三十六話 生ける屍のピスピス
20XX 7/14 曇りがち
つ、疲れた……とりあえず順を追ってこの三日間の事を綴っていこう。
一昨日の十六時頃、俺は長い間延び延びになっていた飲料水問題の解決にようやく漕ぎ着けていた。
その解決策とは、原始人ハウスの水道管の取水口を小川の水源である小さな泉の源泉から直接湧き水を引き込む水道工事だ。
今まではこの原始人ハウスからおよそ7メートルの位置にある小川から水を引き込み、俺は生水をそのままゴクゴク飲んで暮らしていたのだが、四人暮らしとなった現在は一日平均30リットル程の水を煮沸して、一度冷ましたものを飲料水として使用している。
だが、夏場などは一度沸騰した水を冷ますのにかなりの時間を要するし、また何よりも毎日水の煮沸のみに消費される大量の薪があまりにももったいない。というか、このままでは薪がいくらあっても足りない。
これらの問題点を考慮すれば、やはり小川の水をそのまま飲料水に出来ればそれが一番望ましいのだが……やはり源泉から30メートルほどの距離を開けて流れている以上、そのどこかで何らかの汚染が発生した場合、俺たちはそれに気づきようもなく、防ぎようもない。
そこで苦肉の策として…煮沸殺菌の手間を濾過という形でなんとか代用できないのでものかと考え、前回図書館でいろいろと調べてみたワケなのだが、残念ながら濾過では殺菌など出来ないとの結論に至った。
しかし、いくら煮沸消毒が重要で、その為の薪が足りないからといっても、簡単にそこら辺の木々をガンガン伐採すればいいというものでもない。
出来ることなら源泉から直接飲料水を引き込めればそれが一番なのだが、今はその手段がない。一体どうしたものかとみんなで頭をひねっていると……イトが口を開いた。
「倉庫の奥に立てかけている鉄パイプって……あれは水道管として使えないんですか?」
……と、俺の記憶にはない事をイトは仰った。とりあえず現物を確認して、俺はこの原始人ハウス(ログハウス)を建てた時の事を思い出した。
このログハウスはキットで購入したモノをほぼ俺一人で施工しているのだが、基礎や整地、そして薪ストーブや水回り等、どうしても素人では手に余る部分は素直に地元の工務店に施工作業を依頼していた。
……そう、その当時に依頼した水道屋さんが持ち込んだ部材が大量に余ってしまった事があったのだ。余った部材を担いで下山する事を嫌がった水道屋さんは、後日引き取りに来るまで一時的に倉庫で預かってくれと言い残して下山した。そして結局、今までほったらかしのままの部材が倉庫に丸々残っていた……という訳だ。
……あぁ灯台下暗し、すっかり忘れてたよ。
とりあえず余った水道管を確認してみると、なんと100メートルを少し越えるほどの量が残っていた。それにジョイント材やシールテープもたっぷり残っている。これならこの小川の源泉になっている湧き水の泉から原始人ハウスまで直接水を取り込めそうな目算がついた。
更に幸いなことに泉から原始人ハウスまではそれなりの高低差があるので、汲み上げポンプ等を要さずとも位置エネルギーで十分な水圧が見込めそうなところも、実に助かる。
イトちゃん、大手柄の巻だ(笑)。
そこでまずは一昨日の早朝に全員が胃の中を空にした状態で湧き水の可食性テストを行った結果、全く問題が無い事も確認できた。
……って言うか、源泉の水はとて冷たくて、あまりにも美味しすぎて……みんなついついすぐに飲み干してしまい、厳密にはテストになどならなかったのだが(笑)。
それから俺はせっせと水道管敷設工事に勤しみ、辺りが薄暗くなった頃にようやく仮組みを完成させていた。
とりあえず残りの作業は明日にして、俺は小川の水浴び場まで降りて行った。土埃と汗で薄汚れていたシャツを脱ぎ、タオルを多少なりとキレイに洗い流して軽く絞り、全身についた埃と汗をを拭いとる。
身も心もサッパリした俺はもう一度タオルを川に漬けてたっぷり水を染み込ませ、ユキの頭にもジャバジャバと垂らしてやる。ユキは嬉しそうに目を細めながらタオル・シャワーを楽しむと、今度はお返しとばかりに……ブルルン!と、その身を震わせて水を撒き散らす(笑)。
夏が来るたびにもう何度も何度も繰り返している俺とユキのお気に入りのお遊びだ。
この時の気温はおそらく30度前後はあっただろう。だが生い茂る木々のおかげで直射日光は当たらず、空気もカラッとしていて過ごしやすい。夕食が出来るまで後二、三時間の余裕があったのでそれまでの間、俺はここで瞑想することにした。
目を閉じてほんの五分ほどが経ったころ、ユキがフワリと身を寄せて来た。?……俺は落ちついて目を開く。
ユキが視線を向けている方角を俺も注視するが特に変わったモノは見つからない。
すると……「……パキッ」っと、かなり遠くで小枝を踏み割るような音が聞こえた。
続いて今度は「ガサ、ガサ……ガサ、ガサ」と、草を掻き分けながら何かが移動しているような音が聞こえてくる。
そこに何らかの生きものが居る事はまず間違いない。
音というものは注意深く聞けば聞くほど沢山の情報を得ることが出来る。例えば、割れた小枝の大きさや、その小枝を踏み割ったと思しき動物の大きさや体重や移動速度、等々だ。
だがこの時に聞こえた音は、俺が今までこの原始山で出会ったことのあるどんな動物の物音とも異なっていた。イタチやタヌキやアナグマ、或いはイノシシやシカが移動する時に立てる物音とは考えられない重量感を感じた。
「(まさか……仮称ゾンビがとうとうここまで来たのか……?)」
という可能性が一番に頭を過ぎるが、それにしてはユキの反応がおかしい。鼻をピスピスいわせながら「(ねえ、あれなにー??)」みたいな視線を俺に向けてくる。
途切れがちに聞こえるその物音と、俺たちの距離はおよそ20メートル。今のうちに脱いだシャツをもう一度着込み、先日完成したばかりの新装備を腰のホルダーに吊した。
そしてソレは……いつの間に移動したものか、俺が注視していた草むらではなく、それよりも5メートル程手前の木陰から「ヌッ」と、その大きな姿を現す。
デカイ。黒い。丸い。……そしてその胸には白いVマーク……。
ツキノワグマ。
ツキノワグマが真っ直ぐに俺たちを見つめていた。
……うーん、だめだ、眠い。続きはまた明日書く。




