89『守り人』
「えーと、ローデン男爵の弟さんですか?」
ヘーゼル達に代わってフィーナが口を開く。本来ならばヘーゼルが会話しなければならないはずだ。フィーナはヘーゼルに異議を申し立てるような顔を向けたが、ヘーゼルは生気の抜けた青年を凝視したまま、こちらに気づきもしない。
「いかにも、アイザックと言う。よろしく」
アイザックと名乗る青年は握手をしようと手を差し出したが、悲しげな顔をした後、直ぐに手を引っ込めた。
「アイザックさんが王都の魔術ギルドに依頼に来たんですか?」
「そうだよ。街の外では魔分が足りなくて厳しかったけど、何とか依頼を出すことが出来た。かなりぎりぎりだったけど、間に合って良かったよ」
「遅れた理由については彼女に聞いてくださいね。彼女は魔術ギルドのギルドマスターですから」
フィーナがヘーゼルをちらりと見ると、ヘーゼルはドキリとしたように背筋を伸ばして話した。
気味が悪くて受けてくれる魔女がいなかったと正直に話すのかと思っていたが、割と柔らかい表現で説明している。要約すると、難易度に見合った魔女を見つける事に手間取っていた、という風に説明している。
嘘ではないので、フィーナも余計に口を挟まないで、黙ってヘーゼルの説明を聞いていた。
ヘーゼルは一通り話した事で、多少警戒を解いて、アイザックとの会話に混ざるようになった。
「この街の魔分が魔女も近づけないほどとは思いませんでした。そうか………五十年……誰も近づかなかった理由がわかりました」
「アイザックさんは……その……魔人……ですよね? 五十年間なにをしていたんですか?」
アイザックは天井に視線を向け、思い出すかのように目を閉じた。五十年、フィーナとしてかなり長い時間だ。その間、アイザックは何をしていたのか、なぜ他の魔人達と同じく、悪魔召喚の儀式に参加しなかったのかが気になった。
「そう……私は魔人……。生きる屍だよ。さて、どこから話したらいいのかな……。そうだな、じゃあ五十年前の事から話そう」
アイザックが視線をフィーナ達に戻し、指を組んだ。イーナは地蔵スマイルを崩すことなく置物と化していて、デイジーは警戒は解いているが、アイザックを注意深く観察している。
「五十年前……この街の領主の庭に一本の木が植えられたんだ。どこから運ばれてきたかは知らないが、とても珍しい物らしくて、領主はいつも自慢していたよ。ところがある日、街の魔女達があの木は危険だと騒ぎ始めたんだ。すぐに処分するように領主に陳情したが、その木を気に入っていた領主は頑なに拒否した」
人より魔分に敏感な魔女が、魔分を生み出す木の危険性に初めに気づくのは当然だろう。
「その時既に領主は木に魅了されていたのかもしれないね………。領主は何度も上がってくる魔女達の忠告を撥ね退け、あまつさえ、執務の妨害だと非難したんだ。それから魔女達は大人しくなったよ。いや、水面下ではあの手この手で木を処分しようと策を講じていたけど、領主と忠臣がそれを悉く躱していたよ」
魔法を扱える魔女の策を躱せるなんて、なかなか出来るものではない。思うに、その領主は実力ではかなり有能な人だったのではないだろうか。
「処分する事が不可能だと悟った魔女達は、今度は人々を避難させ始めた。濃い魔分の危険性を伝承として伝え、ガルディアの街にその脅威が迫っているとも……。当時の国王陛下の警告もあって、ほとんどの民が街を離れた。魔女達は国王陛下と協力して大勢の民を救ったんだ」
現在では愚王として謗られる当時の王の判断は英断だったようだ。それ故に、現在の避難民の子孫達がスラムに住んでいるというのは居た堪れない。
「魔女や国王陛下の力で民を救うことは出来たけど、全員ではなかった。およそ一割は街に残ったんだ。領主一族を始め、それに与する者達や、魔女や国王の話を信じなかった者達、そして体が弱く、旅立つことの出来ない人達なんかがね……。それから一年程で街は封鎖され、残った者達は大抵魔物に襲われて死んだよ。私のように魔人化すれば魔物に襲われることはないんだ。けど、平民達が魔人になることは無かった。私は気がつくとこの体になっていたけどね」
アイザックは自嘲気味に笑ってみせた。
魔人になると、年を取らず、腹も空かず、魔物に襲われることも無くなるらしい。アイザックは自分を生きる屍と言っていたが、死に体のような表情を見る限り、的を射ているのかもしれない。
「私は不思議に思った。なぜ平民は魔人化せず、私のような貴族達が魔人になるのか? 私は貴族だから魔人となったのではないか? とね。当時は私もまだ若造で、貴族は平民とは違って特別なのだと考えていたんだ。けどそんな考えも、家の使用人達までもが魔人化したところで改めたよ。兄さんも私のそんな傲慢で驕り高ぶる気質を見破って、私を嫌っていたのかもしれない」
貴族の使用人達は大抵が平民の出だ。いくら貴族と近しい職だとしても、貴族とは圧倒的な上下関係にある。しかし魔人になるのに、貴族や平民といった括りは意味をなさない。人間であるかが重要だったのだ。
街の構造を見る限り、中心街の貴族街より周囲の平民の住まう所のほうが魔物に狙われる可能性が高い。魔物が外からやって来たにせよ、中で発生したにせよ、貴族街が襲われなかったのは平民達が肉壁となったからだ。
「魔人化した者の中には自我を失い、攻撃的になる者もいた。その為、魔人化の兆候が現れると、周りの者が危険かどうかを判断し、危険であればその場で殺すことにしたんだ。無論、この私が魔人化した時もね。……おかげで多くの人達が死んだよ」
それはなんと凄惨な光景だっただろうか。友人を、部下を、家族や恋人に刃を向けなければならなかっただろう。ローデン男爵邸に初老の執事以外使用人が見当たらない事も、魔人化した人々が皆攻撃的な性格になったであろうと予測させる。
「領主一族とそれに与する者達も、皆魔人化した。けれど、彼らは魔人化した人々を殺す事はしなかった。代わりに牢に入れたんだ。最初はなぜそんな事をしているのかわからなかったけど、やがて全員が魔人化した後、牢に入れられていた魔人達と共にある儀式を始めた。それが街を封鎖されて二年後の事だ」
始めた儀式というのは恐らくフィーナ達が見た悪魔召喚の儀式だろう。そうだとすれば、四十七年間ずっと召喚の儀式をしていたことになる。悪魔を召喚するにはそれ程時間が掛かるものなのか。
「私は狂った魔人が訳の分からない儀式をしてる程度にしか思っていなかったが、ある時、様子を見に領主の館に赴いた私は、儀式の中心となっていた木に心を奪われそうになった。見ているだけで、あの輪に加わりたくなったんだ。それと同時に私は恐れた。あの木に魅了されかけた自分に……」
召喚の触媒となっていた木は誘蛾灯のように魔人を惹きつけたらしい。ひっそりと隠れ住んでいた魔人も、領主邸に近づくと、フラフラとあの輪に参加し、取り憑かれたように踊り続けたという。なんとも奇怪な話だ。
「そして長い年月をかけ、あの儀式が悪魔を召喚するものだと調べ上げた。どうにかしなければ、と向かった先が王都の魔術ギルドだよ」
アイザックは王都に赴き依頼を出した後、あの木をどうにかしてくれる存在を心待ちにしていたらしい。あの木を思い出す度に体の支配を奪われそうになり、やっと現れたのがフィーナ達ということだ。
「君達は勇敢で逞しく、立派な魔女だった。あの木と召喚された悪魔を滅してくれた事を、心から感謝したい」
アイザックは深々と頭を下げた。傍らの執事も会釈している。彼らの頑張りがあったからこそ、この件は明るみに出たのだ。彼らがいなければ、さらに長い間塩漬けにされていたであろう。
「…直にこの街の魔分は散り、元の魔分濃度に戻るだろう。そうすれば、また人々も帰ってこれる。私にはそれがとても嬉しい。たとえ、それがこの身を滅ぼすことであろうとも……」
魔人は魔分の濃い場所でしか生きていけない。木が滅され魔分濃度が下がれば、別の場所に移らなければならない。だがアイザック達はそれをしないと言っていた。
荒廃しても尚もこの街を愛し、王都に危険を伝えたアイザックは「充分生きたよ」と朗らかな笑顔をフィーナ達に向け、当の昔に覚悟を決めていると語った。