204『急報』
国王の執務室に着いたフィーナは入ってすぐ部屋をぐるりと見渡した。
国王を始めとし、騎士団長のゼノンや副長のブラウン、国王と似た髪型であるバーネッティ第一王子の姿がある。メルクオール王国の軍部でも最高峰の権力者たちが集まっていた。
バーネッティが初めにヴィオに初対面の挨拶をし、次に騎士団の二人が挨拶する。ヴィオは魔女王と名乗ってはいるが、こういう格式ばった挨拶には慣れていないらしく、テッサに小声で教えてもらいながらぎこちない挨拶を返していた。
その様子を周囲は微笑ましそうに見ていたが、ヴィオはやりきったという満足そうな表情を浮かべていた。
「これで互いの名は知れたであろう。少し腰を落ち着けて話すとしよう。ピボット」
「はい」
国王が呼ぶとピボットが音もなく現れ、人数分の紅茶を淹れていく。テッサは自分の前にも紅茶が用意されたことに一瞬眉をしかめていたが、紅茶の香りを嗅ぐと今度は驚いた表情でピボットを見た。顔を向けられたピボットは涼しい表情でそれを受け流していた。
「まずは急な用件となってしまい、すまなかった。特にフィーナには苦労を掛けた。本当にすまない」
「え……?」
国王が素直に謝るなんて初めてだ。あまりに珍しい光景なので、一体何を企んでいるのかと疑いたくなってしまう。
「なんだその顔は。我も謝ることくらいある。特に今回は予定を大幅に繰り上げてしまったからな。そのせいでお前には要らぬ視線を集めてしまった」
そういって国王は深々と頭を下げた。頭を下げられると弱いのは元の気質のせいだろうか。ついこっちまで腰が低くなってしまう。
「一国の主がぺこぺこするでない。お主が頭を下げるからフィーナは増長して妾に不敬な言葉を吐くのじゃぞ」
国王が頭を下げるからと言ってフィーナが目上の人物に態度を変えるようなことはないはずなのだが、ヴィオは不服そうに零した。
「この謝罪は友人に向けたものです。今だけは国王という立場はなく、一人の友人に謝罪する憐れな男と思ってもらえば幸いです」
国王が微笑みながらそう返すと、ヴィオは虚をつかれたように目を丸くし、さらに気に入らなさそうに鼻を鳴らした。
「ではここからは真面目な話と致す。ゼノン、騎士団の現状はどうだ?」
国王の目が鋭いものとなる。ここからは国王として振舞うという意思表明なのだろう。国王の言葉で、周囲の雰囲気もがらりと変わったように思えた。
「騎士団はゴブリン討伐の遠征があったため、万全とは言い難い状況です。それに魔女に対抗するには経験が足りません。大国のレイマン王国やスノー・ハーノウェイ王国、自国で小競り合いの多いノータンシア連邦であれば対抗する術をしっていそうですが……。精々キマイラに対応するだけでいっぱいいっぱいでしょう」
ゼノン騎士団長は難しそうな顔で現状を報告し「魔女に任せる結果になって申し訳ない」と自身の心情も吐露した。
「その点は仕方なかろう。ゴブリン討伐も急務であったし、そもそも我が国は武力に重きを置いていない。各国とうまく良好な関係を築いて成り立ってきた国だ。魔女への対抗手段など知らぬ方が平和と言うものよ」
「そうじゃな。そのお陰で魔女はこの国でいい暮らしができておる。比較的緩い土地柄であるサッツェ王国でも、一介の魔女見習いが国王と友人になったりなどできん。魔女は危険であるという意見が強い故な」
ヴィオは初めて国王と意見があったことを嬉しそうにしていた。
メルクオール王国は魔女の社会立場が他国より数段高い。魔女村の中にいただけではわからないが、一度町に入ると、その差は顕著となる。
レイマン王国のレリエートから移ったマリーナはこの国のそういった姿勢を随分とべた褒めしていた。マリーナが語るにはレイマン王国では魔女が自由に街に入ることさえできず、魔女村と取引する商人まで嫌な目で見られるそうだ。なのでレンツの宿場町のように魔女村と隣接して町が建てられていたのを見たときは目を疑ったらしい。そして同時に羨ましく思ったと言っていた。
ヴィオもメルクオール王国の今の風潮が気に入っているらしく、とても機嫌良さげに語っている。
「魔女相手は妾たち魔女に任せてもらおう。なに、妾がおれば何も心配はいらん」
そういってヴィオはふんぞり返った。見た目は運動会を目前にして足が速いことを自慢する子供のようにしか見えないが、その実力は本物である。ヴィオなら一人で山一つくらい消し飛ばせるだろう。それがキマイラの山であっても同じである。
「そう言って頂けると心強い。我々騎士団は町や村の防衛を担いましょう。余計な混乱も防げるはずです」
「団長、各国の騎士団にも連絡を取ってはどうでしょうか。情報の共有はできたほうがいいでしょう」
ブラウンがゼノン騎士団長に提案する。しかし、ゼノン気団長はそれに首を振った。
「いや、すでに情報は届けた。各国から魔人の情報に対する感謝の意を含めた返事も帰ってきている。まあ、レイマン王国以外からは、という注釈が付くがな」
レイマン王国とは元から仲が悪く、レンツ襲撃の件もあったので、国家間の緊張はかなり高まっている。とはいえ昔からこちらの要請を無視することはあったそうで、首脳陣の悩みの種となっているそうだ。
「どう判断するかはレイマン王国次第だが、協調路線をとらないとなると、魔人にレイマン王国を狙われた際にはまずいことになるな。魔女王殿、レイマン王国の様子はわかりますか?」
「ちょっと待っておれ」
ヴィオから魔力の反応が感じられた後、ヴィオの瞳の色が琥珀色へと変わる。【千里眼】を発動したようだ。
「む……?」
「魔女王殿、どうかなされたか?」
「おかしいのじゃ。レイマン王国の様子が見えん」
ヴィオは目頭を軽く揉んだり、目を細めたりして再度【千里眼】を試みたが、いづれも白い靄のようなものに視界を阻まれて見えなかったと零した。
「三日前までは見えていたのじゃ。その時は特に問題はなかったはずなのじゃが……」
はて、と首を傾げるヴィオを見て、フィーナの頭の中には嫌な予感がよぎった。
ヴィオの【千里眼】は魔分の濃い地域は見えない。それがレイマン王国に当てはまるとすると、現在レイマン王国は人が住めないような高濃度汚染地域となっているはずだ。
大国であり、山を挟んだ隣国であるレイマン王国がこの三日間でどうなったかはわからないが、何か良からぬことが起きているということは明白だった。
もし見えない原因が魔分であれば、魔人による仕業の可能性が高くなる。諸々の推測が立ち、フィーナは気が気でなかった。
「ヴィオ、もしかしてそれは―――」
フィーナが懸念を伝えようとする前に、執務室の扉が勢いよく開かれた。
転がるようにして入って来た兵士の一人に、ゼノン騎士団長やブラウン副長が剣に手を伸ばしながら注目する。
「一体何事だ!」
国王は立ち上がり、不快感を露にしながら兵士に詰問した。
王城に詰める兵士は騎士団と並ぶほどのエリートである。それがマナーや礼節を無視した入室であったため、国王の怒りは相当のものだった。
「へ、陛下! 無礼ながら急ぎの報告があります!」
兵士は床に這いつくばるようにして詫びると、息を荒げてそう言った。
その様子から兵士の焦りと緊張は肌で感じられた。国王も私情を消し去り、真面目な顔となっている。
「何だ。申してみよ」
「……レイマン王国の王城が、か、陥落したそうです」
「は…? どういうことだ?」
国王は信じられないという顔になっており、対してフィーナは嫌な予感が当たったという苦い顔になっていた。
「二日前、レイマン王国の王都に突如として魔人が襲撃。多数の魔物を従えて、その日のうちに王城を占拠したとのことです。その際に王族は全員が処刑されたと……」
「ま、待て。レイマン王国にも国軍がいるだろう。奇襲であったとしても、すぐに王城が落ちるとは思えん。何かの間違いではないか?」
「私も初めは間違いだと思っておりました。しかし、レイマン王国から逃れた冒険者が、我が国の密偵だけが持ち得る符丁を話し、至急陛下に伝えてくれと」
その話が本当だとすれば、二つの状況が考えられる。レイマン王国に派遣していた密偵が異変に巻き込まれ、冒険者に情報を託した場合と、その冒険者がまったく事実無根の情報を話している場合である。だが後者の場合、密偵から符丁を手に入れる必要があるし、そもそも虚偽の情報をもたらされたからといって、あまり困るものでもない。故に後者の可能性は低く思えた。
国王や騎士団の二人も同様の考えだったらしく、互いに頷き合うと兵士にレイマン王国から逃れたという冒険者の行方を尋ねた。
「冒険者は城の医務室にいます。国境の山脈を強行突破したらしく、非常に衰弱した状態でしたが命に別状はないかと」
「そうか……。レイマン王国から逃れてきたのはその冒険者だけか?」
「はい……そのように聞いております」
国王はどかっと腰を落とすと、目元を隠すようにして顔を覆った。
密偵が情報を他者に託すという状況を考えれば、その者がどうなったかは容易く予想できる。おそらくメルクオール王国の密偵は誰一人として生きていないだろう。
「フィーナよ。この状況をどうみる? 我は嫌な考えが頭から離れん」
「陛下のおっしゃる通り、最悪な状況だと思います。先ほどヴィオの【千里眼】で見えなかったことからことからも、レイマン王国は現在高濃度の魔分に覆われていると思われます。多数の魔物と言うのはキマイラでしょうね。魔人に高濃度魔分の環境という枷がなくなれば、一国を占領するのもあり得ると思います」
「ここにきて大胆な行動に出おったのう。妾に悟らせず、一体どれだけの準備をしておったのか、想像するだけで恐ろしくなるのじゃ。しかし……一国分の魔分領域とはな」
三者から重いため息が吐かれ、騎士団の二人も顔を伏せる。話を聞いていたピボットやテッサも暗い表情を浮かべていた。
レイマン王国一帯が高濃度の魔分に覆われているとなると、そこに住む人々の安否は絶望的だ。いや、もはや人ですらないのかもしれない。魔物も強化されているはずなので国を抜けることすら困難であるだろう。
そんな困難な状況から逃げてきた冒険者とはどんな人物なのだろうか。この後詳しい事情を聴くだろうし、フィーナはその冒険者の名前を聞いてみることにした。
「冒険者の名前はわかりますか?」
フィーナの質問に兵士は思い出すように首を傾げた後「確か、トールマンと名乗っていたはずです」と応えた。