195『熾烈極まる』
地を直撃した光に目がくらみ、轟音によってキーンという甲高い音のみの世界へと隔離される。
爆風に転がされ、不格好な寝姿を晒すことになっているが、今はそれどころではない。あの光は何だったのか、魔物はどうなったのか、サムは現状の確認を優先させたかった。
冷汗が気持ち悪いので顔が汚れることを構わず、ごしごしと袖で拭う。気持ち悪さが消えると、少し気分が落ち着いた。相変わらず目は痛いし何も聞こえない状況ではあるが、痛みは生きていることを実感させてくれたし、聞こえない状況は身の凍るような魔物の唸り声を聞かせなかったのでサムにとってはありがたかった。
ぐんと上に引っ張られ、誰かに運ばれている感触が一定の揺れでわかった。暖かい手の温度とやわらかい感触で少なくとも人の手によって運ばれている。どうやら助けてくれているらしい。つま先が地面を擦っているが、体に力が入らないのでどうしようもなかった。
そう時を措かずに運搬状態から地面の上へと放り投げられる。少し痛かったが丁寧に寝かせる時間も惜しいくらい緊迫した状況なのだろうとサムは判断した。
徐々に視覚と聴覚が戻ってくると、現在の状況が嫌でも分かった。
魔物はいまだ健在だった。それも傷一つない万全の状態で。助けに来たのは護衛の魔女だった。あの笛の音を聞いて駆けつけてくれたらしい。
護衛の魔女は転がる班員たちの前で魔物の方を向いて杖を構えていた。杖はフィーナが一度見せてくれたものに似ていたが、嵌められた結晶魔分の数が依然見たものより少なかった。
サムは周りを見回し、他の班員たちを確認した。失神中の二名はそのままだったが、指揮官は膝をついて恐怖に抗うように歯を食いしばっていた。サムから少し離れた位置にいる重装兵役の班員は護衛の魔女を神に縋るような眼で見ていた。
護衛の魔女は箒に跨ると、色とりどりの閃光を魔物に浴びせながらサムたちから距離をとった。魔物を引き寄せるつもりのようだ。
「サム、大丈夫か?」
護衛の魔女が作ってくれた隙をついて指揮官がサムをを助け起こす。
サムはこれで一安心だ、と安堵すると今度は自分の下半身がびしょ濡れなことに恥ずかしくなった。濡れた布が肌に張り付き、とても気持ちが悪い。それに地べたを這いずり回ったせいか泥だらけだ。心なしか指揮官も下半身を見ないように気を使っているように見える。
サムはその辺にあった布を腰に巻き付けると、ばつが悪そうに頭を掻いた。
「動けるのは……三人だけか」
「動けるけどあの戦いに混ざるのは無理だぞ」
「わかってる」
至る所に炎の柱が立ったり、突如として竜巻が起きたり、稲妻が落ちる戦いだ。とても手の出せるものではない。
指揮官もそれがわかっているらしく、あの戦いに混ざるなんてとんでもない、と青い顔をして首を振った。
「一先ずここは護衛の方に任せて退こう。フィーナ先生でもデイジー先生でもいい、誰でもいいから助けを呼ぶんだ。今日は騎士団も来ているらしいし、そっちにも助力をもらえるかもしれない」
「わかった。僕が二人を担ぐよ。今のあいつじゃ役に立たなさそうだから」
「…すまない、任せる」
サムと指揮官は祈りを捧げ始めた重装兵役を尻目に分担を決めた。
サムが重い腰を上げ、斥候役と工作兵役の二人を担ごうと近づこうとしたとき、ぞくりと背筋に悪寒が走った。
「あ、危ない!」
指揮官が声を張り上げ、サムが慌てて背後を振り向く。
「うわっ!」
魔物の尻尾である蛇がサムの首元めがけて噛みついてきたのだ。
サムは前のめりにこけたお陰で蛇の牙からは逃れられた。まるでこの場からは逃がさないと言わんばかりの行動に、サムは当初の目的であった二人を担いで退却するという役目は果たせなくなってしまった。護衛の魔女が引き離そうと躍起になって攻撃しているが、魔物には大して効果がないようで、ほとんど意味を成さなかった。
護衛の魔女にも焦りの表情が浮かんでいる。魔物は挑発にも乗らず、かたくなに動こうとしない。まるでこの場にいることが最善であると知っているかのように。
サムは顔を歪めて悪態をつき、懐から短剣を抜く。サムが持ち合わせている武器はもうこの頼りない短剣しかない。槍は随分前に手を離れてしまった。扱いなれた槍を探したい気持ちもあったが、今この蛇から目を離すと確実に殺されるような気がした。
「待て! サム!」
「待てるか! どうせこいつは僕たちを逃がすつもりがないんだ! なら動くしかないだろ!」
サムは自分に言い聞かせるようにそう言い放ち、短剣を握る力を強くする。あまりにも頼りない武器にサムは胃がひっくり返るような気分になりながら、拙い構えをとる。
尻尾の蛇はまるで警戒する素振りを見せなかった。そこにあるのは完全に捕食者と被捕食者の構図で、誰が見ても無謀極まりないものだった。
「クソ!」
サムは短剣を懸命に振り回したが、ただですら格上の相手に不慣れな短剣が届くはずもない。尻尾の蛇は悠々と躱すと、短剣を持っていたサムの右腕に素早く巻き付いた。そしてガブリとサムの皮膚に牙が突き立てられる。
「アアアアアアアア!!」
太い牙が体内に侵入する痛みで、サムが叫び声をあげる。鋭い痛みと沸騰した湯に浸けられたような熱感がサムに襲い掛かる。
続いてゴキンと鈍い音が鳴り、サムの腕が在らぬ方に折れ曲がる。
「っあ……ガアアアアア!」
痛みを通り越した強烈な刺激が脳内に送られ、視界が明滅する。気を失おうにも、サムの腕はいまだ蛇に巻き付かれたままであり、締め上げられ続けている。ベキベキと二度三度鈍い音が発せられ、サムは気を失うことすらできず、ただ叫び声をあげることしかできなかった。
「サムを離せ! このクソ野郎!」
指揮官が上級貴族が決して言わないような悪態をつきながら、巻き付いた蛇に向かって剣を突き立てる。鱗が硬く、なかなか歯が立たなかったが、遅れてやってきた重装兵役が斧を振り下ろすと僅かに蛇の拘束が緩んだ。
「は、な、離せ……離せって言ってんだよぉぉおお!」
サムは拘束が緩んだ隙に薪削り用のナイフをポケットから取り出し、蛇の目に突き立てた。鱗と違い、深々と突き刺さったナイフの痛みによって蛇は狂ったように暴れた。
拘束が解かれ、サムは体を倒すようにして腕を引き抜いた。解かれたサムの右腕は無残なものだった。噛まれた部分は青紫色に変色し、至る所を骨折していた。どんな名医でも元通りにすることは難しいと思わせる傷である。
サムは拘束を逃れたが、まだ助かったわけではない。既にサムには武器となりえる物は無く、頼りになる護衛の魔女は本体との戦闘で精いっぱいの状況である。尻尾の蛇は片目を潰されたことから怒り狂っており、標的をサムから変えない。
絶体絶命の状況にサムを始め、班員たちも唇を噛みしめていると、急に魔物の本体が駆け出し、何かを踏みつけた。
緑色の光の残滓が雪のように散り、護衛の魔女が「なっ!!」と驚愕の声を上げる。そして歯を剥き出しにして怒ると、先ほどまでとは比較にならないような魔法の嵐が巻き起こった。
巻き込まれてはたまらない、とサムたちは距離をとったが、ある程度離れようとすると尻尾の蛇が攻撃してきて、ほとんど動くことができなかった。
「何なんだよこいつは!」
指揮官が苛立ちながらサムの前に立つ。重装兵役も斧を構えて二人の前に立った。
重装兵役の持つ斧は本来、若木や枝を切断するためのものであり、武器に使うものではない。いつもは腰に差している剣は今は見当たらなかったので、彼もどこかに紛失してしまったのだろう。
それでもサムは自分を守るように前に立ってくれた二人に感謝したし、同時に嬉しく思った。
そこからの蛇と対峙は劣勢ながらもなんとか持ちこたえていた。重装兵役が鉄の鎧を活かして蛇の牙から身を守り、巻き付かれようとすると指揮官役が蛇の目に向かって剣を振った。
一度目を刺された蛇はその攻撃を嫌い、深く踏み込もうとしなかった。だがこちらは怪我人一人を守って戦っているようなものなので、劣勢が覆ることはなく、次第に追い詰められつつあった。
一度重装兵役の腕に巻き付かれたが、手甲を外したことで事なきを得た。外された手甲はものの数秒でガラクタに変わり、サムたちはさらに表情を曇らせる。
もう駄目かと諦めかけた時、魔物の本体の動きが止まった。釣られるように尻尾の蛇の動きが止まる。何かを警戒するように舌をちらつかせ、護衛の魔女の方を見ている。
サムたちも彼女の方を見ると、大きめの蝶のような少女が飛び回っていた。
「イーナ先生の使い魔だ……! 様子がおかしいと気づいてくれたんだ!」
重装兵役が喜色満面で吠える。
確かにあれはイーナ先生の使い魔だ、とサムは頷いた。サムは何度かイーナに果物を与えられて喜ぶ小さな少女の姿を見ている。幻想的なのに微笑ましくて、可愛らしかったのでよく覚えている。
「イーナ先生の妖精か…! 二人とも、先生たちが来るまでもう少し粘るぞ!」
「「おう!」」
指揮官の指示に良い声で返事をした二人の目には希望に彩られていた。