36『戦場 3』
リーレンの顔には笑みが浮かんでいた。デイジーにはそれが何故かわからなかったが、何かやってくるのは確実だと思い、一旦フィーナ達の元に下がった。
「フフ………アハハハハハ!!」
フィーナは気が狂ったかのように笑い始めたリーレンを見つめながら、デイジーの筋肉に治癒魔法を施した。
「少し甘く見すぎていたな………私も本気で相手するとしよう」
「まさか!」
デメトリアが信じられないというような表情を見せる。
「もう一度名乗ろう………我が名は【切断】の魔女リーレン。お前達に私の力を見せてやろう」
リーレンはそう言うと、俯き、何かに耐えるように苦しみだした。
「デメトリアさん、何か知っているんですか? 何が起こっているんですか?」
フィーナがデメトリアに説明を乞う。デメトリアは苦々しい顔で説明した。
「あれは【二つ名】の名告だ。【二つ名】とは魔の女王ヴァイオレット・ノーサン・ミッドランドによって付けられる【魔女名】だ。魔の女王は魔女の魂を一時的に膨れ上げさせ、その力を最大限まで引き出すと言われている。たが、その力は諸刃の刃のようなものだ。使えば、その者の魂と肉体に激しい損傷を伴うらしい」
「魔の女王自体は気さくで良い人物だと聞くが、あのような奴等に力を与えてしまうようでは、どうしようもなくバカタレだな」
デメトリアがフンと鼻を鳴らして、魔の女王を貶した。
「切り刻んで………やるぞ! レンツ………のゴミムシ共!」
リーレンの姿は変わり果てていた。長い髪と爪はそのままだったが、全身が紅く染まり、体の至るところではボコボコと組織を形成し、角のように生えだしていた。一見新種の魔物のような姿にフィーナら息を呑んだ。
血走った目をギラつかせ、リーレンがフィーナ達に向かって突進する。デイジーほどでは無いものの、その速さは常人ではあり得ない速さで、フィーナ達は面食らった。
リーレンはスージーとサナを無視し、デイジーに迫る。フィーナは反応が遅れたことを悔やんだ。リーレンはデイジーに痛めつけられたのを怨み、真っ先にデイジーへと矛先を向けたのだ。
デイジーの脳内でけたたましく警鐘が鳴り響く。あれを通せば皆が危険に晒されてしまう。デイジーは瞬時に判断しした。
「デイジー本気パンチ!」
デイジーが腰を落とし、リーレンの鳩尾に拳を突き出す。デイジーの本気の一撃は、グローブがあったとしても衝撃に耐えきれず、デイジー自身にもダメージがあるため、フィーナに止められていた。しかし、本気の攻撃をしなければ危ないと思ったデイジーは自分の身を省みず、本気の一撃を放ったのだ。
デイジーの拳が迫るリーレンの鳩尾に炸裂した。その衝撃は周囲に風を巻き起こし、フィーナ達は尻餅をついた。
リーレンの体が回転しながら吹き飛ぶ。デイジーも右腕をだらりと下げ、痛みに歯を食いしばっていた。
リーレンは木々を吹き飛ばしつつも、爪を地面に突き刺し体勢を立て直した。口からは血反吐を吐いていたが、【二つ名】の名告によるものか、デイジーの攻撃によるものかはフィーナ達にはわからなかった。
デイジーの攻撃は効いていた。リーレンはなんとか体勢を立て直したものの、その足取りは悪い。本来ならば背中まで貫通するような拳速である。ダメージを負ったものの立ち上がるほどの体力に、フィーナ達は愕然とした。
さらに傷を回復しているのか、少しずつ足取りが軽くなっている。
「な、なんてやつだ………」
スージーが震えながら息を吐いた。サナやデメトリアも苦々しげにリーレンを見ていた。イーナは慣れない手つきでデイジーの腕に治癒魔法をかけており、デイジーは冷めやらぬ闘志を目に宿らせていた。いざとなったら左腕も使うのだろう。
そんな中、フィーナは考えていた。こめかみに指を当て、眉間にシワを寄せて。
(【二つ名】の名告の前のデイジーに受けた傷と、後の内臓が破壊されるような一撃の傷も癒えようとしてる。むしろ再生………? デメトリアさんは【二つ名】の名告は魂を一時的に増幅させる荒業だって言ってた………ということは、使える魔法に変化は無いはず。本来使えなかった魔法、それか使いたくない魔法のどちらかを使ってるんだ。)
フィーナはなおも考える。脳に血液がぐんぐんと送り込まれ、思考を加速させる。
(あの体の変化。皮膚の一部を硬質化させたような角。内臓組織の回復力。髪の硬質化、爪の硬質化。切ってもすぐに伸ばせる髪。これを可能にさせるには………)
フィーナの頭の中で何かが閃く。パズルのピースがはまるかのように頭の中が整理されていく。次の瞬間、フィーナは叫んでいた。
「皆さん! 敵の特殊魔法は髪や爪を硬質化させるものではありません! 自分の体の一部を変化させる魔法です! 驚異的な回復力も、体から生えている角もその魔法の一種です!」
フィーナの言葉に周囲は驚いた。それ以上に驚いていたのはリーレンだった。
「貴様が……祖曽だな……? 私の魔法を見破るとは………まさかそこまで……チビに若返っているとは……思わなかったぞ………」
リーレンが声を振り絞る。フィーナは勘違いをしているリーレンに、好機と思い話を合わせた。
「その魔法……活性魔法の一種、『身体形成』ですね? 体から生やした角は皮膚を硬質化させたもの。しかもその魔法を今まで髪や爪にしか使わなかったのは―――――いや使いたくなかったのは、体に大きな負担を伴うためですね? 恐らくその魔法は使うたびにあなたの体を蝕むのでしょう」
フィーナの言葉にリーレンは苦笑いを浮かべ頷いた。
「さすが………だな………この魔法は…………髪や爪以外に使うと寿命を縮める…………。この力を………母から教わった時、私は…………這い上がるために…………力を行使しすぎた。だが、若返りの………秘術さえあれば…………私も生きながらえ、また…………さらなる高みを目指せる……」
リーレンはそう言うとフィーナに歩みを進めた。
「祖曽は…発見次第、殺す……ことに………なっている………。貴様を殺せば……あとは雑魚だけ……若返りの………秘術を知る者は………確保する……。恐らく、貴様……だろう………?」
リーレンがデメトリアに指を向けた。デメトリアはあまりの展開から分身を操作することを忘れていた。しまった、と表情に出すデメトリアにリーレンが嘲笑った。
「私は死ぬわけにはいきませんが、あなたは間違いなく死にます。若返りの秘術とやらを行使したとしても無駄でしょう」
「どういう……事だ……?」
フィーナのあっけらかんとした物言いに、リーレンが怪訝な顔をし、たどたどしい言葉で問う。
「この人の若返りの秘術は寿命を永らえることは出来ないんですよ。見た目は若返ったとしても、体の奥深くまでボロボロのあなたはもう手遅れです」
フィーナの言葉にリーレンは絶望を募らせた。
「う、嘘だ……」
「嘘ではありません。不老不死は数千年かけてもアルテミシアでもってさえ、生まれなかった魔女達の幻想なんですよ。そうですよね?」
フィーナはまだどこかに斥候がいることを警戒し、デメトリアの名前を出さなかった。フィーナはデメトリアに目線を送った。デメトリアは急に話を振られて慌てていたが、すぐに落ち着いてリーレンを鋭く見つめて説明した。
「そうだ。動物、昆虫、植物に対しても試したが結果は変わらず、一般的に寿命とされる年月が過ぎると、みな死亡した。これは歪めようのない不文律なのだよ」
リーレンは膝をつき、咽び泣いた。あまりに唐突な死の宣告。力を使ってしまった後悔。この力を託した母への怒り。全てがリーレンの心をぐちゃぐちゃに引裂いた。せめて、一矢報いようと顔を上げた頃には目の前は夜中のように暗く。体のあちこちが痛んだ。
激痛に悶え苦しみながら、血反吐を吐くリーレンを、フィーナ達は何とも言えない目で見ていた。
リーレンの特殊魔法は本当は『身体形成』ではなく、『細胞形成』だった。死んだ細胞を次々と再生させ、驚異的な回復力を有し、圧縮して硬質化させることで強靭な肉体と髪を保つことが出来た。
しかし、度重なる細胞組織の形成により、体中で癌化していたのだ。リーレンの体内はすでに限界に来ており、どんな名医でも手の施しようがないだろう。リーレンもその体に気づき、若返りの秘術で生き永らえようと考えていたのだろう。フィーナはそれに気づいていたが、あえて分かりやすいように言葉を変えた。
「私は……なんの為に……」
リーレンは口からは血を吐きながら自問し、それに答えることなく息絶えた。
あまりに憐れな末路にフィーナ達は言葉を発することもできず、ただ立ち尽くしていた。
デイジー、強い。