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生ける屍達についての日記帖 : Data of the living dead   作者: 230
生ける屍達の日記帖 二冊目
48/90

生ける屍の因果関係


準備 4日目



 今日はまず一人反省会を終えてから、装備品の整理や、必要な物資の補充に勤める予定だ。さあ、まずはこの日記を書きながら昨日の反省をはじめよう。




 「お ち つ け ! わ た し !」




 これに尽きる。やっぱりわたしはまだまだ瞑想の初心者だし、そりゃあ以前のわたしよりちょっとはマシになっているとは思うけど、思わぬアクシデントに動揺し過ぎだ。打たれ弱すぎる。


 あの時は既に見知っていたナンバー2さんだからまだ良かったけど、未知のナンバー3、ナンバー4、あるいはナンバー100さんが団体様で出て来たとしても動揺してはいけなかった。


 それでもわたしの心は大きく動揺してしまい、結果わたしの動きがあまりにもお粗末だったのは、やっぱり想定外の事実を確認したその瞬間に、一瞬で「(食われる! 殺される!)」という、最悪の可能性という名の「妄想」に、為すすべもなく心が捕らわれてしまったことが原因だ。


 「およそ苦しみが起こるのは、すべて動揺を縁として起こる。諸々の動揺が消滅するならば、もはや苦しみの生ずることもない」とブッダも説いている。


 妄想に捕らわれて動揺し完全に動きを止めてしまっていた時間はほんの数秒のことかも知れない。けれどその数秒の空白が生死を分ける越えられない壁として存在しているのがこの世界だ。注意一秒怪我一生。これ大事。


 普段なら安全を確保した上で、落ち着いて、念を強く持ちながら自分の心の変化を観察できるけど、それでも心というものの変化は本当に速い。常に物凄い速さで変化し続けている。


 この変化のスピードについて行くには、気づきの力が必要不可欠だと上座仏教の長老方は説いている。


 日本語でいう「気づき」。これをパーリー語では「サティ」というそうだ。このサティを正しく働かせるには、正見、正精進、正念という3つのギアを上手に噛み合わせることが大切だ、というブッダの教えを上座仏教の長老方は説く。


 今のわたしのレベルの正見とは、感情的にならず常に現象の因果関係を正しく把握すること。


 正精進とは、まだまだ自我の強いわたしの心が邪見で暴走しないように、正見であれるよう常にに気をつけるという絶え間ない心的な努力のことだ。


 正念とは、正見を正精進で維持しながら正しい念を常に育てるという状態のことだ。


 まだまだわたしには心が変化し続けている猛烈なスピードにはついて行けないけれども、今はこうして日記をつけながらしているように、ゆっくりと一つ一つ確実にサティを働かせることが正しく思える。


 じゃあそろそろ出かけよう。


 まずはナンバー2さんの様子見からだね。



今話は短いのでもう一話、同時投稿しています。こちらはその一話目にあたります。


※参考文献

・中村 元訳/ブッダのことば スッタニパータ/岩波文庫

・アルボムッレ・スマナサーラ著/瞑想教典編 ヴィッパサナー実践のための5つの教典/(株)サンガ


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