿り着くと同時に、大きな口笛を鳴らしました。


 「ピィーーーーッ!」「ピィーーーーッ!」「ピィィィーーーー!!」


 そうして待つことしばし。


 草原に佇む一軒の小屋の陰から一頭のケッティがポクポク歩いて来ました。

 エリカは安堵の溜め息を漏らした後、ケッティに駆け寄ります。


 オス馬とメスのロバの交雑種をケッティと言います。ちなみにメス馬とオスのロバの交雑種はラバと言います。

 そしてこのケッティはどうやらエリカの友達だったようです。


 「あー良かった~。さっきヒョウみてーなヤツを見かけてさー、サマー! オマエ食われてんじゃねーかってアタイ焦っちまったよー!。よかったー」


 山あいに伸びる木々たちが冷たい風を遮り、温かい日だまりが溢れる草原でケッティこと、サマーはそんなエリカの顔に目一杯自分の顔をこすりつけていました。


 エリカはまるで人に対して話しかけるのと同じように、サマーにいろいろな事を話しかけながら小屋に入ります。

 それから夜になると小屋の窓には明かりが灯り、楽しげに荷作りに勤しむ音が一晩中聞こえていました。






 しかしこの時のエリカはサマーを呼び寄せた口笛が、招かざる者をも呼び寄せていた事を、まだ気づいてはいませんでした。






 翌朝。


 日の出の頃にエリカは小屋から出て来ました。


 そしてまずはサマーに水をやりながら、自分もまた朝食をとります。

 エリカが食事を終え、しばらくしてサマーもまた食事を終えるとエリカは昨夜用意した荷物をサマーの背に積みつけました。


 エリカは小屋の周りに仕掛けていた鳴子も全て回収し、準備万端整うとサマーと共に歩き始めました。


 そうしてエリカたちが山あいの草原から出かかったその時、木々の合間の「大きな草むら」がザワリと不気味に揺れ動きます。




 エリカは手綱を引いてはいませんが、サマーはエリカの足跡を一歩一歩なぞるようにして、律儀についてきます。

 そんなサマーを時折振り返るエリカはとても嬉しそうに目を輝かせていました。


 そんな風にしばらく歩いていたエリカたちは、昨日ヒョウらしき獣と出会った場所にまで辿り着きました。

 そこは広い幹線道路なのですが、道路は土手にもなっていて、その土手の下には小さな雑木林を伴った河川敷になっていました。


 今日もまたいい天気です。


 エリカは青々とした若草が茂る河川敷に降りて一服することにしました。

 サマーの背に積んだ荷を下ろし、休憩の間はサマーの好きにさせたエリカは、座り心地の良さそうな場所を見つけて腰を下ろします。


 そして何気なく雑木林に目をやったエリカは、何か妙な違和感を感じました。


 「(──なんだ)」


 しばらく雑木林に目を凝らしていると、すぐに違和感の正体に気がつきました。


 ヒョウ(推定)でした。


 おそらくは昨日エリカがすれ違ったと思われるヒョウが、7、8メートル程先にある一本の木の枝に横たわり、大きなアクビを一つあげていました。


 ヒョウがアクビをして動かなければ、エリカはまだヒョウの所在に気づけていなかったでしょう。

 そして、もしもヒョウがエリカを狩るつもりだったなら、アクビなんてするワケがありません。

 そのようなことを一瞬で感覚的に理解したエリカは。

 

 「アハ! だよなー。今日もいい天気だしなー、アタイも昨日はひっさびさに徹夜しちまったからもう眠くってさー」


 などと、のんきな声を上げてていました。


 「ふああぁぁ!……」と、エリカもまた大アクビを一つあげます。


 そしてエリカは何のてらいも見せず、草地にゴロリと背中を倒しました。

 腕枕をしようとして身体を傾けると、エリカの目の前には、一本の土筆が元気にニョッキリと生えていました。

 その小さな元気さに当てられたエリカは、またしても小さな笑い声を漏らしていました。




 微笑みながらエリカは思います。仮称ゾンビ・アポカリプス発生以降、この世界は三年の月日が流れています。


 そしてここ一年ほどで更に、急激に人類はその数を減らしていました。

 エリカにしてもここ一年は仮称ゾンビ化を免れた生存者、或いは仮称ゾンビをも等しく、めったに見かけることが無いほどに、人口が減衰していました。


 そして今生き残っている人類は、ある意味で野生化していると、エリカは肌でそう感じていました。


 「(それも仕方ねーよなー……)」


 などと諦め半分に思っていたエリカでしたが、先日のキョーコとの出会いと、堀氏の書いた日記を読んで、エリカの心は大きく変化してしまいました。


 その自分の心の変化をまだ上手く言葉には出来ないエリカでしたが、ブッダの説く「解脱」というものに大きく心が惹かれています。


 そんなことをつらつら思いながらエリカは、いつしかウトウトと微睡みはじめていました。


 …………


 ……

 

 …




 エリカが半ば意識を手放しかけたその時、幾つかの事態がほぼ同時に発生しました。


 「ヒヒーーン!!」というサマーの嘶き。


 「ウオアァッ!!」という聞き覚えの無い悲鳴。


 「ゴッ!!」という何か固い物がぶつかったような打撃音。


 これだけの物音が一瞬の内に連鎖し、生滅していました。

 エリカはサマーの嘶きと同時に跳ね起きています。


 そして物音がした方向に視線を走らせると、モシャモシャと蠢く奇妙な「大きな草むら」を件のヒョウが押さえつけていました。


 その大きな草むらはギリースーツでした。


 一見、只の草むらにしか見えなかった大きな草むらの正体は、ギリースーツを着込んだ人間の男でした。

 ギリースーツとは、いわゆる迷彩服よりももっと高度な偽装を施す為、ジャケットやフード、更にはズボンや靴にまで草木や小枝などを貼り付けたものです。


 そのギリースーツの男はヒョウに踏みつけられた足下で、ほんのしばらくの間ピクピクと痙攣するように動いていましたが、やがてすぐに動かなくなりました。

 そしてそのギリースーツの男が取り落としたと思われるボウガンが一つ、本物の草むらの上に転がっています。


 ヒョウはエリカに軽く一瞥をくれると、少しエリカやサマーから距離を置くようにして、再び木の枝に登り、寝そべりました。


 どうやらこのヒョウは、この男を食らうつもりも、エリカたちに襲いかかるつもりも無いようです。


 エリカは男に近づき、まずは顔を改めました。


 見知らぬ男です。呼吸を確かめると、もう息をしていません。その男の頭の下には大きく平らな岩が顔をのぞかせていました。どうやら打ちどころが最悪に悪かったようです。


 それだけの事を見て取り、その上で自分が知覚出来た物事を整理して考えると、やはり、この男はボウガンでエリカを狙っていたと、そう考えるのが妥当なところでしょう。


 この男はエリカが草地に横たわったのを好機と捉え、草地を避け、足音を忍ばせ、気配を殺しながらエリカに接近し、ボウガンを構えたその瞬間、サマーが危急を知らせる嘶きをあげ、ほぼ同時にヒョウが木の上から飛びかかり、男は短い悲鳴をあげながら倒れ、頭を固い岩場に打ちつけた。


 「(……多分、そんなところだろーなぁ)」


 そんな風に考えがまとまったエリカは、木の上に横たわる大きなヒョウに顔を向けます。


 「オメーさあ、アタイを助けてくれたのか?」


 そう問うものの、もちろんヒョウは何も答えません。


 「まあいいか。助かったぜ、アンガトな!」


 エリカは屈託のない笑顔でヒョウに礼を告げると、積み荷からタオルを一本取り出してギリースーツの男の顔に巻きつけました。


 そしてエリカは、そのまましばらく様子を見ることにしたようです。




※今回は(どうしても一度やってみたかった)三人称視点でしたが、次回からの本編は今まで通りの一人称による日記形式に戻ります。


 ではでは、よいお年を。

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