88『元ローデン男爵邸へ』
ベヒーモスをなんとか倒したフィーナ達は歓びを噛み締めていた。
「やったね、フィーナ」
「凄い魔法だったね。さすがの第一級だねー」
デイジーとイーナがフィーナに労いの声をかける。大魔法を制限もせず撃ち込んだので、フィーナの体はクタクタだ。フィーナはホッとため息をついてその場に腰を下ろした。
「逃げ出すことばかり考えてたのに、いつの間にか倒すことを考えてたよ」
「あー、それは私のせいだね。フィーナちゃんが少しでも楽になればと思って、特殊魔法をつかったんだよ。まさか倒すとは思わなかったけどね」
ベヒーモスの咆哮を受けた後、フィーナはどうやって全員で逃げようかと考えていた。しかし、ヘーゼルが隣に立って、フィーナの肩に手を置いたところで、フィーナはベヒーモスを倒す事ばかり考えるようになっていた。恐らくあの時ヘーゼルは特殊魔法を使ったのだろう。
「運が良かったです。完全に召喚されていたら、まず勝ち目はなかったかもしれません」
フィーナ達は非常に幸運だった。不可抗力とはいえ、悪魔であるベヒーモスの召喚場面を視認したこと、そしてその触媒となっていただろう木と魔人達の儀式、召喚悪魔の強さを確認できたこと、それら全てが勲章物の発見だった。
さらに召喚の途中で本調子でないベヒーモスを相手取れたことも幸運だった。ガオの【王者の咆哮】の数倍は強い威力の咆哮を放つことが出来、デイジーの攻撃を受けてもピンピンしている生物など他に見たことがない。フィーナの第一級複合魔法が通用したから良かったものの、そうでなかったら今頃あっさりと潰されて大地の染みになっていたかもしれない。
「そういえばデイジー、怪我はもう大丈夫なの?」
「大丈夫! イーナが治してくれた!」
「正直かなり深手だったけどね。濃い魔分の補助がなければ、危なかったよ」
デイジーはあの咆哮で五感のいくつかの機能を失っていたらしい。イーナの再生魔法と、この環境が無ければ聴覚や視覚を永遠に失っていただろう。
デイジーは勝手に突っ込んでいった事を詫びた。
「デイジー、アルテミシアに憧れるのは分かるけど、私達は三人一緒ならアルテミシアにも負けない魔女になれるよ。だから、一人で突っ走らないで、私達をもっと頼って」
イーナが諭すと、デイジーは涙ながらに頷き、満面の笑みを浮かべた。デイジーの頬に涙が伝い、夕暮れの赤い光をキラキラと反射していた。
「そろそろこの街を出よう。魔分の影響を考えると、あまり長居出来ないから……とその前に、イーナちゃん、使い魔に付近の魔分濃度を測ってもらえる?」
ヘーゼルがローブについた埃を払いながらイーナに尋ねた。
「エリー、どう?」
「ここに来た時よりも魔分濃度は減ってるよ。でもあまり長くいないほうが良いのは変わらないかなー。街の中心部から外れれば、かなりマシになると思う」
エリーの言葉を聞いて、ヘーゼルが満足そうに頷く。
「ガルディアの街に魔分が溢れていた原因は、あの木だと思うんだよね。フィーナちゃんによって木っ端微塵にされたから、仮定でしかないんだけど」
フィーナとしてもヘーゼルと同じ考えだった。それ故に、枝の一本でも残していたらと悔やんでしまう。しかし既に過ぎた事なのであまり気にしてはいない。
そもそも、ベヒーモスの召喚触媒として使われていて、そこにベヒーモスが頭を出しているのだから、枝を取ることまで気が回らなかった、と言っても責められないだろう。
召喚触媒となっていた木があった場所は、フィーナの魔法によって灰燼に帰している。そこに黒焦げになったベヒーモスの上半身が横たわっている。
召喚途中で木が破壊されたため、下半身は召喚されずに切断されたのであろう。悪魔召喚の対抗策の一つになるかもしれない。それにしても、なぜ五十年前の住人達が魔人となって悪魔を召喚する儀式を行っていたのかはわからない。
(うーん、せめて魔人化した人達の言葉を聞けたらよかったんだけど……。ベヒーモスが召喚され始めると同時に塵になって消えてしまったもんね……)
フィーナはうんうんと頭を悩ませていたが、何か引っかかることがあり、ピタリと悩ませることを止めた。
「ローデン男爵の以前の邸宅へ行ってみませんか?」
フィーナの言葉にイーナが冷や汗をかき始める。明らかに行きたくなさそうだ。ベヒーモスの咆哮にいち早く対応したイーナであっても、怖いものは怖いのだ。小刻みに首を振って拒否しているが、ヘーゼルは気づいていないのか「そうだね!」と賛同した。イーナはフィーナをひと睨みして、肩を落とした。
「魔分濃度の上昇の原因はわかったけど、なぜ王都の魔術ギルドにローデン男爵の弟さんらしき人が現れたのかという事がわからないね。十中八九、健在だとしても魔人になってると思うけど、何かしら意思があって依頼を持ってきたんだと思う。私はギルドマスターとして、その真意を知りたいと思うよ」
だからイーナちゃん頑張って!と握り拳を作ってヘーゼルがイーナを元気づける。
イーナは幽霊系がダメなのであって、魔人に対してはそれ程忌避感を持ってないと思っていたが、どうやら生気を感じさせない青白い顔がダメらしい。
病気に伏せったフィーナを思い出すからと言われると、当人であるフィーナは何も言えない。
結局、イーナはローデン男爵邸までついていく事にしたが、何も目に入らないように俯きつつ歩くことにしたようだ。転ばないようにフィーナとデイジーがイーナの手をしっかりと引いていく。
ローデン男爵邸は貴族街の端に位置していた。場所については現ローデン男爵から伺っていたので、すんなりと目的地に着いた。
周囲の荒廃した建物と違って小綺麗で、整備されているようだった。覆い茂るような草木は無く、建物自体も年季は感じさせるが、朽ち果てるような物はなかった。
フィーナ達は扉の前に立ち、ドアノッカーを鳴らす。乾いた音が邸宅の内外に鳴り響き、しばらくした後、ギギギと重く軋む音を鳴らしながら扉が開いた。
迎えてくれたのは初老の男性だった。ボロボロでくたびれた執事服を着て、フィーナ達に会釈していた。
顔を上げた執事の表情は生気を感じさせず、白く濁った瞳はフィーナ達を通り越して虚空を見つめている。
イーナは既に地蔵のように穏やかに目を閉じ、微笑んでいる。イーナの頭の中では現実逃避を図るべく、小さくて可愛い物(主にデメトリア)に囲まれているだろう。
「こちらでお待ち下さい……直ぐに旦那様がいらっしゃいます」
執事が部屋へ案内する。この執事、明らかに魔人なのだが、言葉も話すことができるし、攻撃的な面も見せていない。
棺桶からそのまま出してきたような顔をしていなければ、普通の人と見間違うだろう。
部屋の中はテーブルと椅子しかない殺風景なものだった。部屋の装飾自体は豪華で異色を凝らしたものとなっていたが、家具はほとんど持ち合わせていないようだ。もしかすると、現ローデン男爵が全て持ち去ったのかもしれない。
「……ローデン男爵邸へようこそ。そして街を救ってくれてありがとう」
フィーナ達が無言のまま待っていると、一人の青年が部屋に入るなりお礼を言ってきた。執事の男と同じで、この青年の顔にも生気は感じられない。
イーナは地蔵スマイルを崩さないままだ。完全に現実との関係をシャットアウトしている。
ヘーゼルとデイジーは警戒を解かずにギラギラした目で青年を見ている。不審な行動を少しでもとれば、死よりも恐ろしい展開が待っていそうだ。
そして青年のお礼に誰も答えないので、微妙に気まずい雰囲気が流れる。
イーナは地蔵でヘーゼルとデイジーは警戒中、ここはフィーナが話さないといけなくなりそうだ。
私は熱落ちが怖いです。パソコンのファンがビュンビュン鳴ると不安になります。