215『絶体絶命』
「はああああああ!」
ブラウンの剣が高速で空を斬る。
太刀筋の通った最速の切り込み。それに呼応するように周囲を風の刃が埋め尽くす。
風の刃に触れたキマイラは瞬時に肉塊へと変わり果て、血の海に沈んだ。
「この剣ならば……いける!」
剣の柄を強く握ると、緑色の結晶魔分がさらに強く光輝く。
「ふっ!」
力を込めた一撃は風の刃となり、地面をえぐりながらキマイラの胴体を縦に真っ二つにした。
先程とは明らかに違う威力である。
ブラウンは剣の仕上がりを確かめるように二度三度と振り、以前の剣との誤差をその場で修正した。
そして出現する魔法の調整まで戦いながら行っていった。
そうやって数分を戦い続け、ブラウンはこの剣の性能をおおよそ理解していった。
(風の刃を発動するには刃を立たせ、鋭く引くように斬る)
剣の切っ先から放たれた風の刃がキマイラ三頭に命中し、血しぶきを上げさせる。
(刃を寝かせ、大きく叩くように振れば突風を生み……)
地面と垂直に突風を当てることで宙へと舞い、背後から迫ってきたキマイラを難なく躱す。
(小さく鋭く突出すことで速く軽い風の弾を、大きく振りかぶって突出すことで重く遅い風の弾を発する)
見上げて睨むキマイラに対して容赦なく風の弾を降らして釘付けにすると、とどめと言わんばかりに大砲のような風の砲弾をキマイラに着地させ、地面のシミへと変える。
ブラウンの独壇場かと思われたが、ある程度戦うとキマイラは一定の距離から近づいてこなくなっていた。
「学習したか? だが来ないのならこっちから行かせてもらう!」
ブラウンは剣を片手に待つと、一気に駆け出した。
早くこの戦いを終えて砦に戻らなければ命はない。
ブラウンは自身の体がどんどん重くなっているのを感じ取っていた。それに結晶魔分に込められた魔力も無限ではない。
このまま現状を打開できずにここで戦い続ければそう遠くないうちに力尽きるだろう。
この包囲網を抜けるにはどうするか、と冷えた思考の中でブラウンは自問していた。
「そこをどけぇ!」
目の前のキマイラに対して斬りかかる。
不可視の刃が二閃三閃とキマイラの頭を切り裂く。
獅子の頭を封じてしまえば残るは尻尾である蛇の頭だけだ。
蛇の頭の攻撃は速いが避けられないことはない。
正面のキマイラを倒せば、背後にある砦が見えてくる。
あとは攻撃しつつ、退却すればいい。はぐれた部下も運が良ければ合流できるだろう。
ブラウンは己の考えを並べ立て、薄く笑みを作った。
絶望的な状況であったのにも関わらず、生きて帰ることができる。
たった一つの光明がブラウンの油断を誘った。
「ブエエエエエエエエエ!」
突如、ブラウンの身をすくませる音が響く。
赤子の泣き声のようなそれは、キマイラの背中から発されていた。
ブラウンが何の音か確かめる前に異変は起こる。
「熱っ………うあああああ!」
火だ。視界を埋め尽くすほどの火である。
ジリジリと髪の焼ける音が耳に残り、体から煙が上がる。
熱を感じたブラウンの体は萎縮し、地面を転げ回ることで熱から脱しようとする。
「おおおおおお!」
この隙を突かれてはいけない。
転げ回って熱から逃れたブラウンは細剣をデタラメに振り回す。
結晶魔分の力を借りて生み出された魔法は風の刃や弾、突風となり四方八方に飛び散った。
周囲にいたキマイラ達にとれくらい被害を与えただろうか。
それを判断できるほどの余力は今のブラウンには無かった。
ブラウンの半身は焼けただれ、剣を持っていなかった左腕は咄嗟に熱から身を守ったため、今では感覚すらない状態である。
目は開けているのか閉じているのかもわからず、体から熱という熱が段々と奪われていく。
膝を付き、剣を地面に突き立ててやっと体を起こしている状態であるブラウンに、もはや生きて帰ろうという考えはなかった。
「ケホ…こ、こまでか……」
キマイラはブラウンが思った以上に容易く相手でき、かつ手強かった。
この戦闘を見たであろうゼノンならばきっと有効な手段を採れるはず。
ブラウンの脳裏にはゼノンの後ろ姿が思い起こされ、次にメルクオール王やエリオ、部下の顔、そしてフィーナ達の顔が思い浮かんだ。
「フィーナ殿……後は頼みます……」
なぜあの少女の顔が最後になって浮かんできたのか、ブラウンにはわからなかったが、歳の割には頼りになる彼女に向かって、ブラウンは小さくそう零し、息を引き取る………かに思えた。
「任されても困りますよ、ブラウンさん」
凛とした声がしたかと思った後、ブラウンの傷が癒え始める。同時に奪われきっていた体の熱も戻り始める。
「魔力の欠乏と……火傷が酷いですね。私じゃ全部は治せないので一度砦に戻りますよ。姉さんに看てもらわないと」
「その声は……フィーナ…殿か?」
ブラウンはこの声が幻聴でないことを確かめるように尋ねた。
「はい。そうですよっと。……数が多いので話すのは後にしてください。飛びますよー」
「あ、ああ失礼した」
その直後、一瞬の浮遊感と共に着地したその先で「フィーナ! もう、どこ行ってたの!」とこれまた聞き慣れた声が耳に届き、ブラウンは安堵して意識を手放した。