206『足音』
長らくお待たせしました
ヴィオから神話時代の話を聞いたあと、フィーナはイーナを呼び、トールマンの怪我を治療してもらった。
深い傷跡には治癒魔法より再生魔法のほうが効率がいいし、トールマンに対してちょっと引け目を感じていたから、そのお返しの意味も込めてのイーナである。
トールマンは突然現れたイーナを見て笑えるほど挙動不審になっていたが、怪我が治ったことにホッとしているようにも見えた。特に目の怪我が治ったときはイーナに抱きつかんとばかりに喜んでいた。もちろん、それはフィーナの貢献によって未遂に終わっている。
「情報は多少得られたが……事態は深刻のようだな」
トールマンの怪我の治療中、国王が小さな声で呟く。
無用な混乱を避けるため、周りに聞こえないように配慮しているようだ。
「とても一国で相手できるような規模ではありません。早急に他国と連合を組まなければ……」
「魔女にも助力を求めるがよい。悪魔を召喚されては被害は増すばかりじゃぞ」
国王の呟きに答えるようにブラウンとヴィオが言い放つ。
フィーナも頭を抱えていた。
依然、国内にも魔人が潜伏している可能性があり、さらに国境付近は未曾有の厳戒態勢だ。
これでは当初の魔女が高濃度魔分地域を重点的に回るという予定を大幅に修正しなければならない。
ヴィオが言ったように、魔人の目的がより強力な悪魔の召喚ならば、それを阻止するべくこちらから打って出なければならない。その人選もある。正直、頭がパンクしそうである。
フィーナは飴玉を口の中いっぱいに詰め込むと、目を閉じて黙考した。
こちらから打って出ることも考えなくてはならないが、レイマン王国からの侵攻にも注意しなければならない。レイマン王国からメルクオール王国への侵攻ルートは大きく分けて三つ。
一つはトールマンが通ってきた、山脈を越えるルート。
これははっきり言って無視していい。専用の装備がなければ山を越えるのは至難の業だし、敵の殆どは四足の魔物だ。越えてきたとしても散発的になるだろう。
それにもし越えたとしてもそこは森だ。近くにはレンツを始め、いくつかの魔女村があるため、討伐は容易い。潜伏されると厄介だが、こちらには【千里眼】がある。発見はそう難しいことではない。
それに森に騎士団を差し向けたとしてもあまり役には立たないだろうという事情もある。こちらの戦力には限りがあるので、できるだけ無駄な人員を出したくはないのだ。
二つ目のルートはノース・ハーノウェイ王国付近の街道を使ったルート。
フィーナはこの街道が一番臭いのではないかと思っている。
山脈を回る形になり、端とは言えノース・ハーノウェイ王国を横切ることになるので侵攻には時間がかかる。だが広さ、環境は行軍に適しており、あの辺は比較的魔分が濃い。
魔分濃度の関係上、長期滞在できるような砦は少なく、徘徊する魔物もすこぶる強い。魔物の軍勢にはお誂え向きというわけだ。
三つ目は南のノータンシア連邦を流れる大河に沿うルート。
レイマン王国から出発し、一度ノータンシア連邦を経由するルートだが、これは一つ目のルート以上に選ばれないはずだ。
魔物が船に乗ってどんぶらこと流されてくるなんて、バカみたいな話だし、もしそんなことがあればノータンシア連邦が黙ってはいない。
大河の周りには大きな街がいくつかあるし、常備されている兵力も中央に継ぐほど膨大だ。
このルートを選ぶのはまずないだろう。
他にも空や長距離転移魔法で侵攻する可能性もあるが、移動にかかる労力を鑑みれば非効率的なので除外していい。
以上のようなことをフィーナが国王に告げると、国王は騎士二人を連れて軍の編成をしに行った。
戦争の兆しは着々と近づきつつあった。
一週間後、編成を終えた軍が北のポルサ砦に向かった。
これには騎士団も動員されている。
ゴブリン討伐で負傷した者を除き、全員が召集されている。
魔女村からは成人魔女が王都魔術ギルドの要請によって参戦しており、その中にはレンツから来た者もいた。
平時では街の警備をなりわいとする兵士や雇われた冒険者を含めても、メルクオール王国の総兵力は六千を下回る程度である。
周辺国からの援軍を合わせても二万に届かない。レイマン王国にいる魔人と魔物の軍勢が現状、どの程度の兵力かわからないが、数の上で不利なのは決定的だろう。
しかし、レイマン王国を乗っ取った魔人にはまだ動きはない。
こちらの動きなど眼中にないのか、それとも水面下で軍備を整えているのか。
いずれにしてもレイマン王国との国境付近は戦争のせの字もないと思わせるほど静かなものである。
「不気味じゃの」
ヴィオは砦の高台からレイマン王国の方角を眺めながらそう零した。
確かに、とフィーナは頷く。
太陽は分厚い雲に覆われて、辺りはまるで夕闇のようにほの暗い。太陽が顔を出さないせいか、少し肌寒く、フィーナは肌着を多く着込んでいる。
「レイマン王国な現状は未だ妾の目でも見えん。いつ如何なるときに来るか……全く読めぬ。フィーナよ、準備は抜かりないな?」
ヴィオが真剣な眼差しでこちらを見据える。
この一週間、出来る限りの準備は済ませた。
砦の守りは頑強だ。砦周りには高い壁と深い堀が連なり、多少の魔法でもびくともしない防御陣形。距離から攻撃できる投石機やバリスタを配置し、各魔女村から精鋭とも呼べる成人魔女を数人ごとに部隊分けた。
外壁の攻略に手間取れば、瞬く間に矢と魔法の雨が降り注ぐ。そういった陣形だ。
このポルサ砦を下手に避けると、包囲殲滅されるので、敵はこの砦を無視できない。多少の知恵があれば犠牲を覚悟で正面からぶつかってくるはずである。
不安なのは敵が魔人と魔物の軍勢だということ。
人間同士の戦いならば魔女の力は過ぎた物だが、敵は魔法すら操る高位魔物と魔人、さらに場合によっては悪魔の軍勢すら相手にしなければならない。
普通の人間では到底敵わない相手だ。
しかし、対抗策が全くないわけではない。
こちらには近年急速に発展した魔法技術があるのだ。
特に魔道具分野の発展はめざましく、軍事利用できる魔道具も多い。費用に目を瞑ればかなりの効果を期待できるだろう。
さらに騎士団には腕輪型の魔法武具を持たせている。騎士に魔法は使えないが、魔法武具に装着された結晶魔分を使えば、魔法に似たようなことはできる。だがこれは使い捨ての手段だ。一度使えば充填された魔力は尽きる。再使用には魔女の魔力補充を受けなくてはならず、あまり効率も良くない。それでもないよりはマシだ。
「できることはやりました。あとはここに敵が来るかどうかです」
「フィーナの予想ではここなのじゃろう? 他に侵攻できるような場所があるのかや?」
ヴィオの質問にフィーナは首を振って応じる。
「いえ、ここ以外にはないです。ただ、侵攻してくるか否かが気がかりで……」
「レイマン王国を手中に収めて満足した可能性もないわけではないからの」
「はい」
「ならば少し様子を見に行くかや?」
「はい……?」
フィーナは聞き間違いでもしたのかと聞き返し、ヴィオに視線を向けた。
そこでヴィオは今にも飛び立たんと箒に跨ると「先に行く」と言葉を残して高台から飛び降りた。
まったく無茶をする師匠だ、とフィーナはため息をつくとリシアンサスに乗り込み、ヴィオの後を追った。