55『窮地』
三叉首の大蛇の最後の頭を仕留めると、大部屋の壁からわらわらとサーペントが這い出てきた。サーペントは混乱しているようだが、大蛇が倒れ伏しているのを見て、怒りを滾らせていた。
その怒りの姿を見るに、大蛇がサーペントたちのボスだったのでは、とフィーナはひやりと汗をかきながら思った。
「姉さん! 魔力回復する水! 頂戴!」
「わかった!」
イーナはバッグから一口分に調節された魔力回復水を取り出してフィーナに渡した。フィーナはぐいっとそれを呷った。体から気怠さが抜け、力がみなぎる。
とにかく、早くここから脱出しなければならない。
大蛇を倒したといえど、疲れた体で百匹を越えるサーペントの大群と戦うなんて御免だ。
「ミミ! 【黒影】!」
フィーナが叫ぶと、影からミミが飛び出し、その体をブルリと震わせた。
「がってんニャーー!」
ミミの体が見る見るうちに大きくなり、サーペント以上の大きさになる。巨大な黒豹と化したミミはすっと地面に伏せ、警邏隊の二人を乗せた。
「行って!」
ミミはフィーナの言葉を聞くと、地面を蹴り、大部屋から出ていった。【黒影】はフィーナの魔力を大量に使用する。すでに、大蛇を倒した後に飲んだ魔力回復水で回復した分を使い切ってしまった。
フィーナ達は迫るサーペントを牽制しつつ、大部屋の入り口へと向かう。上下左右から迫ってくるサーペントに三人は歯を食いしばりながら逃げる。
「ガオ! アレやって!」
後退りしながらデイジーがガオに命令する。フィーナ達は三人同時に手で耳を覆った。
ガオオオオオオオ!
地響きが起きそうな咆哮に、周りにいたサーペントがサザっと退く。しかし完全に撤退したわけでは無いようで、少し離れた位置からこちらを伺っている。
ガオが使ったのは【王者の咆哮】というもので、ミミの【黒影】と同じく、大量の主人の魔力と引き換えに発動する。その咆哮を受けたものは強制的に恐怖状態に陥る。サーペント達は興奮し、怒り狂っていたので、恐怖状態であっても、こちらを攻撃しようと様子を見ている。いや、少し効き目が悪い。込められた魔力が少なかったようだ。
【王者の咆哮】を使わせたデイジーは魔力を使いすぎて意識を失ってしまった。デイジーがぎりぎりまで魔力を使わせた【王者の咆哮】だが、少しばかりの時間稼ぎにしかならなかった。ともあれ、今は一分一秒が惜しい。
イーナは倒れたデイジーを抱え、入り口へと向かった。フィーナは少ない魔力で雷魔法を操り、二人の撤退を援護する。普段の半分の威力もない雷魔法で懸命に時間を稼ぐ。目の前がチカチカとしだし、今にも気を失いそうになる。
フィーナは太股を抓って、無理やり意識を覚醒させながら少しずつ後退していった。
「フィーナ! 早くここまで!」
イーナ達は何とか大部屋の入り口に着いたようだ。フィーナは攻撃を止め、すぐにイーナ達の元へと走るが、その足は鉛のように重い。懸命に動かしているが、なかなか前に進んでくれない。
イーナがクロスボウや魔法を使って、何とか入り口へサーペントを近づけないように踏ん張っている。
(このままじゃ三人とも助からない……。どうすれば……)
フィーナがふらつき、倒れそうになる。さっきフィーナの頭があった場所でサーペントの下顎が閉じ、ガチンと歯の音が鳴る。運良くフィーナの頭を食べられずに済んだ。
しかし、イーナ達の元には辿り着けそうにない。足がもつれ、震える手足で這いつくばるようにして入り口を目指す。フィーナはイーナ達に先に行くよう声を出そうとするものの、口はパクパクと動くだけで、声を上げることができない。
イーナが何かを言っているが、意識が朦朧として、よく聞こえない。イーナが何かを投げてきた。フィーナの目の前に転がる小瓶、魔力回復水だ。
フィーナはすでに今日一本使っている。魔力回復水の連続使用は、体内に魔分が大量に残ってしまう。回復した魔力を使ったとしても魔分の蓄積はどうにもならない。これを飲んだら自分が魔物化する可能性すらあるのだ。イーナもそれがわかってはいても、見捨てられずにこれを投げたのだろう。
目が霞んでほとんど見えないが、イーナが悲痛な顔でこちらを見ているような気がする。
(世界がゆっくりだ……これがデイジーが言ってた走馬燈かな………)
フィーナは三人で過ごした楽しい思い出を思い出しながら、魔力回復水の小瓶に口をつける。ゆっくりと小瓶を傾け、口の中の水を嚥下する。
体に魔力が戻る感覚と同時に、激しい痛みがフィーナを襲う。
(―――――ッ!!! うぐぅ………痛い!痛い!痛い!)
体の内側から溶かされる様な痛みにフィーナは目の端から涙を流した。呼吸が出来なくなるような痛みに耐え、歯を食いしばりながら魔法を構築する。第一種複合魔法だ。
第一種複合魔法はフィーナ達三人が危険な目に合わなければ使ってはいけないと決めた、強大にして凶悪な威力を秘めた魔法である。
「フィーナ! ダメェ!」
あまりの激痛に気が遠くなりそうになるが、イーナの悲痛な叫びが耳に入る。
(姉さん、デイジー。二人は私が守るから……)
フィーナは土魔法で土中の石炭を削りだし、風魔法でその粉塵を大気中にばら撒いた。
黒い霧のような石炭の粉塵がサーペント達を包む。さらにフィーナは火魔法で種火を作ると、粉塵の中に送り込んだ。
粉塵を火魔法が焼き、爆発的な反応を生み出す。フィーナは風魔法で粉塵を操作し、さらに反応性を高めた。大部屋の入り口から突風のように空気が送り込まれ、イーナはデイジーに覆いかぶさるようにしてその突風に耐える。
粉塵爆発と化した大規模な爆発にサーペント達は吹き飛ばされ、圧倒的な熱量の炎に身を包まれた。激しい爆発に地鳴りが響き、大部屋の天井は崩落を開始する。
フィーナは爆発的燃焼を続ける炎の中で、非常にゆっくりとした時間を過ごしていた。時が止まっているかと思うほどの鈍速な世界。フィーナは爆風と爆炎にジリジリと身を焦がされながら、イーナ達の無事を祈っていた。
(やっぱりこの魔法は危険だね………。姉さん達は大丈夫かな………)
爆風で足が吹き飛ばされた。欠損した膝下からドクドクと血が流れる。不思議と痛みはない。感覚が麻痺しているのか、すでに死んでいるのかフィーナも解らなかった。次に右腕が音を立てて歪む。炎がフィーナの肺を焼く。
(せめて姉さん達のそばで死にたかったな………。転移とか使えればいいのに……そういえば、昔見たアニメにワープする宇宙戦艦があったっけ? 確か紙を折り曲げるようにして、空間を歪曲させてワープするとか…………。この世界なら、そんな無理矢理なこともできるかもね……)
吹き飛ばされた足が宙を舞い、フィーナは壁面に打ち付けられる。体のあちこちからボキボキと鈍い音が鳴る。吐血を繰り返し、瞼が重くなっていく。
最後の力を振り絞って魔力を操作し、フィーナは意識を失った。