214『魔法武器』
時代遅れの投石機が思いがけない戦果を上げると、メルクオール軍は色めきだった。
指揮官から雑兵まで湧き上がる気持ちを抑えきれないでいた。
それは騎士団長のゼノンとて同じだった。
ゼノンは今を好機とみるや、副長のブラウンに騎馬一個中隊を預け、未だ混乱から立ち直れていないキマイラの軍勢へと向かわせた。
二百にも及ぶ騎馬は圧巻の一言であったが、多少数を減らしたとはいえ、万を超える敵軍相手では突破力が足りない。
無論そんなことはゼノンだって理解している。
ゼノンの狙いはキマイラの強さを正確に測ることだ。
キマイラの強靭な肉体に剣や槍が通用するのか、攻撃に対して反応できるか否か、反応できなかったとして、どれだけの負傷を負うのか、ゼノンは総指揮官として知らなければならなかった。
例えようによっては人柱に近い突撃に右腕であるブラウンを置いたのは、彼ならばどうにかしてくれるという信頼と、一兵でも多く戻ってきてくれればという考えからだった。
そんなゼノンの気持ちとは裏腹に、ブラウンは熱情に支配されていた。
その気勢はもはや熱狂と言っていいほどだ。
普段、冷静で物静かな印象を受けるブラウンだが、こと戦闘となると誰よりも苛烈になる。
その変わりようは得体のしれない何かに取り憑かれたようであり、飢えた獣のようでもあった。
「オオオオオオオ!」
先頭を馬で駆けるブラウンがキマイラのそれと聞き間違えそうな雄叫びを上げる。
手には簡素な作りの短槍が握られている。
投げて使うことも考えられた量産品の一本である。
ブラウンの背後から扇状に広がる騎馬隊にも同じ装備がなされていた。
「放てぇ!」
ブラウンの腕がしなり、短槍が放たれる。ゆるい回転を伴いながら放物線軌道を描いた短槍は大勢いるキマイラ達のうちの一匹に突き刺さった。
「ちっ! 浅いか……!」
短槍はキマイラの胴体に突き刺さっている。だが内臓まで至らず、分厚い筋肉によって阻まれている。
ブラウンが渾身の力を込めてもそのような有り様であるため、騎馬隊が放った短槍の殆どはかすり傷程度の損害にしかならなかった。
以前持ち込まれたキマイラの死体で大方の予想はついていたものの、実際の硬さにブラウンは大きく舌打ちをした。
「総員、抜剣!」
ブラウンは幅広剣を腰から抜き、地面に対して垂直に構える。
後背の騎馬隊もそれに習い構える。遠目から見ると蠢く剣山のようにも見えるだろう。
本来であれば突撃には向かない剣だが、サーベルや細剣では攻撃力が足りない故の苦肉の策であった。
キマイラとの距離はもうほど近い。
生体のキマイラは大きく、恐ろしいほどの気迫を有している。
ブラウンは小山に向かって突進するような錯覚を覚える。
手にじっとりと汗をかき、手綱を握る手にも力が入る。
正面のキマイラは槍で傷つけられたことに怒り狂っている。捕まれば命はないだろう。
焦りはない。恐怖心は馬にも伝染するため抱いてはならない。
ただ敵を見据え、剣を振るのだ。
「フッ!!」
キマイラの傍を駆け抜けると同時に、ブラウンの狙いすました一撃がキマイラの獅子の首元に叩き込まれる。
剣の重さを活かした致命的な攻撃である。
太い木の幹を殴りつけたような刹那の感触の中に、肉を裂き、骨をガリガリと削る感触を捉えたブラウンは有効打を与えたと確信して振り返った。
そこにあるのは膝を付き死に体のキマイラの姿であるはず、そう思いながら振り返る。
しかしキマイラの姿は見えなかった。いや、何かに隠れているのだ。
深緑の艷やかな鱗状の物体に赤い宝石のような小さな円。
ブラウンがそれを蛇の頭部だと気づいたときには既に自身の体が宙を舞っていた。
何が起きたのか全くわからなかった。
ただ呼吸を妨げるほどの腹部の鈍痛だけは鮮明に感じとれた。
自身の腹部に目をやると、鎧である鉄の厚板が大きく凹んでいた。
どうやら何かに攻撃されたらしい。
痛みで失いそうになる意識を気力で保ち、空中でなんとか体勢を戻そうと腐心する。
途中、聞き慣れた部下の「副長!!」と呼ぶ声が聞こえたが、返事をする暇などあるはずもない。
どれくらい飛ばされたのか、ブラウンは無様にも背中から着地した。
幸い柔らかい土と新緑の草のおかげで事なきを得たが、殴打された腹部の痛みは激しく、ブラウンは嘔吐しながら鈍く起き上がった。
明滅する視界で辺りを確認する。
「っ……」
状況は最悪だった。
周囲にはキマイラが数え切れないほど蔓延っており、完全に囲まれていた。
どうやらキマイラの集団の中に落とされたらしい。
見えるところには味方を確認できず、乗っていた馬も見つけられなかった。
おまけに武器となるものは腰に提げた細身の剣だけである。
あまりにも絶望的で救いようのない状況だった。
「……」
ブラウンは悪態をついて落ち着こうとする。しかし嘔吐で喉が焼け、掠れた息が出るだけに留まる。
周囲のキマイラはじわじわと距離を詰めてきている。
まるで弱者を痛めつけて悦に浸る嗜虐者のように歯を見せるキマイラ達に注意を払いつつ、ブラウンは鎧の留金を外す。
重しにしかなっていない鎧を脱ぎ去り、極めて身軽な体となったブラウンは腰の剣を抜くと大きく深呼吸をした。
機動力に長けた装備で攻撃の手数を増やすやり方はブラウンが本来得意とする戦闘スタイルである。
他の兵たちとの兼ね合いもあり、分厚い鎧に身を包んでいたが、解放された今となっては本来の力を取り戻したような気がしていた。
ブラウンが剣を構えると同時にキマイラ達が一斉に動き出す。
踏み込みによって土が剥がれ、引き千切れた草が舞う。
先頭の一頭が尻尾の蛇を鞭のようにしならせてブラウンを叩く。
ブラウンはそれを腰を落とすことで躱す。躱せたのは似たような攻撃を既にされていたから。
腹部への攻撃はあの蛇の仕業だったのだろう。
当たれば即死の一撃にブラウンは冷や汗を垂らす。
自然と胸の鼓動は速まり、呼吸が乱れた。
蛇の一撃に続くようにして獅子の頭がブラウンの腹を食い千切ろうと牙をむく。
ブラウンはそれを転身で躱すと、剣を一文字に払った。
「なっ……!」
ブラウンの顔が驚愕に染められる。
彼が軽い牽制のつもりで出した攻撃は幾重にも及ぶ風の刃を伴ってキマイラに肉薄した。
キマイラには剣の切っ先すら当たっていないにも関わらず、その体はズタズタに引き裂かれ、獅子の頭蓋にいたっては横半分に分かたれていた。
ブラウンはおもむろに手に握られた剣を軽く振る。すると切っ先から小さな風の刃が起こり、地面に縦の亀裂を入れた。
この剣はブラウンが長年使い続けた直刃の剣。
鋳造物の量産型であった幅広剣と違い、これはブラウンがより簡単に切れるよう鍛冶者に心血を込めさせた一点物である。
その切れ味はメルクオール王ですら舌を巻く程で、おおよそ切れないものはないと云われている。
そんなブラウンの愛剣だが、この戦いに参加するにあたって、一つ改造を施されている箇所があった。
剣の鍔、その中心に親指大の結晶魔分が嵌め込まれているのだ。
結晶魔分には風の魔法と大量の魔力が魔女によって込められており、武器の使用者の微弱な魔力を引き金として込められた魔法が放たれる仕組みになっている。
使用者が魔力をほとんど持たないとされる男性であっても、発動できるようにとフィーナの指示のもとキャスリーンが改造を施したものだ。
愛用の剣の見た目や重さ、使用感が変わってしまうことを恐れたブラウンはゼノンに愚痴を零したが、改造されて戻ってきた愛剣を手にした時には「大して変わっていないがこれで大丈夫なのか?」と逆に心配したりもした。
だが込められた魔法を目の当たりにした今では、それらの心配は吹き飛んでしまった。
「フィーナ殿の事前の説明にあった魔法の武器とは威力が段違いだ……」
ブラウンは自分の胸元にも及ばない小さな少女を頭の中で思い浮かべ、苦笑した。
頭の中の少女は「特別製だよ?」と腹黒い笑みを浮かべていた。