205『魔女王の昔話』
トールマン。懐かしい名前だ。またの名を女たらしであっただろうか。
トールマンにあまりいい思い出はない。騎士団の隊長格に並ぶ腕を持つ冒険者ではあるが、彼はイーナを口説いたという前科がある。それもフィーナの目の前でだ。ウチのイーナは容姿に優れ、家事全般もこなせるという逸材なのだ。断じて周囲に女性を侍らせているような輩に渡すわけにはいかない。
初めて彼を見たときは武器一本でよく魔物を狩れるなあといった人並みの感想しか持たなかったが、狩猟大会後におちゃらけた言動や女たらしな一面を見てからは彼のことを最初のようには見れなくなった。それに侍らしていた女の子たちがイーナを敵視していた。あんな中にかわいい姉を入れるなんてできるはずがなかった。
そういう理由もあって、フィーナの中でトールマンという人物はその褐色の肌も相まってイケイケのギャル男にしか見えていない。
そんな彼がレイマン王国から死に物狂いで情報を持って逃げてきたという。
魔人に支配された地を逃れ、この国の諜報員の命が絶望的の中、唯一情報を持ち帰った彼に、国王は興味を示していた。
「トールマンと言う男は我も見たことがある。狩猟大会の時、上位を争っていたからな。なかなかの腕前だったと記憶している」
「騎士団の間でも噂になってましたな。ブラウン副長に並ぶほどの猛者がいると」
「彼とは何度か獲物を取り合いましたよ。珍しい武器を使っていたので印象に残っています」
国王とゼノン騎士団長とブラウンは医務室に向かう中でトールマンについての各々の感情を語った。
三人の間ではトールマンのことはその武力を背景にそれなりに認められているようだ。
フィーナはトールマンが魔物を狩っているところを見たことがないので、何とも言えないでいた。ヴィオとテッサは完全に蚊帳の外で、トールマンの持ってきた情報には興味があるが、トールマン自身には興味がないといった感情が表情から丸わかりだった。
「大会以降、国内で噂を聞かないと思ったら、レイマン王国に行っていたのか……」
国王は顎に手を当てながら唸った。
大会後のお祭り、その後のトールマンの足取りはレイマン王国へ向かっていたようだ。てっきり故郷のノータンシアに帰っているだろうと思っていたが、そうではなかったようである。
もしかすると、レンツへの襲撃を境にメルクオール王国とレイマン王国の間柄が険悪になったために、レイマン王国で足止めを食らい、戻れなくなっていたのかもしれない。
そうこう話しているうちに六人は医務室に辿り着いた。
王城の医務室には普段から医官が数人詰めている。誰もが医局の人間なので、フィーナも顔くらいは知っている仲である。
ゼノンとブラウンの騎士二人が進んで扉を開け、率先して中へと入る。情報を持ってきたと言っても、敵の工作の可能性があるため、念のために二人は帯剣もしている。
医務室に入ると、独特な薬品の匂いが鼻を突いた。フィーナには慣れっこな匂いで、この独特な匂いが割と好きであったりするのだが、男性陣は鼻の上に皺を寄せていた。どうやらお気に召さなかったらしい。
「トールマンとやらがここにいると聞いて来た。動けるのなら連れて来てくれないか」
ゼノン騎士団長が医務室の人間を捕まえて用件を言う。よれよれの白衣を着た医務室の人間は血色の悪い顔をさらに青ざめさせ、かすれた声で「す、すぐに連れて参りますぅ」と言うと、バタバタと音を立てて奥へと走っていった。
「ゼノン……、お主、恐がられているのではないか? ひどい怯えようだったぞ」
「まあ、この顔ですからね……」
ゼノン騎士団長は悲しそうに視線を落とした。
歴戦の戦士であるゼノン騎士団長は見るからに屈強そうな顔立ちをしている。首周りの筋肉が顔幅と同じくらいあり、掘りの深い造形は武人ならではの威圧感を放っている。おまけに腰に剣を提げているのだから、騎士と関わりの多い人間であっても怯えてしまうのも無理はないだろう。
フィーナはデーブ伯爵を始めとした屈強な人間を何人も目にしているので、ゼノン騎士団長のことを恐いと思ったことはない。だが男性嫌いなイーナならば恐がっていただろう。それだけ見た目は恐いのだ。横にイケメンのブラウンが並んでいることもゼノン騎士団長の強面を強調させていた。
二人が並ぶと酷い顔面格差を現しているように見えるが、ゼノン騎士団長はこう見えて美人と噂の嫁がいる。なんでも政略結婚されそうになった幼馴染であるそうで、駆け落ち寸前までいった挙句、国王に結婚を認めてもらい今に至るのだそうだ。
ゼノン騎士団長とその嫁の大恋愛は貴族の中では格好の話のネタであるらしく、フィーナは同様の話を人と場所を変え何度も聞かされてきた。もちろん初めて聞かされた相手はここにいる国王である。
自分の部下の恋愛話を嬉々として語る国王の表情は実に輝いて見えたものだ。
「トールマン様をお連れしました……」
よれよれ白衣の男がおどおどしながら出て来て、その後ろに褐色肌の男がついて来る。
フィーナはその姿を見て息を呑んだ。酷い見た目だったのだ。
顔は半分ほど包帯に覆われ、目の部分は血で滲んでいた。木の棒を杖代わりに使用し、足を引きずるようにして遅々としてやってくる姿を見て、ゼノン騎士団長はすぐに肩を貸した。
「酷い怪我だな……。我が足を運ぶべきだった。すまぬ」
「いいってことですよ。こんな怪我たいしたことないっすから」
トールマンはそう言ってはにかんで見せたが、どこか影があった。
「そうか…。詳しい話は傷が癒えてからと言いたいところだが、事は急を要するようなのでな。辛いかもしれんが話してもらうぞ」
「ええ。そのために逃がしてもらったんでね。義理くらいは果たさせてもらいますよ」
トールマンは魔物の群れに襲われ、メルクオール王国の諜報員に助けてもらったと話した。だがいくら訓練された諜報員でも、魔分によって興奮状態にある魔物の相手は厳しかったようで、部隊が壊滅する寸前に情報を託され、逃がしてもらったとも話した。
「レイマン王国の首都を出て森を歩いていた頃だった。湿った空気のようなどんよりとした環境になった途端、小物から大物まで一斉に暴れだしやがったんだ。倒しても倒しても次から次へと魔物が現れて、しまいにや倒れた魔物すら起き上がってきやがる。本当参っちまうよ」
高濃度の魔分は魔物を強化させる。魔物化していない生物までもその影響下に入り、時にはそれが死体にまで及ぶこともある。フィーナはガルディアで経験しているので、その様子がありありと想像できた。
「その口ぶりだと、我が国の諜報員は……」
「ああ。皆死んじまったよ。多分な」
トールマンの返答に黙り込む国王たち。
フィーナは黙り込んでしまった国王に代わって、トールマンから情報を聞くことにした。
「ゴールドマンさんお久しぶりですね」
「俺はゴールドマンじゃねえ! ってお前あの時のちび魔女じゃねえか!」
懐かしいやり取りにトールマンの声に少し喜色が混じる。フィーナの背後をちらちらと見ようとしているようだが、残念ながら今回はイーナはいない。いるのは刺激性の薬品を嗅ごうとするヴィオと、それを止めるテッサだけだ。
「トールマンさん、諜報員が託した情報を話してくれますか?」
「ああ……」
トールマンはぴくりと体を揺らした後、真面目そうに頷いた。
「言っておくが、俺は託された情報の半分も理解できてない。情報を伝えたら最後、口封じに俺を排除するなんてことはないよな?」
「ありませんよ。実はこちらでもレイマン王国の様子がおかしいというところまでは掴めているんです。トールマンさんには何があったか、今どうなっているのかを教えて頂きたいのです」
「そ、そうなのか。それにしてもお前、国の重鎮だったんだな。ちっさいのにすげーな」
小さいけど総年齢はあなたより上ですよ、とは言えない。あと自分は別に役職についているわけではないので重鎮というのは納得できない。しかし作戦立案者という立場を持ってしまったので、違うとも言えない。微妙なところだ。
フィーナが黙りこくっていると、トールマンはまずいことを言ったかといった表情になり「それで情報のことなんだがな」と無理やり話を変えた。いや本題に入ったと言った方が良いか。
「諜報員?ってやつは魔人がレイマン王国を乗っ取ったって言ってたぜ。女が三人、鎧を着た性別不明の魔人が一人いたそうだ。俺は見てないけどな」
「三人……ですか」
その数が多いのか少ないのか、フィーナには分からない。だが、ヴィオの表情から察するに、少なくはないようだ。
「レイマン王国の首都は完全に堕ちたと言っていいそうだぜ。国軍は手も足も出なかったらしい。死人は……不明だってよ」
国一つを丸々包み込む高濃度の魔分だ。魔人やキマイラの手によってやられなくても、生きていける土地ではないだろう。逃げる先は東部か山脈を越えたこちら側。もしくは海上だ。どの方角であっても簡単には行けない道のりになっている。実際に見てみなければわからないが、レイマン王国に生きる生命は絶望的だろう。
現在生きているのは魔分に抵抗力がある魔女か、魔物くらいだ。あとは全て動く死人である。
「それから奇妙な魔物が万単位で動いているそうだぜ」
「それはこういう魔物ですか?」
「お、多分それだ。諜報員の奴らが言っていた特徴と一致するからな」
フィーナがキマイラの絵姿が描かれた紙をトールマンに渡すと、彼は片目を細めて頷いた。
「キマイラが万単位……?」
国王やゼノン騎士団長は驚きを隠せないようで、口元を覆って目を見開いていた。代わってヴィオは大好物の玩具を与えられた犬のように目を輝かせた。
「結局、魔人たちの目的は判らずじまいだったそうだ。レイマン王国を乗っ取って、王族を処刑し、実権を握ったところで何もしない。そんなのはおかしいってことで諜報員の奴らは根気よく調べていたようだけどな……。そこを狙ってきたかのような魔物の襲撃で部隊は壊滅。俺は少ない情報を手に国境の山脈を強行突破したってわけだ」
魔人たちが何もしなかったのは“何もする必要がない”からだ。放っておけば人間は魔人になるか魔物に食い殺されるかするわけで、魔人は魔分さえあれば延々と生きていられる。そのため国を統治する必要もなく、人民をまとめる必要もないのだ。人間の魔人は普通、意志を持たないので、統率する必要性はない。
ではなぜ魔人達がレイマン王国を乗っ取ったのかとなると、推測の域をでない話になるが、自分たちの活動範囲を広げたいがためというのが妥当だろうか。或いはガルディアの時のように、悪魔召喚を目的としているかだ。
どちらにせよ、厄介なことには変わりない。
「それにしても、よく逃げられましたね。その傷を見ても、簡単な道のりではなかったようですけど」
トールマンの怪我は酷い。普通に会話しているのが不思議なくらいだ。
「まあな。山脈を越えるまでは死に物狂いだった。武器も無くしちまったし、食い物もその辺の草とかを食べながら、どうにか生き永らえたんだ。メルクオール王国に入ってからはそこまで苦労はなかったが、怪我の治療が満足にできなくてなあ。偶々魔女が通りかかって、最低限の治療と王都まで運んでもらえたんだ」
レイマン王国とメルクオール王国の国境とされている山脈を越えると、そこはレンツを始めとした魔女の領域が広がっている。
トールマンは運よくどこかの魔女に助けてもらったそうだ。もしかしたらレンツの魔女なのかもしれないが、そこは置いておこう。
「けれどどうしてレイマン王国に? 狩猟大会で随分儲かっていたようですけど、故郷には帰らなかったんですか?」
「お前の姉貴は金がかかるらしいからなあ。危ないと噂されていたレイマン王国にも足を運んだってわけよ」
「はい?」
「お前が言っただろ? 姉貴を誘うなら金貨五百枚は必要だってな。危険だって噂のレイマン王国は競合が少なかったから稼ぎやすいと思ったんだ。結果はこの様だけどよ」
トールマンは包帯だらけの右腕を掲げ、力なさげにだらんと下げた。
確かにあの時はイーナを誘いたければ金貨五百枚は用意しろ、と言った。だが本当に集めだすとは思わなかった。チャラチャラした見た目だったし、本気とは思わなかったのだ。
だが実際、トールマンは本気でイーナを誘いたくて、さらに金を稼ぐためにレイマン王国へと渡ったのである。
そうなると金貨五百枚用意しろと言ったせいで、トールマンはこんな大怪我をしたということになる。とんでもない罪悪感である。
「本当に姉さんを誘おうとしてたんですか……」
「あったりまえだろ! 言っとくけどな、あの時俺は初めて女を誘ったんだぞ!」
「え? じゃああの時周りにいた女の子たちは?」
「あれは勝手についてきてただけだ。装飾品ばかり強請られるし、次の日には忽然と姿を消す奴らだったぞ」
女を侍らすやらしい男と思っていたが、それは逆で意外なほどに初心であったようだ。寧ろ純情な心を弄ばれている。
だが誘い文句は金持ちアピールを前面に持ち出したものだったし、女性を取り巻かせながらというのも「俺の何人目かの女になれ」と勘違いしてくれと言ってるようなものだった。
そして最も重要なことが一つ。イーナはまだ十二である。男性に対する人見知りが幾分か改善されたとはいえ、まだ子どもだ。身内びいきではあるが、フィーナから見てイーナは可愛い。そんな幼くて可愛いイーナをトールマンにやれるだろうか。いや、やれるわけがない。
ただ怪我をさせたままというのも収まりが悪いので、怪我だけは治療してもいい。イーナを狙うならそれなりに良い男になってからだ。
フィーナの小姑根性が炸裂である。
「フィーナ、話が逸れておるぞ。そこの男がレイマン王国へ渡った理由など、今は重要ではなかろう。もっと重要なこと、なぜレイマン王国が短期間で魔分に包まれたかじゃ。魔妖樹について聞いてみよ」
ヴィオが琥珀色の目をじろりとフィーナに向ける。
【千里眼】をまた使用しているようで、ヴィオからは無遠慮なほどの魔力が感じられた。
トールマンもヴィオのことをただ者ではないと気づいたらしく、音が聞こえるくらい大きく喉を鳴らした。
「そうでしたね。トールマンさん、魔妖樹については何か聞いてませんか?」
「いや、魔妖樹という物は聞いていないな。諜報員の奴らは『魔妖樹が見つからないのはなぜだ』とは言っていたが」
「それはおかしな話じゃのう」
レイマン王国全土を高濃度の魔分で満たすのは簡単にできるものではない。魔妖樹を使えばできるのかもしれないが、ヴィオの見解ではそれでも長い年月がかかるはずとされていた。何か別の方法が施行されたとしても、魔妖樹は悪魔召喚に欠かせないもののはずなので、少なくとも数本は植えられていると考えていた。
だがレイマン王国に潜入していた諜報員は見つけることはできなかったと、トールマンは言う。
「魔人たちが悪魔召喚を目的として捉えていないのか、それとも別の手段をとっているのか……。おそらく後者じゃろうな」
「なぜそう思うのだ、魔女王よ」
ヴィオの呟きに国王がいち早く反応する。フィーナとしても、もし魔人が悪魔召喚を目的として捉えてないとするならばこの上なく楽になるので、なぜヴィオがその可能性を捨てたのか気になった。
「ふむ。それを語るには少し長くなるのう。テッサ、茶を用意しといてくりゃれ」
医務室でどうやって茶を飲むのかと問いたかったが、次の瞬間にはテッサが転移魔法使ったので、大方ヴァイオレット城まで戻ったのだろうと察しがついた。
程なくしてテッサが人数分のティーセットを盆にのせて戻り、ヴィオは紅茶で唇を湿らせた後、ゆっくりと語り始めた。
「魔人は悪魔召喚を本能的に行いたがるものじゃ。脳内に最優先事項として書き留められていると言っても過言ではない。ではなぜ悪魔召喚を行うのか。その原因を語るには神話時代まで遡ることになるがの」
ヴィオが勿体付けるように一人一人の顔を見ながら告げる。
神話時代の話は伝承として多く残っているので珍しくはないが、フィーナの記憶にあるものでは魔人の行動理念と言えるべきものに当て嵌まらなかった。
「この世界に魔分がもたらされたのは今より数千年も前の話じゃ。その時まで魔分と呼ばれるものはなく、人々はとても栄えていた。じゃがある時、一体の悪魔がこの世界を訪れた。何のために訪れたのか、どうやって訪れたのかはわからん。わかっているのはこの悪魔が永きにわたる悪魔と人間の戦争を引き起こした張本人ということ、そしてこの悪魔が『最初の悪魔』と呼ばれておることだけじゃ」
ヴィオはここで紅茶を口に含むと、重々しく続きを語った。
「『最初の悪魔』は自分の同胞を次々と召喚した。大挙として現れた悪魔は次々と人間を喰らい、街を滅ぼしていった。しかし人間側もただ見ているだけではなかった。驚異的な力を持つ悪魔に真っ向から対峙したのじゃな。多くの国々が手を取り合い、対悪魔連合を築いた。それを指揮したのが神話の英雄、剣神グランヘイトスじゃ。グランヘイトスは個々の能力に秀でる悪魔たちを数の力で圧倒した。俗にいう神話戦争じゃな。初めのうちは人間側が優勢であったが、悪魔側がある者を召喚したことにより、情勢は悪魔側へと傾いた」
「ある者……?」
「最初の悪魔を作り出したバロメルツという悪魔じゃ。全ての悪魔の母と呼ばれておっての。全長はこの城よりも大きかったらしい。血を血で洗うような永い戦いの末、グランヘイトスはバロメルツを討ち取ったが、その後に残った魔力の影響は世界を汚染した。大悪魔バロメルツが死後残した魔力、それらは【魔妖樹】となり、魔分を撒き散らしたのじゃ」
フィーナは日ごろから身近にある魔分が悪魔の残りカスであることを知って微妙な気持ちになった。
高濃度の魔分にさらされたとき、吐き気がこみ上げそうな気分になるのは、悪魔の魔力が元だからだろうか。
「蔓延した魔分によって、この世界の生命体は悉く変質していった。いくら剣神といえど、その流れは止めることができなかった。人間であるグランヘイトスには【魔妖樹】に近づくことすらできなかったのじゃ。じゃが、その環境に適応した者が現れ、人間は滅びから救われることになる。それが魔女の始祖、レファネンじゃ」
始祖レファネン。魔女であればだれもが知っている名だ。知名度でいえばアルテミシアに引けを取らないだろう。だが何をした人なのかと問われると、わからないという他なかった。ここにきてようやく始祖レファネンのことについてわかるのか、とフィーナは身を乗り出しながらヴィオの話を聞いた。
「レファネンは【魔妖樹】の大木を破壊し、悪魔どもを退かせた。じゃが濃すぎる魔分は始祖といえどその体を蝕んだ。魔人となることを嫌ったレファネンは恋人であったグランヘイトスに自らを殺めることを求め、グランヘイトスもそれを承諾した。当時のグランヘイトスの嘆きようは凄まじかった。愛する者をその手で殺さなければならなかったのだから、仕方ないとも言えるが……。なんにせよ、こうして悪魔と人間の長い戦争はようやく終結に至ったというわけじゃ。じゃがその名残は今も漂う魔分という形で色濃く残っておる。小さくなったとはいえ、現在も【魔妖樹】は現存しておるし、原生物も悪魔の侵攻によって生まれたものじゃ」
ヴィオは長々と語って喉が渇いたのか、紅茶を一息に飲んで大きく深呼吸した。
「とまあ歴史の勉強はこのくらいにしておいてじゃな。なぜ魔人が悪魔召喚を優先するのかと言うと、単にバロメルツの魔力がそうさせるからだと妾は考えておる。初代アルテミシアの時代から今までの傾向から見ても、魔人の行動はより強い悪魔の召喚を目指しておる。人間であった者が魔人になったからとはいえ、未知の悪魔を召喚しようとは思わんじゃろう。であれば原因となるのは魔人になる際、大量に取り込まれた魔分にあるはずじゃ。魔分はバロメルツの魔力の残滓。バロメルツの意思が残っていてもおかしくはない。意志の弱い人間ほど悪魔召喚に積極的だというからのう。バロメルツの意思に負けてしまうんじゃろうな」
ヴィオはそう言うと「ふう」と嘆息した。
この世界の真実を知れた充足感に満ちる思いになるが、ヴィオは一体どこでその話を知ったのだろう。年齢的にはフィーナと変わらないはずで、デメトリアのように若返っているわけでもないのに、やけに詳しい。
アルテミシアの家だけに代々語り継がれている物語であるかもしれないが、それにしてはまるで見てきたかの口ぶりだった。
フィーナはヴィオに小さな疑問を持ったが、問い詰める勇気はなかった。