194『サムたちの窮地』
王都にほど近い森の中、赤頭ことサムの班は大岩の影で焚火を囲んで一休みしていた。最低限の見張りを残し、斥候役の班員が周辺の調査を行っているところだ。
以前は連携のレの字もとれていなかったサムたちだが、今はお互いを尊重し合ってそれなりにとれるようになった。
「試験といっても、いつもの演習とあんまり変わらないな。護衛の魔女が見えないだけが違うかな」
「そうだなあ。やっぱり護衛の魔女が見当たらないと気が引き締まるよな。そういえばこの試験では強い魔物を倒したほうがいい点数を採れたりするのだろうか」
「先生は魔物の強さで点数をつけるわけじゃないって言ってたぞ」
「そうなのか。じゃあ弱い魔物に出て来てもらった方が楽だな。どうか弱い魔物が出てきますように」
「祈ってるところ悪いが、そろそろ拠点の設営に入ってくれないか」
焚火の赤い炎を見つめながら会話していると若木をかき分けて斥候役の班員が戻ってきた。周辺の調査と同時に薪になりそうな木も拾ってきたようで、背中のバックパックから黒っぽい木が顔をのぞかせている。
斥候役の班員はバックパックをサムのほうに放り投げると、持っていた水筒で喉を潤した。
バックパックの中には大小様々な木が入っている。この木を薪にするべく、なるべく細く削るのがサムの役目だ。他の班員もそれぞれ自分の仕事をしている。サムはこの年代の男児と比べると少し背が低いが、この班の中で一番ナイフの扱いが上手いため、この役目を引き受けている。
初めはナイフの持ち方すら覚束なかったが、最近は速度も練度も上達し、薪木削りはサムの特技の一つと化している。こんなところでも自身の上達を感じられるので、サムはフィーナを始めとした教師陣に感謝していた。学院の先輩には「どうして自分の時じゃなかったんだ」と羨ましがられ、後輩からは「来年の参考に」と助言を求められる今の状況を作り出したフィーナ達に、深い尊敬と思慕の念を抱いていた。
魔法という摩訶不思議な事象を操り、箒に跨って空を飛ぶ。話には聞いていたが、魔女というのは想像以上に規格外だった。喉が渇けば水魔法とやらで作り出し、暑ければ風魔法でそよ風を吹かせる。根本的な常識から自分たちと違うので、サムはいちいち異国人と相手しているような気になった。
今まで屋敷の中と学院という狭い世界で構成されていたサムの価値観は、この短期間で瞬く間に広がった。それだけで学院に通っていてよかったと思えるくらいに。
試験が終われば、フィーナたちの指導が受けられなくなる。それを思うと、きつかった毎日の勉強が惜しくなってくるから不思議だ。
サムはフッと息を吐いて、細かく裂いた木片を焚火の中に投げ入れた。
パキンと音を立てて火が爆ぜる。飛んだ火の粉が今日この日のために誂えた新品の革鎧に付着した。サムは慌ててそれを払うと、焦げ跡を見て大きくため息をついた。
落ち込むのを待たずにパキンパキンと続けざまに音が響き、また火の粉が飛んでくるのか、と身構えるがその気配はない。
さらに音の発生源は自分の後方の森の中だ、とサムは気づく。すぐさま槍を掴んで振り返ると、森の暗がりから落ちた枝きれを踏みしめながら獅子のような魔物の頭がぬっと出てきた。
距離としては十分離れているが、安心はできない。魔物の素早さは攻撃を受けたこの身が一番良く知っている。
サムは「魔物だ!」と叫び、周りの班員に知らせた。班員たちは声に反応すると、準備していたテントや垂れ幕、調理道具などを放り投げ、武器を手に駆け寄ってきた。
姿を現した魔物はサムの知らない魔物だった。
獅子の頭に鱗を纏った太い四足、背中にはヤギの頭が生え、大鷲の翼を持っていた。尾っぽは蛇の体躯へと挿げ替えられており、まるで舌なめずりしているかのように細い舌をチロチロと出していた。
今まで討伐してきた魔物の中のどんな魔物にも当てはまらない、異様な姿にサムはごくりと生つばを飲み込んだ。
「な、なんだあの魔物は……? 偵察に出ていた時はあんな奴いなかったぞ」
斥候役の班員がかすれた声を絞り出す。
あの魔物が何か、そんなことこっちが聞きたい、とサムは内心舌打ちし、唇をぎゅっと噛む。
獅子は低い唸り声を上げながらゆっくりと近づいてくる。そんな中サムたちは陣形も組めないまま突っ立てるだけだった。
明らかに勝てる相手ではない。班員の誰もがそう思う中、サムだけはどうすれば倒せるか必死に考えていた。
機動力を削ごうにも鱗に覆われた手足は明らかに頑丈そうだ。そもそも近づくことすら危険極まりなさそうである。頭部に痛撃をいれようにも、見たところ頭が三つあるのだ。どれを狙うか迷っている間に獅子の顎で食いちぎられそうである。
サムは必死に考えていたが、どの手段をとっても自分の手に余るとしか判断できないでいた。
班の行動が決まる前に先に魔物の方が動いた。咆哮による威嚇である。
デイジーの使い魔、ガオによる【王者の咆哮】の数倍は威圧感を含めたそれは、班員たちを恐怖のどん底に突き落とすには十分すぎるものだった。
尻もちをつき、ガチガチと歯を鳴らす班員たちに、魔物は悠然と歩み寄る。それはまるで恐怖に煽られたサムたちを嘲笑うかのようだった。
「あ……あ……」
サムは助けを呼ぼうにも声が出ないことに気づく。息をすることすら憚られるような恐怖に支配された空間。泥だらけのズボンに黒い染みができ、股の間に温かい液体が流れる。
戦闘に不慣れな斥候役や工作兵役はとうに気を失っている。今かろうじて気を保っているのはサムと指揮官、重装兵役だけである。
立ち上がろうにも手足が鉛のように重い。まったく動かない体にサムは涙を零し始める。このまま食われるのを待つだけなのか、と嗚咽交じりに嘆くと、重装兵役の班員がくっとむせび泣いた。
「サム……まだ終わりと決まっているわけじゃない。これを吹け」
指揮官役が懐から紐のついた笛を取り出した。実習前に配布された救難用の笛だ。これを吹けば護衛の魔女が駆けつけてくれるようになっている。
指揮官の笛を持つ手はぶるぶると震え、今にも笛を落としそうだ。本来笛を吹くのは指揮官の役目だが、彼もこの恐怖にあてられ、思うように動けないでいた。口にくわえて吹く、この簡単な動作ができないのだ。
この問題を指揮官はサムに加えさせることで可能にさせた。
サムは一抹の希望に縋るような思いで笛をくわえ、弱弱しく吹いた。か細く響いた笛の音に魔物がぐるりと顔を向ける。魔物は煩わしそうにサムの顔を見た後、大口を開けて齧り付こうとした。
身の危険を肌で感じ、サムは必死に笛を鳴らす。
「あっ……」
息切れするほど強く吹いた瞬間、勢い余って笛が口から零れ落ち、魔物の前に転々と転がる。魔物はそれを踏みつぶして粉々に砕くと、ニタリと残酷な笑みを浮かべた。
もう駄目か、とサムが全身の力を抜いて仰向けに倒れると、残酷な現状に不釣り合いな美しい青空が見えた。
サムは静かに涙で頬を濡らす。隣で指揮官が力なく倒れたのが見えた。重装兵役の班員は赤子のように丸まって泣き叫んでいる。
こんなことになるなんて、と諦観めいた呟きを心の中で零し、目を閉じる。刹那、目の眩むような光が走り、次に轟音となって魔物の中心を貫いた。