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生ける屍達についての日記帖 : Data of the living dead   作者: 230
生ける屍達の日記帖 一冊目
5/90

五話 生ける屍の麻酔効果



20××年 6/21 雨





 また雨か、よく降るな。


 とりあえず今日一日で一通りの調べ物が済んだ。ユキは退屈そうに耳を伏せて大人しくしてくれている。賢い犬でほんとに助かるよ。


 後は天気の回復を待って行動を再開するつもりだけど、何だか長雨になりそうだな。


 さて、今日も続きを始めよう。







「藤本先生、もう少し外の様子を観察しましょう」


 静かに閉まるシャッターを背にした俺は、彼女の腕の包帯にはあえて触れないまま喫緊の問題について提案した。


「とにかく今は何もかもが全く分かりません。あのゾンビみたいな奴らが人に噛みついた後はどんな行動をとるのか?。噛まれた人々はどうなるのか?。今はそれを見極めることが最優先です」


「……そ、そうだね。……堀くんが来てくれて本当によかったよ。こっちよ。お互いの話は屋上で外の様子を観察しながらにしよう」


 そういいながら藤本先生は二階に上がる。二階は藤本先生と娘さんの美智子ちゃんの住居フロアになっている。


「……ふぅ、先に上がっててくれ。’ボク’は飲み物と少し食べ物を用意して行くから」


 藤本先生がチラッと上目遣いでイタズラっ子のような笑みを浮かべてながらキッチンに向かった。


 そういえばさっき吐きまくったおかげで胃の中はスッカラカンだ。一言「ありがとう」と声を返して二階から屋上へ上がる階段を登り、扉を開く。




 ユキがいた!。


 ユキがこっちに飛び込んでくる!。


 狂ったようにじゃれついて来るユキを相手に本気で撫で回してやる。


 ユキは時々人間の言葉を人間のように理解しているのかと思えるようなフシがある。さらに、いわゆる場の空気まで読んでいるかのような振る舞いまでも見せてくれる、とても賢い俺の相棒だ。


 それに普段は静かでとても大人しい。この時もじゃれていながらに全然吠えることは無かったように思う。


 俺はユキの相手をしながら屋上にあったベンチを柵のそばまで移動して幹線道路を覗き見ようとすー、ひ!。


 「あーっ!こら!ユキ、俺の尻なんか舐めんな。うあーーー!ウレション禁止!禁止ー!。あー、もう!ベチャベチャじゃねーか(笑)」


 たぶんこの時の俺は満面の笑みを浮かべながらユキを叱りつけていたと思う。人工芝が敷き詰められた綺麗な屋上の片隅で、ニヤニヤしながらウレションの後始末を手早く片付ける俺だった。


 そして改めて周辺の観察をはじめる。




 車道を埋め尽くしている車、車、車。




 言い争いながら揉み合う人、人、人。




 喰らう人。




 喰らわれている人。




 路上に倒れ伏して動かない人。




 そして、あの忌々しいガス臭が時折この高さにまでうっすらと漂ってくる。




 この時最も気になっていた事はあの仮称ゾンビ達に噛まれてしまい、一見すると死んでしまったように見える人々が……一体、これから「どうなるのか?」という事だ。


 あそこで倒れている人々が今、本当に死んでいるのかどうかは分からない。俺にはそれを確かめる手段も技術もない。しかし、身体の損壊具合から見て死亡していなければ絶対におかしいと思える人体を2体に目をつけていた。


 一体は30代のサラリーマン風の男性。夥しい血溜まりの中で仰向けになって倒れている。よく見ると首筋の頸動脈辺りと顔面をぐちゃぐちゃに噛み千切られている。これでちゃんと死に続けていてくれなければ、いよいよもって本当にゾンビだ。


 もう一体は……ついさっきまで病院の玄関先で大騒ぎをしていたあの女性だ。


 彼女の顔や首筋は今のところ綺麗なままだ。


 しかしスカートから伸びる長い足は今や二体のゾンビ(仮)が現在進行形でグチャグチャに喰い散らかしてしまい血の海をつくっている。最早彼女から生存を示唆するような動きは一切見当たら無い。彼女から目を離していたのはほんの十分かそこらだというのに……。



「堀くん、お待たせ」



 大きなバスケットとポットを持った藤本先生が上がってきた。そして、恐らく先程の彼女を藤本先生も見つけたのだろうーー先生の身体がビクッ!と震える。


 ユキは藤本先生の足元に身を寄せる。


 俺も思わず先生の肩に手を伸ばす。


 先生は目を閉じて、ひとつ……ふたつ……みっつと、深く息を吐いてゆっくりと再び目を開いた。



「……ありがとう。もう大丈夫だ」



 本当に強い人だと思う。


 俺や先生は普通の人々に比していわゆるグロ耐性というものが極端に高いのだろう。彼女は獣医という毎日の職務上の経験から。俺は震災で否応なしにくぐった数々の修羅場の経験から。


 そうやってそれぞれが「死」という情け容赦のない現実に際しても……激情に飲まれず、冷静でいられるだけの心構えを保てていられるのだと思う。


 先生はバスケットからカップを取り出し「これ、前に間違えて買っちゃったお高~いお豆なのよ~」などと、おどけながらそのお高いコーヒーを淹れてくれた。


 もうそろそろ大丈夫だろうか。俺は今まで本当に気になっていながら後回しにしていた事について訊ねることにした。




「龍子ちゃん、その腕はどうしたの」




 藤本先生が一瞬棒でも飲み込んだように顔を引きつらせた。


 藤本先生をあえて「りゅーこちゃん」呼ばわりしたのは俺なりに彼女の心労を和らげるつもりで精神的な麻酔効果を期待した気遣いのつもりだ。


 ……恐らくは、彼女が「何か」に噛まれている可能性は、どうみてもべらぼうに高いのだから。


「ははっ!龍子ちゃんかー。いやーなんだか久しぶりにそう呼ばれると本気で照れるぞー。超恥ずかしいぞー。あはははは!」


 そういいながら龍子ちゃん先生の赤く充血した目が、更に涙で潤む。




「……うん、これね、これは美智子に、噛まれたんだ」




 そして今度は俺が棒を飲み込んだような顔になっていた筈だ。


 ユキは龍子先生の手を優しく舐めていた。




 今日はここまで。これからユキと飯食って寝る。




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