200『三人の魔人』
廃墟となって久しい家屋の中で、魔人となった魔女が一人佇んでいた。ノータンシア人特有の褐色肌のおかげで顔色は判らない。だが目に生気はなく、体の至る所に怪我の痕があるせいで一見死人のように見えた。
彼女の名はアマンダ。ノータンシアからレイマン王国へと渡り、レリエートに辿り着いた流れ者。よそ者であるにも関わらず、幹部にまで上り詰めた才覚ある魔女である。だが、かつての彼女の姿はどこにもない。今は身体に刻まれた傷跡がゆっくりと癒えるのを待つだけで何かを成そうという意志さえ感じられない。
しかし、それも仕方のないことだった。魔人となり、痛めた身体の修復は徐々にされつつあるが、脳の損傷や腕の損壊といった重傷などは治りが遅いからだ。
魔人の身体は痛みを感じないので、苦痛を感じることはない。だが満足に身体を動かすこともできず、さらにこの身体は睡眠も食事も必要としないので、ただひたすらに退屈だった。
アマンダは比較的使い物になる片腕を動かし、一冊の本のページを捲った。この本は辛気臭いこの場所に文字通り担ぎ込まれたときに、背の高い女から「暇つぶしに」と渡されたものだ。
本を読む習慣などほとんどなかったアマンダだが、今回だけは本があって良かった、と心から思っていた。アマンダにとって退屈とは死より辛いもので、活動時間が増えた分の暇つぶしはどうするのか、と目を覚まして二人組の女から説明を受けている間にも思っていたことだ。
アマンダはページを捲りながら、読む速度もだいぶ上がったな、と自身を褒めていると、ふと魔力の気配を感じ取った。
「何の用だよ、レイニー」
「はあ。アマンダ、あなたその口調を直す気はないの? 男の人みたいで不愉快だわ」
レイニーと呼ばれた女が咎めるように言うと、アマンダは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「嫌われたものね」
「当然だろ。死んだ人間に鞭打つような真似しやがって。なんであのまま死なせといてくれなかったんだ」
アマンダが語気を荒げると、それを受けたレイニーは一瞬きょとんとした表情になった後、大口を開けて笑った。馬鹿にされているように感じ、眉を顰めるアマンダ。
不機嫌なアマンダを見て尚も高笑いを続ける、その女の名はレイニー・ショー。すこぶる目つきが悪く、人を小馬鹿にしたような話し方をする魔人となった魔女である。アマンダは前に本人から何百年も昔に魔女をやっていたということを聞いたことがあった。荒唐無稽な話だったので、アマンダはそれを半信半疑で聞き流したが、最近は本当なのではないかと思い始めている。
ひいひいと息を整えた後、レイニーは肩を竦めて答えた。
「ふう。何を言うかと思えば、あのまま死なせて欲しかった? 笑わせないでちょうだい。死んだ後もあれだけ魂を執着させていたのはあなたよ?」
「なんだと?」
怒気を含ませてアマンダが聞き返す。レイニーはアマンダの怒気を気にも留めず、子供に言い聞かせるように話し始めた。
「あのね。普通死ねば魂は簡単に身体から離れるものなのよ。誰しも魔人になれるわけじゃないの。あなたにそれだけ未練があったってことよ。その未練が魔人になる素質となるわ。怒りでも恨みでもなんでもいい。現世にしがみついてでも成し遂げたい何かがあれば、その人は魔人になれる可能性があるわ」
それを聞いてアマンダは何が自分をこの世に押し留めていたのかを考えた。
真っ先に記憶に上るのはレンツ襲撃時に敗北した、デイジーという魔女見習いのことだ。圧倒的で理不尽なまでの怪力。自慢のゴーレムを破壊され、奥の手であった【星落とし】すら真っ向勝負で叩き落されたそうになった。
迸る赤い魔力。纏う紫電。今でも鮮明に思い出せる。未練があるとすれば、あの時の決着だろう。あの時は邪魔が入ってしまい、決着がつかなかったのだ。
「うふふ。心当たりがあるようね。あなたの未練は拷問を受けた恨みかしら? それともレンツのアルテミシア達?」
「拷問はどうでもいい。俺の未練はあのデイジーって小娘だけだ」
「ふうん。戦った相手が未練ねえ……。魔女の誇りってやつかしら?」
「そんなんじゃねえよ……」
アマンダは否定し、これ以上は詮索するなと言わんばかりに、手元の本へと目線を逸らした。しかしレイニーはニタァと笑うと、アマンダの視界に移るように体を傾けた。
「愛しのデイジーちゃんの今の実力を知りたくない?」
「………チッ」
アマンダが舌打ちし、顔を上げる。相変わらずレイニーのニタニタした顔がそこにあり、アマンダは不機嫌になった。
「実はね。私の試作品をメルクオール王国に置いて来たのよ。そこらの冒険者や魔女を適当に狩って、性能を測るつもりだったのだけれど……」
ニヤニヤとしながらレイニーが語りだす。アマンダはまた関係のない話が始まったかと視線を落としそうになったが、それはレイニーに阻止された。
「最後まで聞くことよ。そこで不運なことに……いえ、幸運なことね。メルクオール王立学院の試験が行われていたの」
「それがなんなんだ?」
アマンダはイライラとしながら先を促す。
「試験監督にレンツのアルテミシア達もいたのよ。もちろんあなたの愛しのデイジーちゃんもね」
「まさか……」
「ええ、そのまさか。私の試作品とデイジーちゃんの戦闘になったの。映像も撮ってきてあるわ。観たい?」
「いいから、さっさと見せろ」
アマンダが吠えるように言うと、レイニーは嬉々として魔道具を取り出して準備を始めた。大きなガラス体に光が当てられ、ぼんやりと森の風景が観え始める。
「便利な世の中になったものよね。手に入れるのは苦労したけど、この魔道具は素直に凄いと思うわ。尤も、短い人生の中でこんなものに情熱を捧げる気持ちは理解できないけど」
くすくすと笑うレイニーを無視し、アマンダは映像に釘付けになる。レイニーが「試作品」と言う魔物相手に力で圧倒するデイジーが映っている。
アマンダは眼で追いきれないほどの戦闘を瞬きもせずに見つめる。体の内側で、沸々と熱い何かが湧き上がってくる。映像を見ながら、いつしかアマンダは笑みを浮かべていた。
あの時以上だ、とアマンダは喜色に満ちた表情を浮かべた。レンツ襲撃時のデイジーは力を制御しきれていなかった。だがこの映像の彼女はどうだ。紫電を身に纏い、風を吹き荒らしながらも冷静さを失っていない。拳一つで魔物の巨体を浮かし、蹴り一つで土の津波を作り出す。不意を突いた攻撃さえも容易く跳ね返し、絶大な力で敵を葬る様は記憶の中の彼女に重なるどころか、記憶以上の動きを見せている。
「戦わせろ。今すぐに!」
アマンダの目に生気が宿り、全身を包むように青い魔力が可視化する。
今すぐにでもデイジーと戦いたい。魔人となって、初めての欲求は陶酔するほど甘美で誘惑的だった。
「駄目よ。身体も万全じゃないし、あなたはまだこの【ゴールド・ソルシエール】からは出られないわ。言ったでしょう? 魔人は魔分の薄い場所には行けないの。今のあなたじゃ、戦う以前に塵となるだけよ。それに試作品の改良も必要だわ。魔女一人に手古摺るような原生物なんていらないもの」
【ゴールド・ソルシエール】は高濃度の魔分に満たされている。
元々、ここは結晶魔分の産出地なるまで人の寄り付かない場所だった。大金を生み出す結晶魔分を目的として、多くの人間が一攫千金を夢に集まり、町を作った。メルクオール王国とスノー・ハーノウェイ王国を隔てる大峡谷、その谷の壁に沿うようにして町は作られた。壁には無数の穴が掘られ、当時は多くの人々が命がけで採取し、暮らしていた。だが今、穴の中は薄暗く篭った空気が漂う陰気な場所となっている。町に行くための階段も朽ち果てており、空を飛ぶでもしない限りは行けない場所となったのだ。
そのような場所となった理由、それは結晶魔分の産出が滞るようになったからだ。結晶魔分が産出されなくなると、人々は熱が冷めたように町を離れ、生活していた者も家を捨てた。そして、いつしかここは廃墟となってしまった。今では空を飛ぶことができる魔女だけが行ける場所、そしてかつての栄光の記憶のためにここを【|ゴールド・ソルシエール《魔女の楽園》】と呼ぶ者は少なくない。
しかし、現状高濃度の魔分に汚染されているということ、魔物が跋扈しているという理由から、この地に足を踏み入れるものはいない。故にここにはアルテミシアの警戒も届かない。魔女の楽園はいつしか魔人の楽園となっていたのだ。
アマンダはそのような何百年も前のことをレイニーから聞かされたことを思い出した。
「チッ……いつ出られるんだ」
「まずは傷が治ってからね。それから結晶魔分を体内に取り込む訓練を行うのよ」
レイニーは映像の魔道具を片付けながら言う。
「ここからは産出されないんじゃなかったのか?」
「何百年も経てばそれは結晶化するわよ。何しろこれだけ魔分が濃いのだもの。一年ごとに少しづつ大きくなっていく結晶魔分を観察するのはけっこう楽しいのよ」
軽い疑問を口にしたアマンダだったが、返ってきた答えがあまりにも壮大だったので少し面食らってしまった。動揺を見せるのも恥ずかしいので、鼻を鳴らして誤魔化す。
「一体何年前の人間なんだよ、お前は」
「失礼ね。私は人間じゃなくて魔人よ」
レイニーは頬を膨らましてむくれたが、そんな彼女にアマンダが抱いた感想は「理解できない」という端的なものだった。
「あ、先輩。ここにいたんだ」
会話を遮るようにして扉のない廃屋に子どもが入ってくる。その子どもの名はレディ=レティ。レディと言うには幼すぎる外見だが、彼女も百年前には魔女として過ごしていたという。レディを付けろというのは彼女の無理強いで、アマンダは強制的にそう呼ばされている。
「あらレティ、あなたが部屋から出てくるのは珍しいわね。どうかした?」
レティは普段自室から出てこない。何かしらの実験をしているそうだが、アマンダは詳しくは知らなかった。部屋に近づくだけで異臭がするので、今まで近寄らず、面識自体も少ないという理由があった。
「例の日に向けての準備が整ったから伝えておこうと思って」
「例の日?」
アマンダが聞き返すと、レイニーは口角を吊り上げさせ、楽しみで仕方ないといった具合にこう答えた。
「―――終末の日よ」