生ける屍の御師匠様
準備 6日目
翌朝。
まだ春先の朝はかなり冷える。
エリカさんは毛布にくるまったまま、まだ眠っていた。わたしは顔を洗って簡単な食事をつくろうと思い身体を起こす、と。
「ウワアァッ!!」
悲鳴と共に跳ね起きたエリカさんは即座に木刀を掴み、片膝立ちに構えをとる。そこに前回見せてくれた自然体の凄みはまるで無く、彼女の心の怯えだけがヒリヒリと透けて見える。
「エリカさん」
「えっ?!…………あっ、あぁ………」
「わたし、今から食事を作ってきますね」
「………………はぃ」
とてもかわいいお返事が帰ってきて、わたしは心の底から安堵を覚えた。そしてなんだかヤル気がモリモリと湧き上がってくる。大丈夫だ、エリカは大丈夫だ。彼女は第一世代発症なんかしていない。
この時わたしはエリカさんに食事の大盤振る舞いをしてあげたい気持ちで一杯だったけれど、残念ながら手持ちの保存食は、もうかなり乏しい。とりあえずは缶詰めを一個ずつと、とって置きのインスタントコーヒーを振る舞う為に、給湯室でファイアスターターを使い火を起こして、お湯を沸かした。
エリカさんのところに戻ると、彼女はまた、泣いていた。
「はい、まずは食べましょ」
「……グスッ………すまねぇ」
ほんの少しの量しかない食事だけど、わたし達が食べ終わるまでには、かなり長い時間がかかった。そしておもむろにエリカさんが口を開く。
「ア、アアタイはさ……アタイ、は…………」
「はい」
「アタイ! やっぱ! 地獄に落ちんのかなあっ!?」
「アタイはいっぱい殺しちゃったんだよっ!! 知らなかったし!! 分かんねーし!! やっちまったし!! もういやだよ!! ホントはイヤだったんだよ!! 怖えぇよっ!!」
「ごめん! ごめん! ごめん! ごめん! ごめん! ごめん! ごめん! ごめん!! ごめん!! ごめん!! ごめん!! ごめん!! ごめんなさい!! ごめんなさい!! ごめんなさい!! ごめんなさいっ!! ごめんなさい!! ごめんなさい!! ごめんなさい!! ごめんなさい!! ごめんなさい!! ごめんなさい!! ごめんなさい!! ごめんなさいいいいっっ!!」
「落ち着いて、大丈夫よ……落ち着いて」
そう声をかけながらわたしは彼女の背中をさする。
「ア、アタイは! 今まで、とんでもねーことばっか、しまくっちっまってんだよおおおっ!!!」
彼女が今までどうやって来たのか、何をして来たのか、それをわたしは何にも知らないけれど、エリカは自分が今までにして来たことに本気で怯え、泣きじゃぐりながら、幼子のようにわたしにしがみつき、嗚咽をあげ続ける。
嗚咽と共に幼子では有り得ない程にものすごく力の籠もった指先がわたしの両肩に深く食い込む。その痛みをサティしてこらえながら、しばらくの間わたしはそっと彼女の背中をさすり続けてた。
そうしてどのくらいの時間が経ったのかは分からないけど、彼女がいくらか落ち着きを取り戻したように思えた時、わたしは、わたしが書いた日記を彼女に手渡した。
「これは、わたしが書いた日記よ。まだ書き始めたばかりだし、そんなに量はないから、読んでみる?」
「……うん」
真っ赤に充血した彼女の目がわたしの日記に記された文字を追いはじめる。その間にわたしは散らばった食器を片付けながらエリカに声をかけた。
「ちょっと屋上に行ってくるね」
「……ん」
との小さな返事を背中で聞き、わたしは静かに、でも……ダッシュでトイレに駆け込んだ!。
トイレで鏡を見ながら肩についた傷の手当てを簡単に済ませ、わたしは屋上に上がった。すると程なくしてカンちゃんがやってきた。カンちゃん用に少しだけとっておいた缶詰めの残りを差し出すと、けっこう喜んでくれたみたいだった。
ごはんを食べ終えたカンちゃんはお久しぶりとなる「カンちゃんダンス」を踊りだす。左右の翼を交互に広げて、たたみながら、右に左ににちょこちょことかわいいステップを踏んだりする、カンちゃん御自慢の不思議な踊り。
野生の動物って意外と踊りを嗜む生きものが多いようだ。特に発情期を持つ生きものは、気に入った異性に披露する求愛行動としてダンスを踊ることが多いみたい。
カンちゃんがわたしの前で踊る場合は、求愛っていうよりも喜びの舞、って感じなんだろうなってわたしは思っている。たまにはわたしも一緒になって踊ったりもするしね。
だけど、やっぱりわたしとカンちゃんの言葉は通じない。そのことをカンちゃんもカンちゃんなりにいろいろ考えていて、少しでも自分の心をわたしに伝えようと様々な工夫をしてくれている。その工夫のーつがきっとこのダンスなのでしょうね。
それでもさすがにこの時は、一緒になって踊る気にはなれなかった。けど、わたしはそんなカンちゃんダンスを眺めながら、しばしの間時が経つのも忘れて、カンちゃんが手向けてくれる温かい気持ちを素直に喜んでいた。
そうしているといつの間にか、エリカさんも屋上に上がってきた。
「ふふっ……あはは、そいつがカンちゃんかい?」
まだ出会って一日しか経ってはいないけど、ずいぶん久し振りに彼女の笑顔をみた気がする。
「そうよエリカさん。カンちゃん、この人はエリカよ」
「アッ!」
と、一声。偶然? にしてもタイミングよくお返事を返すカンちゃんだった。
「おう、よろしくなカンちゃん」
カンちゃんのおかげでさっきよりも、ずいぶんとエリカさんの表情も和んでいる。カンちゃん様々です。
「……なあ、キョーコ、さん」
それまで和んでいた表情から一転して彼女の顔が赤らみながらも、その瞳に鋭い光が宿る。
「はい」
「堀、さんを、探しに行くんだよ、な」
「はい」
「…………あ、アタイもさ、そのー、アレだ、一緒に連れてってくんねーかな!!」
「ええ、こっちこそよろしくお願いしますね」
「ホ、ホントか?! マジか?! い、い、いいのか?! いいんだな?! ヨッシャー!! もう後からダメつってもダメだかんなーっ!! イイヨッシャーアアアッ!!!」
案ずるより産むが易しか。
やっぱりわたしはまだまだだ。彼女を正しくありのままになんて、全然見れてはいなかったようだ。わたしは彼女の真っ直ぐさをナメていたと言ってもいい。
このあとエリカさんとこれからの旅についていろいろと相談をしていると不意に、彼女はちょっと面白いことを言い出し始めた。
「あー、そうか! アタイが猿だろ。で、カンちゃんはキジ、じゃねーけど一応、鳥だしな…………うーん」
「なあキョーコさん! アタイ達って〈桃太郎〉っぽくね?」
「ぶほっ!!」
わたしは飲みかけの水を吹いた。ゲホゲホむせていると、エリカさんは更に(アタイ達! 桃太郎パーティー説)の補強材料を重ねてきた。
「確か桃太郎って岡山の話だろ。なんかますますソレっぽくね? ニヒヒヒ」
むせた口周りをタオルで拭い体勢をを立て直す。わたしもちょっと思いついた。
「はふぅ、ええ、確かに座布団三枚分くらいには上手いこと言えてるかも知れませんね。でもそれなら、わたし達って〈西遊記〉っぽくもないですか?」
「オオー、そっちもいいなー! どっちにしてもアタイは猿だし、それなら孫悟空のほーがカッケーよな! なっ! 御師匠様!!」
「あはは! 確かにわたしは坊主頭だし、坊主頭の桃太郎ってソレっぽくないものね」
「アハハハ!」「うふふふ」
いや、もう、ホント、しょーもなくも楽しい雑談ではあったのだけれど、意外と正鵠を射抜いていた雑談でもあった。
ガンダーラじゃあないけれど、わたし達はブッダ、お釈迦様の教えに導かれて、一路岡山、広島を目指すのだ。
もしかしたらこれから先、少しずつ仲間が増えるのかも知れない。途中で様々な困難や化け物じみた存在との出会いもあるだろう。そんなちょっと楽しげな妄想がついつい捗ってしま──って、サティ、サティ、あはは。
だけど、わたし達の目的は鬼退治なんかじゃない。わたし達の旅は解脱を目指すための旅だ。
そんなやり取りを挟みつつほぼ話がまとまったところで、エリカさんは旅に必要なモノを整えるために一旦、自分の拠点に戻ることにした。再会は明後日以降にこの図書館でと約束した。




