207『魔人アマンダ』
「……」
アマンダはレイマン王国の西、レリエートへと戻ってきていた。
数ヶ月離れていただけなのに、もう何年も経っていように感じる。
記憶にあるレリエートとはかけ離れているからだろうか。郷愁の想いに駆られるかと思っていたが、別段そんなことはなかった。
現在レリエートは赤い炎に包まれている。
至るところから悲鳴や破壊音が響き、さながら地獄のようだ。
アマンダには故郷と言える場所が二つある。一つはここレリエートで、もう一つはノータンシア連邦にある小さな魔女村だ。
だがどちらもアマンダにとってはただの出身地と居住地であり、思い入れのある場所ではない。
だからレイニーに「久しぶりに故郷へ戻ってみたら? もちろんキマイラを連れてね」と嘲笑混じりに言われても何の感慨も持たなかった。
レイニーはレイマン王国にある魔女村を次々と潰し、魔人を増やすついでに【種】も植え付けている。
ここレリエートも例外ではなく、散々キマイラに暴れさせた後、魔妖樹の土台にするつもりなのだ。
レイニーが何を考え、何を目指してレイマン王国を乗っ取ったのか、アマンダは知らなかったし、どうでもいいことだった。
むしろ、頭のどこかで「それでいい」と告げられている気になったし、その通りにすれば不思議と気分が良かった。
レイニーの言いなりになるのは癪だったが、反対するような理由もない。
ベラドンナやアレクサンドラ以外のレリエートの魔女とはほとんどと言っていいほど面識もないし、唯一気に入っていたレリエートの地酒も、この体では酔えないし、味もわからないのだから心残りもないに等しいからだ。
そんな理由から、アマンダはただレリエートが破壊されるのを黙って眺めていた。
けたたましい騒音とキマイラたちの咆哮が収まると、キマイラたちの体から【芽】が出始める。
それに伴って辺りは濃密な魔分に満たされていった。
魔人にとって、魔分は新鮮な空気に等しい。
アマンダは深く息を吸うと、体内に満たされる魔分に恍惚とした表情を浮かべた。
「アマンダ……死んだはずのあなたが何故ここにいるの?」
一人の魔女が現れた。
高濃度の魔分に汚染されていて苦しいだろうに、その魔女は傷だらけの体でアマンダに向かって攻撃態勢をとっていた。
アマンダは現れた魔女の顔をつまらなさそうに見て、ふっと息を吐いた。
顔には見覚えがあるが、名前は思い出せなかった。
見境なく暴れるキマイラの集団をいなして生き残っているのを見る限り、そうとう腕が立つのだろうが、生前といい全く記憶にない。
アマンダはその一瞬で興味を失った。アマンダにとっては所詮その程度の人物なのだ。
「聞いてるの? この惨状はあなたの仕業なの?」
「うっせえなあ。そうだよ」
再度尋ねてきた魔女にアマンダは眉間に皺を寄せて応えた。
アマンダは肯定することで怒りのままに向かって来るかと期待したが、魔女は呆然と佇むだけだったので、再度興味を失った。
これ以上話しかけてくれるなと背を向けて歩きだすと、背後から濃い魔力の気配を感じ、振り返る。
「この裏切り者ぉおお!」
魔女は膨大な魔力を注ぎ込み、レリエートを包む大火に負けないほどの火魔法を放った。
魔力が魔分と爆発的に反応し、あたりを真っ赤に染める。
目を開くのすら躊躇われるほどの熱量がアマンダを襲うかと思われたが、一切を分厚い真っ黒な壁に阻まれ、アマンダの顔を煩わしそうに歪めただけにとどまった。
アマンダには裏切り者と謗られる意味がまるで理解できなかった。
レリエートは弱肉強食の世界で、競争相手を蹴落とし、成り上がることを是とされていたため、仲間意識というものが一切なかった。裏切るも何も最初から仲間でも何でもないなのだ。
だがそれはアマンダのような幹部魔女や上位の者だけであり、実際はレリエートの地を愛し、仲間を大切にする魔女が大半を占めていた。マリーナと名を変えたマリンであれば、それを知っていただろう。
ただアマンダはそれを知らなかっただけなのだ。
「そんなんじゃ前の俺ですら殺せねえよ」
アマンダはひどくつまらなさそうに呟くと、青い魔力を体に纏わせ、真っ黒な壁をそのまま拳で叩き割った。
鋭く尖った壁の破片が無数の刃と化し、アマンダ自身を巻き込んで炸裂する。
「くっ……!」
魔女は一瞬面食らったが、直ぐに機転を利かせて土壁を張った。
土壁を突き立てられる刃の鋭さに魔女は戦慄を憶えたが、恐怖心を拭い去り、新たに風の魔法を放とうと魔力をみなぎらせた。
辺りは火の海だ。
ここで竜巻のような風魔法を使えば火を巻き込んでさらに効果的な攻撃になる。
魔女はそう考える。単純にして明快。だがそれだけに強い。普遍的に魔女の戦法として成り立ってきた攻撃方法であるがゆえに絶対の自信があった。
魔女であろうと魔物であろうと、この攻撃を覆すことは難しい。
相手がアマンダでなければ。
「燃え尽きろ! アマンダ!」
土壁の魔法を解き、視界が開けると、魔女はアマンダがいた位置へ竜巻の魔法を放った。
魔分の干渉を受けた竜巻の魔法は天に届くほど豪快で、放った魔女すら巻き込まれそうになるものだった。
全てが暴風に巻き上げられ、炎に焼かれていく。
魔女はそこにアマンダがいることを信じて疑わなかった。
だが、不意に後ろから地を踏みしめる足音が聞こえた。
「ッ……! あぁぁぁ!」
魔女が振り向くより前に、何かに体を拘束される。
拘束されているのは上半身だけではあるが、きつく締め上げられている上に痛みがひどく、魔女は苦悶の声を上げるしかなかった。
「つくづく魔女ってのは近寄られると弱えよなぁ……。無尽蔵の魔力があったとしても体は女一人分の力しかない。俺はデイジーと戦ってそれが痛いくらいよくわかった」
耳元で囁かれるような声に魔女の思考が一瞬クリアになる。
魔女は自分を拘束するものが何なのか見て、驚きに声を失った。
それは腕だった。
アマンダの腕が万力のように締め上げていたのだ。
さらにアマンダの体には先程の壁の破片が無数に刺さっており、剣山と化していた。後ろから抱擁するような形で拘束され、無数の破片に体を貫かれる。まるで刃の拷問椅子に座らせられた囚人である。
これが刺す痛みの正体だったのだ。
「結局、近寄られた時点で敗色濃厚な魔女は三流なんだよ。それを知っていれば俺ももっと長生きできた。そう思わねえか?」
アマンダは淡々と喋り続ける。
魔女は逃れようと必死に藻掻いた。そうすることでかえって傷口を広げ、出血を増やしているとは知らずに。
「その点、デイジーやアレクサンドラは賢かった。自分の身が脆いことを悟っていたのさ。だから体を鍛えたんだろうな」
アマンダが話し続ける間、段々と強くなっていく拘束に魔女は恐怖し「許して! 助けて!」と涙ながらに叫んだ。
しかしアマンダはまるで聞こえていないかのように抱擁を続けた。
「もちろん特殊魔法の力もあったんだろうさ。ああ、知ってるか? 特殊魔法は世代間で引き継がれる他に後天的に見につくこともあるんだぜ? かく言う俺も身につけたんだよ。新たな特殊魔法をな。魔人の体と新しい特殊魔法。これらが備わった俺ならデイジーにも勝てると思わねえか?」
アマンダは興奮気味にそう語りかけると、魔女の顔を背後から覗き込んだ。
「ちっ、聞いてねえか……」
アマンダはぽつりと呟くと拘束を解いた。
地に崩れ落ちた魔女は絶望と恐怖に満ちた表情を浮かべ絶命していた。
「誰だったんだろうなぁ。こいつ」
アマンダの独り言は大火に呑まれて誰にも届くことなく消えていった。