192『フィーナ先生の相談室』
フィーナたち三人の教師生活は学院側からのフォローもあり、概ね順調だった。
当初は保護者側からそれなりに不平不満が寄せられていたのだが、今ではそれもすっかり収まっている。
理由としてはやはり生徒たち自らの手で魔物の討伐を成功させたことが大きい。
特にエリオの班がブルホーンを討伐した成果は大業として王都中に知れ渡ることとなった。他の生徒たちも小さいながら魔物を討伐しているので、王都では『今代の学生は黄金の世代だ』と噂されていた。
結果が出れば勉学にも身が入るというもの。
生徒たちは今まで以上に熱心に取り組むようになっていた。
だがどんな場合でも例外はいるものである。
その例外というのがイケメン君と取り巻きの女生徒たちである。
女生徒たちにとっては学業は二の次であり、重要なのはイケメン君の婚約者というポストである。学業に身が入らないのも当然であった。
問題なのはイケメン君自体は極めて真面目でいい生徒だということだ。
イケメン君はドが付くほど優しいのか、或いは小心者なのかは知らないが、女生徒たちを遠ざけられないでいる。従って『魔物生態学』の授業ではその一角だけが今も騒がしいままである。
可哀想なイケメン君は『魔物生態学』の授業の理解が追いついていないようである。そうなると、他の授業にも影響が及ぶ。
イケメン君は『指揮統率論』も『野外演習』も選択しているのだが、先の理由で他の生徒より少し遅れ気味なのだ。
具体的に言うと、イケメン君だけ微妙に的を外れた対策を提案していたり、魔物の弱点以外の部位を攻撃したりといった具合である。
現状、班員からのフォローでなんとかなってはいるものの、この先強い魔物や面倒な魔物に遭遇すると危険だ。
早急に対応が必要。ということでフィーナはイケメン君と面談することにした。
「………」
今イケメン君はフィーナの目の前に座っている。若干伏し目がちに俯いており、いつもの様な花はない。
「先生、いつも授業中うるさくしてごめんなさい」
イケメン君は今にも泣きそうである。
まだ一言も喋ってないのだが、何故か謝られてしまった。機先を制されフィーナは逡巡する。
フィーナが物言わず沈黙していたせいか、イケメン君はぐずり始めてしまった。
慌ててハンカチを渡して泣き止むように言う。これではまるで自分が泣かせたようじゃないか、とフィーナはありもしない罪悪感に胸を痛めた。
「イケメン君、私は怒ってないよ。今日呼んだのは君が困っているようだったからだよ」
「ぐす……。僕の名前はネイサンです……」
「あ、ごめんね。それでネイサン君は何か困ったことはない?」
イケメン君、もといネイサンは言いづらそうに俯いた。
「な、ないです……」
「………」
その一言でなんとなく、フィーナにはネイサンの人となりがわかったような気がした。
彼は一見穏やかで優しい人間に見えるが、実のところは臆病で小心者なだけなのだ。
パワフルな女生徒の絡みを拒絶するのは彼にとって至難の技なのだろう。
どうすることもできず、当たり障りのない返事をしているうちに、パワフルな女生徒が一人、また一人と彼の周りに増えていき、結果的にハーレム状態を築き上げてしまったのだ。可哀想な少年である。
恐るべきは彼を狙った女生徒たちである。
彼女たちはおそらく、彼の臆病な本質を見抜いた上で近寄ったのだろう。
旦那が臆病であれば、家で好き勝手できるのは自分、と考えたのだ。性格さえ嗅ぎつけるとは恐るべき嗅覚である。
少女の姿をしていても、紛れもない根っからの貴族なのだ、とフィーナは改めて恐れを抱いた。
ともあれ、そのまま捨て置くのは可哀想なので、フィーナは親身になって話し合うことにした。
「本当に無いの? 女生徒に絡まれて嫌な思いはしてないの?」
「………」
ネイサンは葛藤に苛まれる顔で黙り込んでいる。もうひと押し必要なようだ。
「このままだと成績も落ちるし、野外演習で怪我をするかもしれないよ?」
「うっ……。女の子たちが授業中にも絡んできて迷惑してます……」
やっと認めてくれたようだ。
ホッと息をつき、顎に手を当て、さてどうするか、と考える。
女生徒たちはネイサンの婚約者という立場を求めている。ならばその前提を覆せばどうか。要はネイサンに婚約者がいればいいのだ。
「ネイサン君は絡んでくる女の子たちの中で、気になる相手はいないの? いるのならその子と婚約したらどう? ちょっと強引な手段だと自分でも思うけど」
「いえ、いないです……。女の子を好きになるっていうのが、そもそもよく分からなくて……」
へぇ、とフィーナは呟き、目を細めた。
ネイサンはフィーナと同年代である。思春期真っ盛りというわけではないが、この年頃になれば初恋の一つや二つするものだが、ネイサンは違うらしい。
女生徒に囲まれながらも、その気持ちは酷く冷めているようである。
「うーん……じゃあどうしようかな。
女の子たちに面と向かって『邪魔するな!』とは………言えないよね」
「言えません! そんな恐ろしいこと言わないでください!」
ネイサンはその場面を想像し、肩を震わせていた。酷い怯えようである。
「じゃあ毎日居残り勉強でもする? 授業についていけてないなら、他で巻き返さないと」
「帰りの馬車に乗り込むギリギリまで女の子たちが付いてくるんです。だから居残りしても女の子に邪魔されるのが目に見えていますので悪手かと……」
どこまでモテモテなの、君は、とフィーナは呟き、ため息をついた。
その後もいくつか案を出したが、どれも何かしらの理由で却下された。段々と面倒になっていき、フィーナは当初のやる気も失せつつあった。
「もうどうしようもないんじゃないかなー?」
「そんな! 先生、見捨てないでください!」
「とは言ってもねえ……」
フィーナが肩肘をついて考えあぐねていると、ネイサンは呼吸を整え、意を決したような顔を作った。
「先生、さっき僕は女の子を好きになる気持ちがわからないと言いましたが、実は気になる相手はいるんです」
「ほほーう」
やはりネイサンにも初恋の相手はいたのだ。一度いないと言っておきながら、改めて言い直すなんて余程言い辛い相手なのだろう。
もしかすると、取り巻きの中にはいないだけで密かに想っている相手なのかもしれない。
「で、誰なのかな……?」
辺りには誰もいなかったが、フィーナはできるだけ小さな声で尋ねた。
他人の恋バナはどうしてこんなにも楽しいのか、とフィーナはニヤけ顔を必死に耐えた。
「………サム君です」
「ん………?」
フィーナの思考は停止した。
「内緒にしてくださいよ?」
「ち、ちょっと待って欲しい。サム君というと、あの赤毛のサム君?」
「はい。やっぱり男の子が好きなんて変ですよね……」
フィーナはうぬぬと唸った。
ネイサンは紛れもなく男である。爽やか風イケメンで柔らかな笑顔が素敵な美少年だ。
そんな彼は何故か目立ちたがり屋でお調子者のサムを好いていると言う。
とんでもないカミングアウトである。
だからといって頭から否定するのは良くないという思いもある。フィーナは取り敢えずお茶を濁すことにした。
「あーどうかなー。い、いや、貴族の男性は男色も多いらしいし、決して変ではないよ。たぶん。おそらくね」
「ほ、本当ですか!?」
期待のこもった眼差しを向けられ、フィーナは内心失敗した、と反省した。
咄嗟に出たでまかせだったが、言ってしまったものは仕方ない。フィーナはキラキラと目を輝かせるネイサンに頷いてみせた。
「そっか……変じゃないんだ」
ネイサンが嬉しそうにそう呟く。
非常に嬉しそうなところ悪いが、「サム君……」などと呟いて顔を赤らめるのはやめてほしい。
「う、うん。変じゃないから、これからはサム君ともっと仲良くしたら? 隣の席に座るなんかすれば、女の子も近寄りづらくなるでしょう?」
フィーナがそう言うと、ネイサンはハッとしたように顔を上げた。
「それです! サム君は男の子の友達が多いみたいですから、その輪に入れてもらえれば女の子たちを遠ざけられます!
それにサム君と仲良くなれるし……妙案ですね! ありがとうございます、先生!」
「が、頑張ってね」
「はい! でもサム君に話しかけるのは恥ずかしいです。先生、応援していてくださいね」
「あ、うん。まあほどほどにね……」
何がほどほどなのか、フィーナは詳しく言及しなかった。
その頃サムは薄ら寒い何かが背筋を過ぎったような気がして、ぶるりと身震いしていた。