65『豪雨』
フィーナ達はエリーの道案内で目的の場所に辿り着いていた。サナたちが一人の魔女と相対している。まさに一触即発といった険悪な雰囲気だ。
イーナはデイジーに先制攻撃を指示し、魔女の意識を刈り取ることを優先させた。
「先手ひっしょーお!」
フィーナとイーナはこめかみに指を当て、ため息をついた。
奇襲では声を出すなと散々言っているにも関わらず、デイジーは改善しようとしない。英雄願望の強いデイジーは童話や英雄譚のように、攻撃は声を出しながらするものと判断しているらしい。
デイジーの先制攻撃は青い髪の魔女に防がれた。青い髪の魔女は多少苦い顔をしたものの、すぐに体勢を立て直してサナ達とフィーナ達に向き直った。
「応援か!? ってデイジー君じゃないか! それにフィーナ君やイーナ君まで!」
「こんちは」
デイジーがサナに軽く挨拶する。フィーナとイーナも続いて会釈する。サナは釣られて会釈するが、「そんなことしてる場合じゃない」とフィーナ達を叱った。
「挟撃とは姑息な真似を……こちらもその気で行かせてもらうぞ」
マリンはフィーナ達を無視し、サナ達に攻撃を仕掛けた。マリンの指先から水滴が垂れ、その雫が地面に落ちること無くサナ達に向かった。弾丸のように繰り出される水滴に、サナ達は土壁を使って対応したが、土壁を作る度にがりがりと削られていく。
「こっちは無視なのかな?」
イーナがクロスボウを取り出して矢を放つ。矢は風を切り裂き、凄まじい音を鳴らしながらマリンに迫った。
「く!?」
青い髪の魔女は攻撃を中断し、土壁で対応したが、矢は土壁を抉って青い髪の魔女の懐に突き刺さった。大量の粘性水によって何とか臓器は守られたが、その矢の威力にマリンは恐怖した。
「何だそのクロスボウは!」
イーナは答えない。わざわざ敵に教えるつもりも無いのだろう。
イーナの持つクロスボウは風と雷の混合結晶魔分を使った新兵器である。雷魔法の力で弦の引きを補助し、風魔法で矢の回転と風圧操作を行う。
その速度は音速にも達する。受けた者は例外なく風穴を晒すことになるのだが、マリンは貴重な素材を使った粘性水を大量に使うことで難を逃れた。
「今の一撃に耐えるなんて、ただの魔女じゃありませんね? レリエートの………幹部の一員とか?」
フィーナの言葉にマリンはドキリと胸を鳴らした。フィーナの視線がマリンの表情を探るように動く。
「くっ……撤退は無理か。仕方が無い。速攻で終わらせよう」
マリンは長い呪文を唱え始めた。空が雲に覆われ暗くなっていく。雷鳴が響き、森の動物がけたたましい鳴き声をあげている。
(長い呪文だなあ……。攻撃していいのかな? でもあの液体は厄介ね。デイジーの一撃と姉さんの一撃を防ぐほどの液体なんて見たことがない。欲しいなあ)
フィーナ達はこの天変地異如きの魔法の中でも割りと冷静だった。サナ達はあまりの規模の大きさに口を閉じることができないようだ。
「フフッ……力の強大さに恐れをなして動けないのか? ならばこちらからいくぞ!」
マリンが空に手をかざすと、ポツポツと雨が降り出し、ついには大雨となって降り注いだ。瞬く間に地面は濡れ、滝のような雨に木々が大きくしなる。
「終わりよ!」
マリンがフィーナ達の頭上へ手をかざす。すると滝のような雨の一部が凍りつき、幾万の針となってフィーナ達に降り注いだ。
「第二級混合魔法?」
デイジーが首をひねる。
「だね」
フィーナは短く返事をすると、火魔法で頭上一帯を炎で埋め尽くした。氷の針はジュッ、と気持ちいい音を鳴らしながら次々と消えていく。
マリンが使った魔法はフィーナ達も知っている第二級混合魔法『ビショビショ魔法』に酷似していた。風魔法で雲を操り雨をふらし、水魔法でそれを集中させ、氷魔法で数多の氷を降らす魔法である。マリンの場合は雨を降らして氷魔法を使っただけのようだ。
しかし、それだけでもかなりの魔力を使うことになる。現に、効果がないと知ったマリンの表情は驚きと焦燥が見て取れる。
「お手本を見せてあげるよ」
フィーナは懐から折り畳みのステッキを取り出し、空に掲げた。まるで神罰を与える神のような動作に、マリンは呆けてしまった。
「死なないでね」
ステッキの一部が輝いたかと思った瞬間、降っていた雨が全てマリンに向かって叩きつけられた。大滝の中に放り込まれた僧のように、容赦なく大量の水がマリンを襲う。大質量となって、その重さに耐えられず、あちこちの骨が軋む。呼吸も出来ず、マリンの気が遠くなる。
「くっ…我が…名は【豪雨】……の……魔女…マリン……」
マリンは息ができなくなる前に【二つ名】を口にした。途端に水の操作がフィーナの手から離れ、通常の雨に戻る。
マリンは必死に空気を求め呼吸する。肩を上下し、フィーナを睨む。
「【二つ名】の名告ですか……マリン?は特殊魔法は使えないんですね。見たところ水魔法のエキスパートって感じですね」
マリンは狼狽えた。レリエートの幹部で特殊魔法を使えないのはマリンだけだ。そのことがコンプレックスでもあった。
アレクサンドラやベラドンナに馬鹿にされ、アマンダやリーレンには露骨に嫌悪された。
しかし、マリンには大量の魔力量というアドバンテージがあった。それを活かし、たくさんの依頼をこなしていたのだ。
レリエートは実力主義だが、マリンは幹部魔女以外からの魔女の信頼も厚く、特殊魔法が無くとも幹部になることが出来ると唯一示した魔女だった。
幹部魔女達に馬鹿にされても、信望、それだけが誇りだったのだ。
「それがどうした? 特殊魔法が使えなくとも、優秀な魔女に成れる! 信望の置かれる魔女になれるんだよ!」
マリンは呪文を長々と呟き、後方に大きな水球を作り出し、風魔法で高圧を掛けて、レーザーのように水流を操作した。
「む、第一級」
デイジーが顔をしかめる。
レーザーとなった水流はフィーナ達を両断すべく、横一線に払った。水流に当たった木々が次々と両断される。
危険を感じたサナ達は地面に伏せ水流をやり過ごそうとしたが、それを見たマリンは水流を蛇行させ、伏せていても当たるよう仕向けた。
サナは苦虫を噛み潰したかのような顔をし、端正な顔を崩した。
「デイジーアクセル!」
デイジーが改良された装備とともに走り出す。デイジーの靴には風の結晶魔分が付けられ、森や閉所限定で超高機動な動きが出来るようになった。
三次元を縦横無尽に駆け回るデイジーに翻弄され、マリンは舌打ちした。
「デイジーライトニングパンチ!」
グローブに嵌め込まれた雷の結晶魔分がデイジーの雷魔法を強化する。拳は唸りを上げてマリンの頭を捉える。バチバチと音を立てながら迫る拳にマリンは頭で考えるよりも先に体を動かした。
マリンは水球を瞬時に凍らし、身を守る盾とした。
デイジーの拳が氷を砕き、明滅する迅雷がマリンに襲いかかる。
マリンは最後の粘性水で感電を回避し、勝ちを悟った。この至近距離ならデイジーもレーザー水流を避けることは出来ない。デイジーを殺れば、あとは対応出来ないであろうレーザー水流で蹂躙するだけ。
マリンは勝利を確信し、にやりと笑った。
「ホントに水魔法のエキスパートだね。あなたは優秀です」
マリンは突如背後に現れたフィーナに驚愕した。
フィーナはスタンガンのような高電圧をマリンに浴びせ、意識を刈り取った。
―――いつの間にか雨は弱まり、気絶したマリンの青い髪を雫が艷やかに伝った。