213『魔女の兵器』
「すごい雄叫びですわね…。地面が震えるようですわ」
キャスリーンはそう言いながら、雄叫びの上がる方角を見た。
視線を動かすと太陽が山の向こうに沈む様子が見えた。すぐにこの辺りは真っ暗となってしまうだろう。砦の影となっている場所は既に深い闇色だ。
この暗闇の中でもキャスリーンのいる城壁の上から演説の場であった広場はよく見える。篝火が多く焚かれ、明るく照らしているためでもあるが、城壁の上におよそ灯りとなるものがないためでもあった。
闇の中で火を焚けば、どうしてもそちらに注意が向く。誘蛾灯のように敵の攻撃をひきつけてしまう。さらに灯台下暗しという言葉があるように、明かりの元では暗がりはよく見えない。それらを避けるためにも城壁の上では灯りを置かないのだ。
「しかし、良かったのですか? 私達もあの場に行ったほうが良かったのでは?」
夕暮れの中からサンディが声をかける。
いつものようにフィーナの後を追うキャスリーンについてこれたのは彼女だけだ。他の取り巻き達が薄情なのではなく、単に戦いに参加できるような実力が伴っていなかったためだ。
かと言ってまったくの戦力外というわけでもない。今頃はレンツで魔道具の製作を手伝っているだろう。
「あなたはともかく、わたくしがここを離れるわけにはいきませんわ。ここの責任者はわたくしですから」
そう言うキャスリーンの傍らには巨大な投石機があった。
長年使用されず、砦内で置き物と化していたところをフィーナが見つけ、キャスリーンに補修と補強をお願いしていたのだ。
それらをやり遂げた今、キャスリーンは投石部隊の隊長となっていた。
隊員はほとんどが魔女だ。
本来、投石機は一台動かすのに数十人は人員が必要となる。しかし、魔女であれば数人で事足りるのだ。
投石用の石を用意するにしても土魔法で一瞬にして終わり、稼働させるのも魔法を使えば通常より遥かに簡単だ。
攻撃的な魔法が不得意なキャスリーンだったが、道具を扱うとなれば右に出るものはいない。まさにうってつけの役割だった。
キャスリーンは投石機を見上げ、満足そうに微笑む。
それを見てサンディは表情を曇らせた。
「私はお嬢様には後方へ下がって欲しいです。城壁の上など、激戦区になることは必至。お嬢様に何かあったら私は……」
「後方に下がったところで戦に勝てなければ、どの道命は無いわ。それならよりフィーナさんの役に立つように動くべきでしょう?」
「それはそうですが……」
サンディは同意したが、その表情は納得していない。
「それにいざとなれば、わたくしたちは箒に乗って退却することができますわ。地面を走って退却しなければならない兵の皆さんよりも余程安全なのではなくて?」
キャスリーンの鋭い指摘にサンディはびくりと体を震わせ、深々と頭を垂れた。
やがてキマイラの姿が視認できるようになると、息を切らせた伝令兵が壁上へとやってきた。
「ゼノン騎士団長から伝令です! 『戦端を開け』とのことです」
「……どうやら一番槍はわたくしたちのようですわね。まあ、放たれるのは槍ではなく石ですけれど」
キャスリーンは冗談めかしく笑うと、右手を高々と上げた。
「放ちなさい」
キャスリーンの右手が振り下ろされると同時に十数器にも及ぶ投石器が唸り、瓦礫の山を天高く放った。
放たれた瓦礫は放物線を描いてキマイラの集団に向かう。
津波のように押し寄せるキマイラの集団は躱しようもなく瓦礫をその身に受けた。
大質量の塊が次々に着弾していく。
固い地面と瓦礫の間に挟まれたキマイラは絶命の咆哮を上げることすらできずにスクラップとなっていく。
瓦礫はほとんどがそうやって地に埋まることになっていたが、時にそれは歪な回転をしながら数体のキマイラを巻き込みながら転がり、辺りを血で染め上げた。
このように投石機での攻撃は一定の効果が認められた。いかに屈強な体を持つキマイラといえど、単純な質量兵器という脅威には抗えなかったらしい。
馬鹿正直に弾き返そうとしたキマイラがぺしゃんこになる様が、この薄暗い中でも散見できる。
成果が思ったより上々であったためか、壁上を守る兵たちからは歓喜に近い声が上がる。
さらに弓兵から空を埋め尽くすほどの矢が放たれると、歓喜の雄叫びはさらに勢いを増した。
その間も投石機からは瓦礫が放たれ続けていた。
土魔法で圧縮された石の塊が大した労力もなく投石機の元へと運ばれ、これまた魔法の力で大きなてこの一端を動かし、連続で放たれていく。
その光景はさながら効率化された工場のようであった。
しかし、倒せた数は眼前を埋め尽くす大群の前では微々たるものだ。
その証拠にキマイラの軍勢の歩みは淀むことなく進んでいる。
弓が届く距離まで前進されたというのは決して良いことではないのだ。
「やはりこれだけでは心許無いようですわね。メイさん、例のものをよろしくお願いしますわ」
クロムシートからレンツへと居を移したメイもまた、この戦いに身を投じていた。
結晶魔分をふんだんに使用できるレンツで、メイはその才覚を存分に伸ばし、魔道具分野では人角の人物となっていた。
「はぁ……。できれば使いたくなかったけど……。これ使うととんでもなく赤字なのよね」
メイは肩を落としながら息を吐くと、厳重に梱包された箱を開いた。
箱の中には月明かりを受けてきらびやかに輝く、怪しげな石のようなものが入っていた。
高品質の親指大の結晶魔分だ。
色は様々で、形も千差万別であったが、大きさは比較的同一のものを揃えているようだった。
品質、大きさ共に最上のものであると言っていいだろう。
それが箱いっぱいに詰め込まれている。
メイはその中の色味が異なる二つを手に取ると、ハンマーで粉々に砕いた。
粉状となった結晶魔分をメイは丁寧に小さなガラス瓶へと納めた。
結晶魔分を粉状にして活用する方法は最近になってレンツで研究されて編み出された。
内容は粉状の結晶魔分に微量の魔力を与えると爆発的な熱量を生み出すというものだ。
発見は至って偶発的なものだった。魔道具分野の一魔女が誤ってクズ結晶魔分を落としてしまい、細かく割れてしまった結晶魔分を魔法で片付けようとした時、爆発音と共に激しい炎が上がったのだ。
魔道具分野では火災騒ぎでてんやわんやになったが、新たな発見に大盛り上がりになった。
そんな経緯が存在する。
「結晶魔分の品質の高さは生み出す熱量に比例すると研究結果を出したのは貴方でしょう? それにこの戦いには必要不可欠ですから、多少の損を被るのも仕方ありませんわ」
「わかってるわよ。でもこんな戦いがなければ、この結晶魔分も人の役に立つように使われたかもしれないのに、と思っただけよ」
「そうね。もしくは過去に貴方がクズ結晶魔分を落とすなんて過ちをしなければ、別の方法が取られていたのかもしれませんわね」
「それを言わないでよ……」
メイはむすっとした顔で唇を尖らせながらそう言うと、投石機によって放たれる瓦礫の中に粉状の結晶魔分が詰まった瓶を差し込んだ。
空を切りながらてこの力が働き、瓦礫が夜空を舞う。
瓶を差し込んだ瓦礫は特に変わりなく宙を進んでいる。
変化が起きたのは着弾の瞬間だった。
着弾の瞬間、目も眩むようなまばゆい光が発せられ、少し遅れて底冷えするような轟音が戦場に響き渡った。
あまりの音のけたたましさに兵たちは顔を驚愕の色で飾り、何が起きたのかと、辺りを見渡した。
「お、おい! あれを見ろ!」
最初の一人がキマイラの軍勢が大挙して迫っているであろう方角を指し示し、そんな声を上げると、一人また一人とその方向を見つめ、声を失っていく。
そこには何も無かった。
いや、何もない空間があったのだ。
草原を覆い尽くすキマイラの軍勢の中でポッカリと空いた穴。
薄暗い中でも赤茶けた地面が城壁の上からでも確認できる。
それは紛れもなく瓶を差し込んだ瓦礫が着弾した点である。
着弾と同時に爆発的な熱量を発した結晶魔分は辺りを茜色に染め上げ、瓦礫を伴って派手に四散したのだ。
圧倒的な熱量はキマイラの四肢を焼き、暴力的な風圧が地面ごとキマイラを吹き飛ばした。
その後に残るのは円形に抉り取られた地面だけである。
この時、数万人が参戦していた戦場は異常なまでに静かだった。