二話 生ける屍のお買い物
20××年 6/19 雨
今日も雨、か。
だったら、まあせっかく日記を付け始めたことだし、俺視点での事態の始まりから今までのことを、ここで一度まとめておこうと思う。
仮称ゾンビ・アポカリプスが発生する以前の俺の生活は、山の恵みを中心とした自給自足の生活を始めてから五年目を迎えていた。
五年前……先の大震災で被災した俺は、しばらくの間消耗し切ってしまい、友人の助けを借りてなんとか立ち直るまでにおよそ半年を要した。
その間に俺は、本気で悟りを開きたい、解脱を果たしたい。と、そう考えるようになっていた。
世界や世間を一瞬で根底からひっくり返される経験を二度も積まされた事で、俺は金や社会的成功などといった、いずれ必ず失われるお宝などから一切の興味を失っていた。
だが人生とは皮肉なもので金に対する興味を失った途端に、俺の手には幾ばくかの小金が降って湧いた。
それまで勤めていた会社の復興の為に是非とも力を貸して欲しいとの依願も丁重に断って受け取った退職金を始めに、震災復興費由来の保険金や見舞い金が次々と俺の手元にも落ちて来たのだ。
これは悟りを開くという俺の希望を具体的に実行するべく、金という追い風を……雲の上におわす御方様が吹かせてくれたのではないかと、俺はそんな妄想を楽しめる程度には回復していた(笑)。
それからの俺は、縁もゆかりもない中国地方に移住して、小さな山をひとつ数百万円で購入していた。小さな、とはいえ七千坪はある広くて低い山だ。
いざこの山に移住してしばらくの間、例え低山とはいえ厳しい山暮らしは、半年もの間腑抜けて鈍りきった俺の身体を鍛え直してくれていた。
そんな日々の生活以外にも、鬱陶しい密猟者グループとの攻防や、しょうもない不法投棄に纏わるヤクザ紛いの素人業者とのイザコザに振り回されて憧れの瞑想生活とはかなりブレながら現在に至っている。
それでもユキとの出会いを始め、得難い幸運な出会いも幾つか有った。
そして一昨年前からは軽いアルバイトで月に十万程度の収入を得られるようにもなって、残り資産の確保にも目星がつきはじめていた。
そんな五年間の原始人的な生活は、またしても、この世界が一瞬で変えてしまった。
では、これから俺が仮称ゾンビを初めて見た時の話から始めよう。
……あれは……そう、去年の6/25のことだった。
忘れもしないその日は俺にとって楽しい楽しい給料日だった。俺はルンルン気分で我が菜園帝国で使う為の新しいスコップや杭等を買うために家からホームセンターに出かけるところだった。
この菜園は山中にありながらかなり広めに開墾している。おかげで前年からは俺一人が食う分くらいは十分に収穫出来ていたのだが、ここ最近になって野生動物達が菜園に侵略し始めていた。
それまでは我が家の愛犬「ユキ」の尽力によって平穏が保たれていた訳なのだが、その当時のユキは皮膚病の治療の為、馴染みの動物病院にしばらく預けていた所だった。
菜園に残された足跡等から察するにおそらく犯人はタヌキとイノシシ、あとは近くの川っぺりから出張ってきたヌートリアなどが主たる容疑者だった。
だが、もともと動物好きな俺としては多少のお裾分け程度なら全然構わないと考えていた。
…………けどなぁ、野生の動物はやはり野生であって……お行儀ってモノがまるでなっちゃあいなかった(笑)。
あっちの野菜をひとかじり、こっちの野菜もひとかじり……と、全くもって欲望の赴くまま好き勝手に菜園の野菜を食い散らかしていた。
例えばキャベツならキャベツを一つ二つ丸ごと食べ尽くすのなら、まだ許容出来るのだが、こうもやりたい放題に食い荒らされては、さすがの俺も激オコなのである(笑)。
まあそんな訳で俺は菜園に簡単な防護柵でも作るための材料を買い揃えた後に、その日はユキの退院予定日でもあったので帰りにはユキを拾って帰るつもりで出かけていた……日差しも穏やかな平日の午後の事だった。
青々とした田畑に囲まれる生活道路を小さなバイクでのんびりトコトコと通り抜け、大通りへと出る。
因みに我が愛車、スーパーカブは積載性と収納性に置いてかなり力を入れたカスタムを施している。移動時にユキがバイクに収まるケージはリアキャリアやサイドキャリア、叉はフロントキャリア等に固定できる。
片側二車線ある幹線道路に出て見ると、上下線共に停止した車で埋め尽くされていた。大渋滞だ。普段この辺りはこんな大渋滞が起こるような場所では無い。
怪訝に思いながらも俺のスーパーカブ・改は長く伸びた車列の路肩をすり抜けて行く。
やがて左にゆるくカーブした幹線道路の先には行儀よくテールランプをこちらに向けて一列に並んでいる車列の先に、一台の車が横柄そうに横っ腹を晒しながらガードレールに突っ込んでいる様子が見えた。
一旦バイクを止めて立ち上がり、周囲に視線を巡らせる。
すると対向車線でも所々で何台かの車がおかしな方向に頭を向けて道を塞いでいることに気がついた。どうやら追突事故、それも同時多発的に起きた事故渋滞らしい…と、そう思った時……
「******ーーーー!!」
と、どこからか人の叫び声のような音が聞こえてきた。
今にして思えば、当然普通の事故ではない。だが、この時の俺は事故を起こしたか巻き込まれでもしたドライバー達が頭にきて罵声を上げ……せいぜいその程度の平和な口げんかでもしてているだけだと、そんな風に決めつけていた。
すると、それまで大人しく停車していた車からもチラホラと人が降り始め、辺りには何か不穏な空気が漂い始めた。
「(ああ、まずいな。せっかくユキの退院日なのに揉め事なんかゴメンだ。ここからサッサと離れないとな)」
そう思って辺りを見回す……までもなく。
ちょうど俺の左側には幅1メートル程の狭い路地が伸びていた。こういう時この小さなバイクはとても便利だ。
大渋滞している幹線道路から狭い路地へ抜け出し、不気味な混乱の兆しを見せはじめていた事故現場を大きく迂回しながら、ようやく俺は無事にホムセンに到着した。
駐輪場にバイクを停めてホムセンの入口に向かいながら、俺は柵の完成図を頭に思い描き、自動ドアをく……ぐっっ!!!!
ーーーいきなりー!得!体のーー知れない何かーーーが俺の全!身を叩きーーつけーーー!!。
ーー何!ーーーがーー何だーーかーーー分から!ーーーないーー。
ーー数瞬、自分がよろめいて数歩後ずさりしーーとんでもなーーい〈臭気〉にーーーー当てられて身体がーー拒絶反応をーー起こした事を理解ーーー入口の自動ドアが閉まりーーーそれからーーしばらくして……
……ようやく、意識が、しっかりしてきた。
「(ガスかっ?!)」
涙目になりながら、さっき自分の全身を隈無く叩きつけるかのような衝撃を与えたものの正体が一体何なのか──閃いた。
「(毒ガスか?! ヤベえ!!)」
そう思った瞬間、閉じた自動ドアの向こう側にうずくまるようにして折り重なった二つの人影が居ることに気がついた。
上に乗っている人影がモゾモゾと蠢いていた。
下になっている人影がピクピクと蠢いていた。
倒れている二つの人影を視認した俺は、このガスを吸い込んで倒れたのだと、そう勝手に思い込んだ。
そして反射的にバッグからタオルを引っ張り出し、自分の鼻と口を覆う簡易マスクにしながら助けに入ろうと一歩を踏み出した、落ち着いて、その時。
上から覆い被さっていた人影のーーーー
その、女性の頭がーーーーーー
「ブン!」
と、跳ね上がっーー
口から赤い糸を垂らしーーーーーーーー
何かを勢いよく噛み千切った反動で頭が跳ね上り、そいつの視線が、一瞬、ギョロリと、俺の方に向いていた。