十九話 生ける屍の着信拒否
同日×3
一旦着信を拒否する。
非通知だと?。まさかオレオレ詐欺でもあるまいし、一体誰なのか……考えて分かる筈もない。もしかしたら藤本先生が気がついて……それでもわざわざ非通知にする意味が分からない。
じゃあグンテか?。
無くは無い。一応発信者の可能性が一番高くはあるけれどイマイチピンとこない。まあ、相手が本当に俺にかけてきたのかもハッキリしないし、もし本当に俺への連絡だったらまたかけて来るだろう。
とりあえず着信をすぐに拒否した事でこのスマホが今も誰かの人の手に有ることだけは相手方にも伝わっている筈。
「師匠、電話にでなくて良かったんですか?」
「非通知だったんだよ。ちょっとな」
「あーなるほど。それはヤですよね」
このまま進むか、それとももう一度倉庫に戻って着信が再びあるかどうか様子を見るかで少し迷う。ならばと困った時のユキ頼みでユキに視線を向けて見ると、チラっとこちらを一瞥したユキに知らん顔をされてしまった。
そっか、どうでもいいのな(笑)。
ユキの知らん顔はとりあえずある程度の安全の証しだと俺はこの時にはかなりの確信を持って理解し始めていた。だったら例え些細な事でも気掛かりな事を抱えたまま無理に進むより、少しだけ待って様子を見ることにする。
「悪い、また着信があるか少しだけ様子がみたい。倉庫の入口に戻るぞ」
「はい、分かりました」
万が一を考えてすぐに倉庫内へ逃げ込めるように再び通用口のチェーン錠を開けたところで、再び非通知の着信が入る。
「誰だ」
「ターちゃん、俺だ」
「はぁ……グンテか。どうした?」
「先ずはターちゃんの報告に対するお礼としての情報だよ。例の(臭い)に関する一次解析報告が出た」
「おお、早いな。それが気になってたんだよ。もしかしたらあの臭いで感染するんじゃないかってな」
グンテに回ってきた報告によると、まずあの臭いは屁やゲップとあまり変わらないモノだという事らしかった。但し問題もあった。あの通常の屁やゲップの何十倍にも相当する大質量のガスを作っている微生物が特定出来ないという事だった。
そうなると当然気になるのはガスからの感染が起きるかどうかだが、ガスの成分だけを鑑みれば恐らくそれは無いとの事で俺は少しホッとした。
但しそれにもまた注意が出ている。あの臭いの成分は空気の、酸素、窒素、二酸化炭素、メタンと、その他諸々の通常オナラ成分が既存の検査方法で確認されたのだが、この既存の検査には引っかからない謎成分の可能性も、この現状からすれば無視出来ない。
この注意事項はいわゆる「悪魔の証明」になってしまうところだけれど、これは仕方のないところだろうな。
それにしても微生物か。
てっきり細菌かウイルスだとばかり思い込んでいただけに虚を突かれた気分だった。まあ、でもまだ細菌とウイルスはいないと確定した訳でも無いのだが、気分だけはかなり軽くなった。
「いや助かるよグンテ。少しは気が楽になった。それに日本の研究機関もまだ生きてんだな。役所仕事なのかな?それにしては仕事はえーよなー(笑)」
「……いや、実はその事でターちゃんに謝らなければいけない事があるんだ」
──ハッ!。
あ。
あああ!……ここ数年はそんな事が全く無かったからすっかり今まで忘れていたけど……そうだった、油断した。グンテはこういうヤツだった。コイツはいつもいつもいつも、その賢い御頭脳様を駆使して、いつもいつもいつも裏で完全に根回しを終えて、退路を絶ち、完璧に包囲網を固めた後おもむろに……。
「あー、君はいま~完全に~包囲されている~。無駄な抵抗は止めて~大人しく投降しなさ~い!。き、君の、お母さんは、お、お母さんは!泣いているんだぞぉぉー!!」
……とかなんとかそんな風に人情に訴え、涙ながらに許しを乞いながら、トンデモな結末だけを俺に押し付けて反論の隙など一切与えず電撃的に謝り倒すのだ……。
瞑目して俺は幻視する。ヤツが電話の向こうで土下座している姿を。
俺にはヤツの美しい土下座がハッキリと見える。
俺はグンテほど美しく土下座出来る人間を他に知らない。そしてグンテの土下座ぐらい俺を恐怖させるものは無い。ヤバい。ヤバいヤバいヤバいヤバい!。一体俺は既に何をされてしまっているんだ?。
「ターちゃん、実はさっきの報告は日本から上がって来たものじゃあないんだ。最初はタイ、次にスリランカ、そしてアメリカ、中国の各政府にそれぞれ上がって来た報告を査読して要点をまとめた報告なんだよ」
「な、なんだそれ……………………………ま、マジですか?」
「……マジマジ。但し日本のエージェントは関係ない。そもそもこれらの報告は各国の政府に正規のルートで上がったもので、それをわざわざ丁寧に教えて頂いたものなんだ」
「……えっ?!ちょ、もうちょっと詳しく頼む」
「日本のスパイ天国と呼ばれる実情について、昔ターちゃんに散々愚痴ってた時期があったのを憶えているかい。あの時ターちゃんがくれた一言がそもそもの始まりなんだ」
全身の血の気が一気に引いた。
そんな話をした事も、ふんわりとなら憶えているけれど、勿論自分が何を言ったのかなど憶えている訳がない。とにかく俺は嫌な予感しかしない訳だが……本質的なところでグンテは皆にとって、良くなることしかしてこなかった。……信じてるぞ。
「これはある意味で日本だからこそ構築出来た《繋がり》でね、そうだなターちゃんに分かり易く言うと……エヴァンドリアンに出てくるゼーレよりも、よっぽど良心的な(良い)ゼーレ的な繋がりなんだよ」
「あの時ターちゃんは、この国はスパイ天国だからこそ楽だよな。って言ってくれて……俺にはそんな発想なんか逆さまに振っても出来やしない。それで閃いたんだ」
「最初はこの国に潜入している各国のスパイが仕掛ける罠に俺は自分からホイホイ飛び込んで行く事から始めた。確かにこの国の秘密は諸外国に筒抜けだけどそれでも何とかやって来た。その事をターちゃんは……」
『スパイのお陰で嘘や隠し事が少なくて済むのは案外楽だよなー』
「……そう、あの時ターちゃんが言った通り、この国には失って困る情報がある意味何も無いからこそ、やって来れたんだと気がついたんだ」
「だったらこの強みは有効活用しなければもったいない。だから俺は自ら罠に飛び込んで各国のエージェント達と直接的な接触を持つことから始めた」
「まあ詳しい事は端折るけど、約10年かけて各国に点在する目先の利益には飛びつかない、しっかりとした人格の人物達との気楽な繋がりをつくれた」
「そしてこの世界を憂う現場の人々が、相身互いに情報を持ち寄り始めた」
「確かにこの繋がりを始めたのは俺だけど、今は特に誰かが仕切っている訳でも無いし、一般的な経済的組織としての利害とはかなり無縁な繋がりに過ぎない。だからこの繋がりには固有名称すらない。従ってスパイ行為ですらない」
「で、ターちゃんに謝らなきゃいけないのはここからなんだよ」
「ちょ、グンテ、ちょっとだけ待ってくれ……」
「(いや確かにそんな事を話した覚えはある。あるけどなー、しかしなー、だけどなー……そんなただの世間話からそんな一大事をサラッとやって退けるのはお前だけなんだよーっ!)」
「(はぁぁーーーーっ……よし、腹は括った)……グンテ、どうぞ」
「昼の電話はその繋がり達からは最低でも八カ国のエージェント達と共有した。各エージェント達はあの話を翻訳して五分後には各上位部署に伝達している筈だ」
「という訳で本当にごめんなさい。ターちゃんに無断で本当に悪かったんだけど、ターちゃんは世界に向けてひとつの指針を発表した事になる」
「殺すな。という指針をね」
──────────────タラッ…
「し、師匠ぉ?!はなぢ、鼻血が出てます!。ティッシュティッシュ!あわわわわ!」
「あれ?何ターちゃん珍しいねー。何やら仄かに薫る若き女性の香りが……あークンカクンカ……ふむふむ。で師匠とかねー。ほおぉ、いやこれはこれは本当に珍しいですねぇ……」
「んぐっ……で、だ、グンテ。今のコレはどうなんだ」
「うん、ごめん。コレはガチガチにプロテクトの掛かっている守秘回線だ。繋がりの皆にもプライベートだと断りを入れている」
「……そうか、分かったよ。………………そ、こ、で、だ、グンテ!……もうこれ以上は無いよな!」
「Japanese non-killing primitive man. 」
「この日本の現場に居る繋がりのエージェント達は、日本の原始人の殺すなという君の言葉と行動をとても高く評価している。一部はもう崇拝といっていいレベルだよ。多分その内そっちにも顔を出すん……あれ?ターちゃん?………」
「……う、ヴッフォォォォ!!」
「し!師匠!あわわわわ!大丈夫ですか!あわわわわ!大丈夫ですかー!!」
俺は不覚にも変な声と変な液体を我慢出来ずに、思いっきり吐いてしまった。




