212『ゼノンの演説』
ポルサ砦は元々レイマン王国への警戒を目的として建てられた砦である。
メルクオール王国とレイマン王国間は高い山脈に隔てられていたため、自然と交通の要衝となったこの地には、国防上強固な砦が築かれた。
砦の代名詞である国を隔てる壁は、両国間の緊張を体現したかのように高く、厚い。
砦の内部は緻密に入り組んでおり、普段は使われていない地下部分を合わせると、街一つがすっぽりと納まるほどの規模があった。
そんなメルクオール王国が誇る鉄壁の要塞であるポルサ砦だったが、視界を埋め尽くすようなキマイラの大軍勢の前ではどうしようもなくちっぽけな存在に見えた。
「あれと戦うのか……」
物見台では渋面を作ったゼノンがキマイラに覆い尽くされる大地を眺めていた。
側にいた兵士が弱音を吐くのを聞いたゼノンは叱責しようと口を開いたが、その言葉が見つからず、再び口をつぐんだ。
軍勢の行進によって立ち昇る土煙は山火事を彷彿とさせる。迫りくる異形の集団は恐怖の象徴そのものだ。
誰だってあれを目にすれば弱音の一つや二つ吐きたくなる。
歴戦の勇士であるゼノンであってもそれは同じだ。それでも弱音を吐かなかったのは、騎士団長という立場にあったからだ。
ゼノンは小さく息を吐くと、胸いっぱいに息を吸い込み、声を張り上げた。
「メルクオールの勇敢な兵士諸君!」
ゼノンの大声に砦内の兵士の視線が上がる。
城壁があるため砦の中では外の様子がわからない。しかし、聞こえてくる異形の足音と雄叫びは兵士に恐怖を植え付けていた。
見渡せばどの兵士も顔色が悪い。士気は最悪と言えた。
「ここ、メルクオール王国は長い間大きな戦争もなく、平和を享受してきた! 近年は魔女との関係も深まり、様々な面でより便利に、また発展してきている! しかし!」
ゼノンの大声は砦内を反響し、末端の一兵まで届いていた。
士気高揚のための演説である。
ここまで大規模なものは数十年ぶりだろう。
視界に収まりきらないほど多い兵たちに向かって演説するのは、ゼノンも初めての経験だったが、真剣な表情で声を張り上げるその姿は勇壮だった。声を受けた兵士達は息を呑んで見守っている。
「諸君らにも聞こえるであろう。この絶望の足音が! 奴らは我らが、この国が築き上げた歴史を、文化を、喜びを破壊する者たちである! 諸君らの家族を、恋人を、友人を物言わぬ骸に変える存在である!」
ゼノンの言葉を聞いて兵士たちの間で動揺が走る。滝の音に似た軍勢の足音は段々と大きさを増していっている。
兵たちの中には堪えられず、絶望のあまり泣き出すものもいた。
「だが! 諸君らはそれを許容できるか!? 出来るはずがない! 諸君らには温かい家庭があり、尊敬すべき友人がおり、守るべき国土がある! それらが壊されるのを指をくわえて眺めることなどできるか!? 少なくとも私にはできない!」
ゼノンは自身の大剣を激昂したかのように地面へと突き刺した。
深々と突き刺された大剣は元は装飾を施された豪華なものだったが、多くの死地を抜けてきたため傷も多かった。しかし刀身だけは綺麗に手入れされており、鈍い輝きを放っていた。まるで獰猛な獣のような剣だった。ゼノンを象徴するその大剣に、兵士たちは皆圧倒された。
「敵は強い。しかし、それほど恐れる必要はない! 周りの戦友たちを見よ! どのような顔をしている? どのような装備を身に着けている? どのような兵科であるか? 魔女か、兵士か? 様々な人間がここに集まっているぞ! 彼らは皆諸君らの味方である! 敵は個としては強力だが、均一だ! 私はここに勝機があると見ている!」
ゼノンはそう言いながら眼下の広場を見渡す。
老若男女、本当に様々な人間が集まっていた。
彼、彼女らにはそれぞれ得手不得手といった個性があり、決して均一などではない。弱点を補い合い、長所を伸ばし合う。ゼノンはそれができると信じていた。同時にこのどうしようもなく不利な戦いの突破口になると考えていた。
「確かに奴らは賢く強い。しかし、人間のように思考し、道具を駆使し、兵法を学び、作戦を立てたことがあるだろうか? まずないだろう」
ゼノンは自問自答するかのように言い放つ。
魔女や騎士団の混成部隊の指揮は難しいが、勝利を得るためにはやるしかない。やれないこともないという自信もあった。
「一方我ら、人間はどうだ? この手は道具を使うのに適している! 厳しい訓練に耐えた経験と会話による意思疎通は奴らにはないものだ! それから兵法を学んだことがないという者も安心しろ! 底意地の悪い作戦を考えるのは私のような貴族の得意分野だ!」
ここでようやく兵士たちの緊張も解け始めたのか、笑いが溢れる。
実際に作戦を考えたのはフィーナであったが、底意地の悪さという点は言い得ていたので、ゼノンは自分で言いながらも笑いを吹き出しそうになった。
「それに我々には魔女の王がいる。たった一度の魔法で地形を変えかねない大魔女だ。きっと大きな戦力となってくれるだろう」
兵たちの間から「おぉ…」と期待に満ちた声が上がる。しかし、その大魔女の姿はない。
そのことをゼノンは打ち明けずにいた。戦意の低下を危惧したのだ。
「そしてもう一つ伝えておく。此度の戦いは神話と同等か、それ以上のものとなるだろう! 諸君らの中から新たな剣神グランヘイトスが現れる可能性もある」
神話の英雄、剣神グランヘイトスといえば剣を持つものなら誰もが憧れる名だ。
兵たちはわかりやすい栄誉を前に鼻息を荒くした。
「大なり小なり歴史に名が残る戦いだ! 不甲斐ない戦いを後世で笑われないよう諸君らの健闘を祈る! 人間の力を見せつけるのだ!」
「「「オォーーー!」」」
ゼノンが大剣を天に掲げると、兵たちも同じように自分の武器を掲げ、雄叫びを上げた。
兵たちの目には絶望の色は無く、闘志がみなぎっていた。