29『洞窟内にて 4』
魔女が魔物と対する時、最も危惧すべきことは何か。それは“距離”である。
魔法を使える魔女と言っても、肉体は普通の女性である。魔物の鋭い爪や牙の一撃をもらえば、容易に肉を切り裂き、骨を折られる。
本来、詠唱を必要とする魔女にとって、魔物との距離は最重要となる事項だった。フィーナ達は無詠唱で魔法を使えるため、それ程気にしていなかったが、ここにきて初めてその重要さに気づいた。
土魔法で壁を作ればトータスモールのブレスを防ぐことができる。しかし、同時にトータスモールを視認できなくなるという欠点もあった。
ベテランの魔女ならば、こういったことが無いように、一時も抜かりは無いよう、気を抜かないものだが、フィーナ達は戦闘経験がまだ浅かった。作戦が成功したことでつい気が緩み、トータスモールに隙を作ってしまった。
フィーナはデイジーのすぐ側に着地したトータスモールを振り返りながら、自身の慢心を後悔していた。
デイジーはトータスモールがフィーナの土壁を破った時から、妙に時間がゆっくりとしたものに感じられた。フィーナが自分に向かって何かを言っているのがわかるが、デイジーには周りの音が聴こえなかった。
沈黙の世界の中、デイジーは目の前のトータスモールを見た。凄まじい熱気、殺意の籠もった目をギラギラとさせながら、鋭利な爪をゆっくりと振りかぶっている。
デイジーは死を確信した。フィーナに氷柱で突き刺され息絶えた、あのフレイムリザードのように、土に埋もれる骸になるのだと考えると、デイジーは恐ろしさからぶるりと身震いした。
トータスモールの爪がデイジーの頭を捉えようと振り下ろす。デイジーの首を飛ばすに充分な威力だった。
デイジーは今までのことを思い出していた。
(そーまとう?っていうんだっけ)
フィーナ達に初めて遭った日のこと、悪戯がバレてレーナおばさんとアーニーに叱られたこと、フィーナ達と一緒にご飯を食べたこと、フィーナが病気で苦しそうにしていたのが悲しかったこと、フィーナが目を覚まして元気になって嬉しかったこと、イーナの料理が美味しかったこと、レーナおばさんが目を覚まして嬉しかったこと、魔法を覚えられて嬉しかったこと。アルテミシアの仲間たちと言われて凄く嬉しかったこと。
デイジーは救世の魔女アルテミシアに憧れていた。小さいときから、アーニーにアルテミシアの英雄譚を聞いて育ち、アルテミシアの真似事をして育った。
多種多様な魔法を使い、その拳は岩をも砕き、蹴りは津波を割ったというアルテミシア。デイジーは時折、アルテミシアの英雄譚か書かれた絵本を読み、その強さと高潔さにいつも目を輝かせていた。
デイジーは魔法をたくさん覚えてアルテミシアのような魔女になるのが夢だった。たが、どれだけ魔法を練習しても、拳で岩を砕いたり、蹴りで津波を割ることは出来なかった。所詮はお伽話なのかとデイジーは思っていたが、フィーナがレンツのアルテミシアと呼ばれるようになった頃、アルテミシアの英雄譚を話して、拳で岩を砕いたり、蹴りで津波を割ることはできるのか聞いた。
『うーん、出来なくはないかも?』
フィーナのその言葉を聞いた時、デイジーの心には一筋の光が射し込んだような気がした。
『筋肉ってね、神経に電気を流す事で収縮してるの。電気ってわかるでしょ? 雷魔法のアレね。その電気を多く流せばそれだけ筋肉は強く収縮するの』
『あのバチッてするやつを体に当てるの?』
『うーん、ちょっと違うかな。ちょっと見てみよっか!』
フィーナはキッチンに走って、イエローフロッグの足を持ってきた。慣れた手つきで白い糸状の物を露出させた。
『この糸が神経。ここに電気を流すと』
フィーナが神経に取り付けたクリップに雷魔法を使う。イエローフロッグの足がぎゅうううと引き締まる。
デイジーはその光景に感動しながら見ていた。フィーナが電気を強め、イエローフロッグの足がさらに引き締まる。
『ここまでが限界だね、これ以上やると神経も筋肉もズタズタになっちゃう』
デイジーは考えていた。アルテミシアもこのように筋肉を強制的に励起させ、岩をも砕く怪力を使っていたのではないかと。
デイジーはそんな記憶の中からふっと戻ってきた。頭は冷え、胸のあたりがぐらぐらと沸騰するように熱く滾っていた。
デイジーは視界の端にフィーナとイーナの姿を捉えた。フィーナとイーナはデイジーに手を伸ばし何かを叫んでいた。デイジーは思った。
(ここでこいつを倒さなきゃ! フィーナとイーナを守らなきゃ!)
デイジーがカッと目を開いた瞬間、上体を屈め、トータスモールの爪を躱した。その速度たるや、土煙が立ち昇るほどである。後頭部の上を爪がすごい勢いで通過し、デイジーの髪をチリチリと焦がした。
デイジーは屈んだ姿勢から突進し、トータスモールの懐に体当たりした。デイジーの腕や肩がビリビリと痛み、圧力によってミシミシと音をたてる。凄まじい熱気がデイジーを包んだ。デイジーは汗を噴き出しながら、全体重をトータスモールへ伝えた。
小柄なデイジーからとは思えないとてつもない力が巻き起こり、トータスモールは凄まじい勢いで吹き飛び、洞窟の壁にめり込んで頭を垂れた。
脳天ががらあきである。デイジーはすかさず走り、一瞬でトータスモールの元に近寄ると二メートルほど空中へ跳びんだ。
「デイジーキ〜ック!」
空中のデイジーが一回点して、かかと落としをトータスモールの頭に振り降ろした。グチャッと頭蓋骨や肉が潰れる音がした。同時にデイジーの足が悲鳴をあげる。デイジーは空中で体勢を崩すと、腕をバタつかせて地面に落下した。
トータスモールはよろりと体を傾けると、今度は膝をつく事もなく、地に伏した。トータスモールの頭はデイジーの蹴りにより、弾け飛んでいた。誰がどう見ても絶命している。
「「デイジー!!」」
フィーナとイーナが倒れたまま動かないデイジーに近寄る。デイジーは身体のあちこちがズキズキと痛んだが、フィーナとイーナを守れたことに安堵して、微笑んだ。
「すぐに治癒魔法を使うから、デイジーは動かないでよ!」
フィーナが凄い剣幕泣きながらで怒る。デイジーはその顔があまりにも酷かったのでつい吹き出してしまった。
「ぶっ、アハハ、――――――ッ! イッタ〜イ!」
「もう! 何笑ってるの! フィーナ、私は痛み止め用意しとく!」
イーナは呆れたように言い、薬箱を取り出していた。
「デイジー、アルテミシアには成れた……?」
デイジーはフィーナのその言葉にぴくりと体を反応させた。この力はアルテミシアの怪力そのものだ。デイジーは満足そうな表情を浮かべて頷き、目を閉じた。
フィーナの治癒魔法がデイジーの体を暖かく包む中で、デイジーは寝息をたてはじめた。
デイジーの火事場の馬鹿力発動です。