96『キャスリーンの過去』
昼過ぎにフィーナ達はキャスリーンのいる魔道具分野棟へと訪れた。
機関は本棟を中心に、三棟の建物によって囲まれるように建っている。王都の敷地にこれほどの建物を収容する面積はなく、王都の外に建てた。多少王都との行き来に不便はあるが、大抵は機関の周辺に出来た店などで事足りる。
先日、国王から第十七番街と正式に認められた。これからさらに発展に拍車がかかるだろう。
食堂は本棟の一階に位置しており、地域の住民も、混雑時でなければ食べにこれるようになっている。しかし、魔女ばかりの機関に来るような人はおらず、今まで一人も外からの客はいない。
フィーナ達は本棟から魔道具分野棟へと繋がる通路を歩いていた。通路は各棟を繋げる連絡路の役割をしており、一階と三階にある。本棟から各分野棟への主要通路から、魔道具分野棟から魔法分野棟までの通路などが存在している。
さらに別棟には魔女達の寮を備えてある。街の宿屋にも劣らぬ寮を無料で利用できるのも、機関に所属したがる魔女が多い要因だ。
この大規模な施設を建てたのは創立時から教官として働くことになっていた魔女達と、王都魔術ギルドである。
フィーナ達もその中の一員だったので、言われるがままに魔法を行使していたが、出来上がったものを見て、口が開きっぱなしになったものだ。その指揮をとった者がヘーゼルだと言うのだから、やはり王都のギルドマスターは違うなと、レンツの小さなギルドマスターを思い浮かべながら呟いたものだ。
一階の通路は中庭とも繋がっており、構造状『クーラー』の魔道具を設置できなかった。そのため、容赦無い陽射しと、うだるような暑さがフィーナ達を襲う。湿度があまり高くないのが救いで、フィーナは陽射しから逃げる様にデイジーの影に隠れた。
「あー、フィーナずっこいよ! デイジーはイーナの影に入るー」
「ちょっと、私はどうするの? 私だけ陽射しに当たってるんだけど」
「魔道具分野棟に着くまで我慢だよ。それとも日除けの土人形でも出そうか?」
「やめてよ。でもフィーナ達は私の歩く速度に合わせないといけないよね」
イーナはそう言うと、わざと立ち止まったり、早く歩いたりして、フィーナ達のペースを乱した。イーナの影に入っているデイジーは、持ち前の俊足を活かし、やすやすと付いていっているが、足腰の平凡なフィーナはそうはいかず、すぐにデイジーの影から放り出された。
フィーナがぷりぷりと怒りながら、イーナの影に入るべくデイジーを押す。しかし柳に風、暖簾に腕押しとはよく言ったもので、デイジーは影の中にいながらも、フィーナの手をひらりひらりと躱していた。
その流れでフィーナとイーナ、どちらが先にデイジーの影を踏むかの競争が行われ、魔道具分野棟に着いたのは、フィーナ達が汗だくになって息を切らす頃だった。デイジーは変わらず涼しい顔をしている。
「はあはあ、私達何やってんだろ……」
「フィーナが、言わないでよ……はあはあ、始めたのはフィーナじゃない」
「姉さんも、楽しそうだった、よね? それにしても、デイジー、身のこなしが、人間離れしすぎてない?」
息切れでところどころ呼吸をしながらでないと会話が続かない。
そこに何も知らないキャスリーンがやって来た。フィーナ達の来るのが遅いので、迎えに来たのだ。
「まあ! フィーナさんったら、そんなに息を切らして! わたくしに余程逢いに来たかったのですわね? 嬉しいですわ! それにイーナさんも! ……デイジーさんは汗一つかいてませんわね。はっ! わたくしに逢いたくて、一番に来てくれたのですね!? しかし一人で会う恥ずかしさに耐え兼ね、ここでお二人を待っていたのですわ!」
キャスリーンは妄想全開でキラキラとした瞳をフィーナ達に向けた。デイジーはあらぬ誤解を受け、必死で説明したが、無駄である。
キラキラ瞳になったキャスリーンには何を言っても肯定的に捉えられるのだ。「あなたの事が嫌いです」と言ったとしても、照れ隠しと受け取る。キャスリーンは友達が少なかった故に、変な方向で前向きだった。悲しい話である。
「キャシー……飲み物もらえる? 動いたら喉乾いちゃって」
「すぐにご用意致しますわ!」
この状態になってしまったキャスリーンには、お願いをして、注意を削いでしまうのが手っ取り早い。
キャスリーンは手をパンパンと叩くと、盆にコップを三つ乗せた、キャスリーンの取り巻き一号が瞬く間に現れた。レンツにもいた数人の取り巻きのうちの一人だ。他に取り巻きの姿はない。どうやら、機関に入れたのはこの取り巻きだけのようだ。
「どうぞ」
取り巻きがコップに水を注ぎ、氷魔法で氷を作り、水の中に浮かべる。その所作には一切の迷いは無く、熟練の技術が垣間見えた。
フィーナはコップに注がれた水を飲み干し、大きく息を吐く。冷たい水がフィーナの胃袋を伝い、清涼感に清々しさを覚える。
「ありがと! えーと……」
なんという事だろうか。キャスリーンとよく顔を合わせるため、この取り巻きの顔もよく知っているが、名前を知らなかった。顔を合わせば挨拶をする間柄なのに名前を知らないのだ。キャスリーンも、取り巻きのことを「あなた達」としか言わなかったため、耳にする機会もなかった。そもそも何故キャスリーンの取り巻きをしているのか疑問だった。
「サンディです。よろしくお願いします」
取り巻き一号ことサンディは察したように名乗った。しかし嫌な顔一つしていない。
「あら、サンディはフィーナさんと初対面ですの? 言ってくださればご紹介してあげましたのに」
「いえ、私は影が薄いだけですから、名前を知られていなかっただけです」
「そうですの? 確かに、いつもどこにいるかわかりませんものね。でもあなたが一番気が利くし、優秀ですわ。フィーナさんに付いていこうとするわたくしに付いてくるならば、あなたの様に優秀でなければ務まりませんもの」
今頃、残りのキャスリーンの取り巻き達はレンツの村で猛勉強しているのだろうか。それにしても、キャスリーン達からすれば、フィーナ達はどう見えているのだろう。毎回難度の高い依頼ばかり与えているので、いつも必死なのは知っていたが、付いてくるのも難しい物だったのだろうか。
フィーナは今までのことを客観的に思い出してみた。ある魔女達がめきめきと頭角を現し、国王にも気に入られ、勲章を授かる……まるでお伽話だ。
(色んなことをやってきたけど、振り返ってみると、とんでもないなー)
フィーナが物思いにふける様を見たのか、サンディがキャスリーンを促した。
「お嬢様、フィーナさんが退屈してますよ。早く行きましょう」
「あら、それはいけませんわ! フィーナさん! わたくしの研究室に来てくださいまし! わたくしは先に行って、依頼の品を用意しておきますわ! サンディ、フィーナさん達をお願い」
キャスリーンは足早にフィーナ達の元から去っていった。
「こちらへどうぞ」
サンディは飲み終わったフィーナ達のコップを受け取り、盆を脇に抱えて歩きだした。その所作は毅然としていて、他の取り巻きたちにはない優美さを持ち合わせていた。
サンディは小さめのくたびれた三角帽子を片手で器用にかぶり直した。何度もその仕草を繰り返しているような、手慣れた仕草だ。
フィーナはサンディの隣に並び、フィーナより少し背の高いサンディに、小声で話しかけた。
「ねえ、サンディさんはどうしてキャシーに……その、付き従ってるんですか?」
サンディは穏やかな笑みを浮かべ、物憂げに語り始めた。
「フィーナさん、お嬢様の父君のことはご存知ですか?」
フィーナは首を横に振った。魔女の間では父親の話はタブーとされている。なので、フィーナもレーナに父親のことを聞いたことはないし、聞こうともしなかった。
しかしサンディはタブーである父親の話をしようとしている。それも他人であるキャスリーンのだ。他の魔女が聞けば顔をしかめるような行為である。
サンディはフィーナだけに聞こえるほどの小声で話を続けた。
「お嬢様の父君は貴族なのです。それも公爵という非常に身分の高い方です。お嬢様の母君、マリエッタ様と父君は恋に落ちました。しかし、身分的に禁じられた恋愛でした。それでもマリエッタ様と父君は隠れて逢瀬を重ね、ついには子どもを授かったのです」
なんというありがちな恋愛話だろうか。現実に起こることもあるのか、とフィーナは苦笑いを浮かべた。
「その子どもがキャスリーンということですか」
「はい。しかしお嬢様の身は公爵家にとって、邪魔でしかありませんでした。身籠ったマリエッタ様を助けるため、父君は私の母をマリエッタ様につけたのです。そしてマリエッタ様は故郷のレンツで出産し、私の母も同時期に出産しました。私は生まれた時からお嬢様をお守りしようとしていましたが、フィーナさん達に洞窟で助けられてから、自分の弱さを知り、強くなろうと決心しました」
「それで今もキャシーのお付きに?」
「この命尽きる時まで」
サンディは神妙に頷いた。
フィーナは知らなかったのだが、仕入れの為にメルポリに行っていた道中で何度か襲われたこともあったそうだ。その時の怪我でサンディの母親はお付きを引退し、サンディに後のことを任せたそうだ。
「へぇ……すごい覚悟ですね。あれ? じゃあ他の取り巻き……失礼、お供の魔女達は?」
「あの者達は公爵様が秘密裏に送ってこられた魔女達です。なので、私を含め、レンツ生まれの者はお嬢様の周りにはいませんでした。フィーナさんと過ごすお嬢様はとても幸せそうです。本当にありがとうございます」
キャスリーンの意外な過去を聞いてしまい、フィーナは複雑な気持ちになった。それと同時に、不安にもなった。
「今はキャシーもマリエッタさんも王都にいますよね? 公爵家の人に見つかるんじゃないですか?」
サンディも厳しい顔つきになり、俯いた。
「ここ五年程は襲われることもありませんでしたが、公爵家の者が王都に来たマリエッタ様とお嬢様を見て、危害を加えるかもしれません。幸い、お二人共機関に滞在しているので、問題は起きておりませんが……」
機関の魔道具分野棟から動かないキャスリーンやマリエッタには、手出しはできないだろう。しかし、本棟の一階部分は地域住民にも開け放たれている。良からぬ考えを持ったものまで入る可能性があり、キャスリーンやマリエッタも本棟の一階に行くこともあるだろう。
もし公爵家の者が成長して一目で気づかれないキャスリーンはまだしも、マリエッタを見つけてしまえば、権力に物を言わせて圧力をかけてくるに違いない。マリエッタは機関の教官で、キャスリーンも優秀な魔女だ。機関は圧力には屈さないだろう。そうなってしまえば、機関と貴族の対立を生む可能性もある。
問題が起きなくすることは簡単だ。マリエッタを教官の任から解き、キャスリーンと共にをレンツに帰してしまえばいい。だが、楽しそうなキャスリーンや、頑張るマリエッタに対して帰れとは言い辛い。
マリエッタは公爵家の事をどう思っているのだろうか。もう五年も襲われていないので、楽観視しているのだろうか。
フィーナはサンディにその事を聞いた。
「私にもよくわからないのです。ですが、マリエッタ様はお嬢様のことをいつも考えてらっしゃいます。そのため、お嬢様のしたいようにさせ、それを補佐する為にも機関に所属しているのではないでしょうか」
サンディは予想を建てたが、直ぐにそれは違うと思い悩んだ。
機関にはマリエッタの方が先に来て、キャスリーンは後から来たのだ。それにマリエッタはキャスリーンが機関に所属した事に驚いていた。
サンディの予想なら、マリエッタがキャスリーンより早く機関に所属する必要はない。むしろ公爵家から発見される恐れすらあるマリエッタは、キャスリーンが機関に所属したいと言い出すまで、レンツにいた方が良かったはずだ。
フィーナは探偵のように顎に手を当て考え込んだ。
(状況から考えると、マリエッタさんには機関に所属したい理由があったはず……それもかなり大きな理由……。マリエッタさんがそれ程までに機関に所属したがる理由……やっぱり父親の公爵様? けど公爵家の人達に見つかるとやばいのに、よく王都の近くまで来れたね)
正直、キャスリーンの家族関係のことは深く知らなかった。どうしてキャスリーンが偉そうな口調をしていたのかとか、マリエッタの貴婦人のような口ぶりに困惑はしたが、まさか本当に貴族と繋がりがあるとは思わなかった。
これまた大変なことを聞いてしまったと、フィーナ内心後悔しながら魔道具分野棟の階段を登った。
「お嬢様はご自身が貴族の娘であることを知りません。フィーナさんもくれぐれもお嬢様には内密に」
フィーナはこくこくと頷いて、承諾した。
(マリエッタさんはどうしてキャシーの貴族っぽい口調をなおさないんだろ? 貴族絡みの厄介事があるのだから、せめて口調くらいは普通にした方がいいと思うけど)
あまり首を突っ込むと、フィーナにも厄介事が舞い込んできそうな感じがしたので、フィーナは何も聞かなかったことにした。
そうこうしている内に、一行はキャスリーンの待つ研究室の前まで来ていた。
思ったより長くなってしまった……