202『渦の中から』
「あ、でもヴィオは私とほとんど歳は変わらないですよ。ピーマンが食べれないようなお子様です」
そう言った後、フィーナは後悔した。周囲の空気が凍り付くのを肌で感じたのだ。だがもう遅い。もはや会議場はお通夜状態である。中には「アルテミシアと言っても子どもでは……」や「この国はもう終わりだ」などと口走っている者もいる。
フィーナは「私も一応子どもなんだけど……」と呟いたが、誰からも反応されなかった。無視されているようで少し悲しい。
「ん? なんだあれ?」
どこかしらからそのような声が発せられ、どうしたのかと皆が声の主が指さす方を見る。フィーナもそれに釣られて伺い見ると、どうも円卓の上の様子がおかしい。ぐるぐると螺旋を描くように空間が歪み、鈍く光り始めていたのだ。
その渦からはさらに魔力の反応も感じられた。そのことに気づいたヘーゼルやノンノ、宮廷魔女から「魔女の襲撃かもしれない」と警戒する声が上がると、会場は一気に混沌とし始めた。
「陛下、お下がりください!」
「すぐに避難を!」
ゼノン騎士団長とブラウン副長が国王の前に立ち、懐剣を抜く。会議の場に武器の携帯は禁止だが、もしものときのために騎士団長と副長だけは許されていた。それでも普段使いの剣とは雲泥の差がある武器であり、切れ味もリーチも心もとないものだ。どんな相手にせよ、これでは分が悪いのは確実。それを察してか二人の顔色もすこぶる悪い。
会議室の扉前は逃げ惑う人ですし詰め状態で、とても統制のとれたものではない。窓から出ようにもこの会議場は城の二階にある。たかが二階といっても、とても飛び降りれる高さではない。
ゼノン騎士団長は逃げ場のない空間で歯ぎしりしながら渦を睨みつけていた。
やがて渦の中から紫色の影が飛び出てきた。ばさりと丈の長いローブをはためかせ、円卓の中央に着地する。フードを被り、膝をついていたため俯き加減になってしまい顔が見えない。だが身長は高くないようで、体型的にはフィーナと同じくらいだ。
現れた人物に対して、ゼノン騎士団長とブラウン副長がすぐさま詰め寄り、懐剣を突き付ける。包丁の方が頼もしく思えるような小剣だが、刃物には変わりない。喉元すれすれに突き付けられた刃は少し動かしただけで首を掻っ切ってしまいそうだった。
「邪魔じゃ」
フードを被った不審人物がそう言うと、小剣が瞬く間に土塊へと変わる。ゼノン騎士団長とブラウン副長はその様子に目を見開いて驚いたが、形勢不利を悟るとすぐに国王の傍へと下がった。
声の高さから不審人物は少女だとわかった。少女はフンと鼻を鳴らすと、つかつかと円卓の上を歩き、フィーナの目の前に来た。キマイラが描かれた紙は踏み荒らされ、無数の靴跡が残るような無残な状態になっている。
少女はフィーナを見下ろすと、いかにも怒ってますといった雰囲気を身に纏わせながら腕を組んだ。
フィーナがフードの中を覗き込むと、見覚えのある紫色の髪の毛が見えた。思わず「げっ!!」と口走るフィーナ。その場から逃げようとしたが、なぜか縫い止められたように足が動かない。足元から魔力の気配を感じたのでこの足が動かない現象も魔法なのかもしれない。
フィーナが逃げられないのを見て、少女は薄く笑い、すうっと大きく息を吸い込んだ。そして吸った息をすべて吐くかの如く声を発した。
「誰がお子様じゃぁああああ!!」
拡声器を使っているのかと疑いたくなるような大音声が会議場に響き渡り、あまりのうるささにフィーナは耳を押さえた。逃げ惑っていた人も動きを止め、声の方向を見る。国王やゼノン騎士団長たちもポカンとした表情を浮かべている。
「ヴィオ……どうしてここに?」
「どうしてじゃないわ! 黙って聞いておれば妾のことをピーマンも食べれないお子様だなんだと愚弄しおって!」
ヴィオはフードを脱ぎ去ると頬を膨らませて、ぷんすかと怒った。紫陽花を彷彿とさせる髪をかき上げながら、物理的に上から睨みつけている。魔力的な圧力がじりじりと伝わり、フィーナはヴィオの剣幕に押された。
だが同時に聞き捨てならないことも耳にした。
「あ、まさかまた覗いてたんですか!? もう勝手に覗かないっていう約束でしたよね?」
「う……」
ヴィオは痛いところを突かれて口籠った。
アルテミシアの家系であるヴィオは様々な特殊魔法が使える。その中でも【千里眼】という魔眼の力はフィーナ達に心底嫌われている。ヴィオが張り巡らせた魔力の網の範囲ならば、どこでも覗き見ることが可能という能力なのだが、気づかれることなく私生活のすべてを見通されるので、プライベートも何もあったものではない、と覗かれた本人であるフィーナはヴィオに怒ったことがあった。
もうしないと言質をとったはずだったが、性懲りもなくまた覗いていたようである。師と弟子の関係と言っても約束は守られなければならない。フィーナは目を逸らしているヴィオをきつく睨みつけた。同時にヴィオの魔圧に対抗するようにフィーナも内なる魔力を込める。円卓に置かれた小物類が二人の魔圧に耐えかねてカタカタと震えだす。
フィーナとヴィオの間では挨拶代わりのようなやり取りだが、隣でその様子を見ているヘーゼルとノンノはいつ大魔法の応酬が始まるのかと気が気でなかった。
その二人を諫めるように声が響いたのはまさしく幸運だった。
「二人とも少しは落ち着いてください。ここはヴァイオレット城じゃないんですよ」
ヴィオの後方、渦の中から新たな人物が降り立った。すらっとした長身に抜群のプロポーション、そしてそれを覆い隠すようで別の色香を醸し出しているメイド服に身を包んだテッサである。突然現れた美人に会場中が息を呑む。
空間に突如現れた渦はテッサによる長距離転移魔法だったようだ。まじまじと見たのは初めてだったので気づかなかったが、こうしてみるとかなり魔力を行使しているのがわかる。フィーナの所有する特殊魔法、短距離転移魔法とは比較にならない使用量だ。
「だから言ったじゃないですか。気になるからと言って盗み見は良くないですよと」
「そうは言ってもな。フィーナは妾が見とらんところで何を言うかわかったものではないからの。実際に妾のことをお子様呼ばわりしておったのじゃぞ」
テッサは憤慨するヴィオの頭を撫でて宥めた。そして咎めるような眼でフィーナを見た。
フィーナはバツの悪そうに視線を逸らすと、溜息を一つついて深々と椅子に腰かけた。
どうもテッサには頭が上がらない。あの整った顔を困らせると、こちらがとても悪いことをした気分になるのだ。フィーナの性格も体に引き寄せられて変なところで子供っぽくなっているので、ヴィオやデメトリアとは些細なことで言い争いになる。それを諫めるのはその場にいる者であり、テッサやスージーといった大人である。
大人の感情もわかるフィーナとしては子供っぽい争いはすぐにやめるのだが、それを相手にまで求めるのは難しいようで、現にヴィオは腰を下ろしたフィーナに向かってふふんと鼻を鳴らして勝ち誇っている。相手がデメトリアならば雷魔法の一つでも浴びせてやるのだが、ヴィオ相手だとそういうわけにもいかない。返り討ちにあうのが目に見えているからだ。
「こら!」
ぽかりと拳骨をお見舞いされ、頭を押さえるヴィオにフィーナが少しだけ溜飲を下げていると国王から「おい、フィーナ」と声をかけられた。
「この者たちはお前の知り合いか……?」
迷惑そうに国王の顔が歪む。大事な会議をめちゃめちゃにされたからか、眉間に皺が寄っている。
勘のいい国王ならばお子様の下りでヴィオのことを魔女王だと気づいていそうだが、場の空気に呑まれてしまったのか気づかなかったらしい。
「あ、えっとこの方は―――」
「うむ! 妾はヴァイオレット・ノーサン・ミッドランド! 魔女の中の魔女、魔女王などと恐れ多く呼ばれておるが、敢えて名乗るとすれば【二十五番目のアルテミシア】じゃな! 気軽にヴィオ様と呼ぶがよい!」
ヴィオは円卓に乗ったまま名乗りを上げた。すらすらと述べられる口上だったが、隣のテッサから「たくさん練習していたんですよ」と耳打ちされた。
フィーナの脳内ではたどたどしくも口上を一生懸命練習するヴィオの姿が思い浮かび、その寂しさやひたむきな努力に涙が零れそうになった。