十四話 生ける屍の上級甲種
……も少し同日。
裏口をそっと潜り抜けたその瞬間、急にスマホが震え出した。
俺に親兄弟はいない。友達も少ない。こんな異常事態時に一体誰かと思って着信画面を覗くと、俺の幼なじみ、中野 孝一郎からの電話だった。
「おう!グンテ!大丈夫かおまえ!」
「ああ!勿論だ!ターちゃん!!」
グンテこと中野 孝一郎は、小学校から高校までの間、何をする時でもよく一緒につるんでいた俺の親友だ。
その後、俺達二人は別々にではあるが「二度」の大震災で被災することとなった。
震災後、山暮らしの原始人生活に入ってからグンテは、忙しい仕事の合間を縫って既に三回も遊びに来ている相当な物好きでもある。
その忙しい彼の仕事とは、今年からこの日本の内閣に入閣している政治家だ。
根本的に俺とは出来の違うお頭脳様をお持ちのグンテ君は東大に一発合格し、そこから上級甲種も一発クリア。
そして十年後に官僚から政治家へと華麗なる転身を果たしている大物さんなのだが……俺にとっての中野孝一郎は、ガキの頃からよく知ってる泣き虫のグンテでしかない。
「ターちゃんなら絶対に大丈夫だとは思っていたけど……本当に良かった!」
「ああ俺もだ!。グンテ、お前今やっぱり永田町なんだろ?。東京はどうなっている?!」
「……もう、無茶苦茶だよ。内閣は今、機能停止寸前だ」
正直ここまでグンテの事などはすっかり忘れていたし……ましてや政治的な事を気にしている余裕も無かった。それも当然だろう。
それはグンテにしても同じ筈……いや、仮にも政治家である彼が、この危急存亡の時にわざわざ俺に連絡を入れて来ることそのものに違和感がある。
「グンテ、何があった、話せ」
俺の方からも聞きたい事が山のように浮かぶ……現在の状況、政府の対応、諸外国の状況、そしていわゆる「特ア」による暴走の可能性等々がどうなっているものか、気になって仕方がない。
俺はその「気になる」という思いをグッと飲み込んだ。
グンテは言ったじゃないか。「内閣は機能停止寸前」だと。
しかしそんな話は今、民間人であるこの俺と、一般の電話回線でするべき話では無い。
このスパイ天国日本において政府の要人が今このタイミングでかける電話を無視する筈が無い。それにグンテはどんな時でもウッカリ秘密を漏らすような間抜けでも無い。そもそも俺は国家機密になど縁のない、自称原始人だ。
だったら、グンテは俺以外の誰かにもこの話を聞かれる事を前提に喋っている筈だ。
それなら俺はグンテの話を聞く事のみに専心するべきで、俺から何かを喋る場合は全世界に向かって怒鳴りつけるぐらいの覚悟が必要だ。
とにかくグンテに話の先を促す。
「相変わらず気遣いの人だねターちゃんは。本当に安心したよ……」
「だから……何でもいい!、何か手掛かりが欲しい!……頼むっ、ターちゃん!」
……そこまでなのか。一国の閣僚が、例え友達とはいえ……と、俺はしばし言葉が出なかった。
あまりにも不自然極まりないが、このゾンビ・アポカリプスの始まりが日本全国……或いは全世界同時発生だったとしたなら、この事態に対する情報的経験値など現時点では、国家レベルも個人レベルも、そう大差ないという事なのか。
なら、昨日の龍子ちゃんとの話し合いが少しは役に立つかも知れないと俺は考えた。
「分かった。俺が知るところは全部話す。その前に三分時間をくれ。安全を確保する」
「すまん!」
「いいって、じゃあそのままで……」
俺はユキを中に招き入れ裏口のドアを静かに閉める。龍子ちゃんと美智子ちゃんに変わりが無いことをもう一度確認してから、受け付けのソファーに腰を下ろし、一口水を飲んだ。
「ふう……待たせた、いいか?」
「頼む」
そして俺は昨日から藤本先生と共に何度も話し合い摺り合わせた事実と、あくまでも推論でしか無い部分が変に混ざらないよう整理しながら話しを始めた。
「****〜〜だから、今の所はたった一件の事例だが、この仮称ゾンビは視覚を奪う事で無力化出来るのかもしれん」
「まだその辺で暴れている奴がいたらふん縛って、タオルか何かで目を隠してみろ。それで大人しくなったら儲けもんだ」
一応、美智子ちゃんと藤本先生の事は伏せながら話を続ける。
「それと、もし第一世代っぽい奴に噛まれたらすぐに消毒だ。何がよく効くのは分からんがとりあえず俺の手元に有ったのは過酸化水素とアルコール系の消毒液だ。だがこれは関係ないかもしれんぞ」
「あと顔なら顔、腕なら腕と、どこか一カ所だけ素肌を見せれば、仮称ゾンビ達の攻撃目標をそこに誘導出来そうだ。まあ、どっちもどっちだがオススメは腕だな」
「これは仮定だが、もしもウイルスが原因だったとして、もしもそのウイルスの最終目標が大脳だったなら、噛まれた場所と脳の距離が開けば開いているほど発症までの時間が稼げるかもだ。これは推論だが自信アリだ」
「それと感染しているかどうかの診断だが、傷口を触ってみて痛みや他の感覚が無ければ第二世代として感染している可能性が高い。これもたった一件の事例だし、噛み傷に限った話だから参考までに留めてくれ」
「んー……俺の方からはこんなとこだ。グンテ、質問はあるか?」
「……いや、参ったな。凄まじいよ……やっぱりターちゃんは凄いよ。手掛かりとしては十分だ」
「いや、たまたま医者と合流して散々やらかした事に後付けた屁理屈と、医師からの入れ知恵ばっかりだけどな」
「なあターちゃん、もうしばらくしたら一般回線も落ちて連絡も難しくなると思う。だけど! 俺は何時かまた必ずターちゃんの原始人屋敷に遊びに行くからな!」
「ああ分かった!、待ってるよ」
「じゃあ最後にひとつ、お前の立場では難しいだろうけど……アレは絶対に殺すな。ウイルス云々はともかく、奴らに怒りを持って立ち向かっても、俺達に勝ち目は無い」
「……最終的には共存しか無いと俺は思う」
「くっ!! ………………そうか、いや……多分、そうだろうな。……とにかくありがとう!」
「それと、ターちゃんこそ殺されるなよ!」
「ああ!」
「またね」「またな」
思わぬ親友からの電話に……内容的にはかなり不安材料満載な会話しかしていないが、それでも俺の気分はずいぶん晴々と軽くなった。
グンテの経歴だけを見れば絵に描いたようなスーパーキャリアの持ち主に見える。それも間違いではないが、だからと言って彼が必ずしも苦労知らずのリア充という訳でも無い。
実際、俺だって胸を張ってコイツは「ダチ」だよ、と宣言出来る相手の数などグンテや龍子ちゃんを入れて片手の指の数以下しかいない。。
しかもグンテ曰わく、ヤツにとっての友達は俺しかいないそうだ。
まあ、金と欲が渦巻く権力の世界では、仮称ゾンビよりも更に人外な生き物ばっかりなのだろう。
グンテはちょっと俺に依存気味なところはあるが、俺もグンテもいい歳だ。そんな俺達が幸いなのは、お互いの立場がどれだけ変わろうとも、会えばすぐにでも、やんちゃで泣き虫だったガキの時代に戻る事が出来るのだ。
さて、グンテのおかげで無駄に元気も出たところで、俺は再度二人の様子を見ようと先ずは手術室に向かう。
血と汗の臭いがこもっているがエアコンも効かない以上、今は仕方がない。今のところあのガス臭がしていないところにも光明がある気がする。
次に診察室に入る。
うっすらと香るあのガス臭の他にもある匂いに気がづき、俺はその匂いの正体に察しがついた。
確か犬猫用のオムツがどこかに有った筈だ。吸水材さえあればいい……あった。あとはもうスウェットとかでいいだろうと決めて必要なモノをかき集めてきた。
濡れた衣服は全てハサミを入れて取り払った。思い切って拘束ベルトも全て外し、美智子ちゃんを床に下ろす。診察台の水分を手早く拭い取って新しい大きなタオルを敷いた。
大人しくしていた美智子ちゃんを抱き上げようとして…………俺は気づく。
軽いんだよ。
以前、美智子ちゃんが龍子師匠直伝の破邪顕正☆ミコチン☆桜花絢爛とかいう大変な大技を俺にブチ込んで来たことがあった。
あれは……重かったんだよ。こんなに軽い体重じゃあ絶対に出せない重さだった。
などと、少し感傷的になりながら俺は作業を進めた。美智子ちゃんの全身を濡れタオルで拭いて診察台にそっと横たえる。点滴が抜けないように確認して俺は美智子ちゃんの腰だけをベルトで固定した。
さすがにもう、四肢を縛り上げる事など俺には出来なかった。
改めて裏口のドアノブに手をかける。確認は済ませた。
そして俺は今度こそ、不気味な静けさが漂う幹線道路に再び踏み出した。




