189『生徒たちの野外演習』
フィーナの初めての授業、その翌日。
生徒たちは校庭に集まっていた。集まっている面々はわんぱくそうな男の子ばかり。全員が動きやすそうな軽装を身に纏い、手には支給された剣や槍を持っている。
この中には第一騎士団の騎士を目指す子もいれば、将来領地を任される子もいる。彼らは一様にして武力を身に着けなければならなかった。
領地を運営する貴族にしても、民の生活を守る騎士にしても、魔物に対抗する力がなければ話にならない。そういう理由でメルクオール王立学院には貴族の訓練義務を設けられていた。
これは王族であっても変わりはしない。よって、エリオも今日の授業に参加している。
今日は彼らにとって重要な日であった。
先日、イーナの授業で散々ダメ出しをくらいながらも、なんとか魔物への対策を立て、ようやく実践する時が来たのだ。
最終的に各々が千差万別な対策を用意し、今日に備えることができたが、やはり初めての討伐となると緊張もする。
王都周辺の比較的弱い魔物とはいっても、人を襲う危険性は高い。討伐する機会を与えられて嬉しい反面、彼らの胸中は不安でいっぱいであった。
いつもは数分間ですら黙っていられない彼らが今日に限っては口数少なく、張り詰めた空気を漂わせていた。
そんな緊張感のある彼の元に、グローブを着けたデイジーがやってきた。
「おはよー」
デイジーは背の低い少女である。
髪が短めで、日によく焼けているので活発な印象を受けるが、至って普通の少女だ。
実際はフィーナのパーティーで前衛を務めるほど度胸がある、岩をも粉砕する剛力の持ち主なのだが、少なくとも彼らからはそう見えた。
いくら魔女とはいえ、自分たちより小さい女の子が魔物相手に戦うなど危険極まりないのでは、と彼らは思っていた。
しかし、そんな考えも一瞬で覆された。
「おはようございますっす! デイジー教官!」
「おはようございます!」
「お呼び頂き光栄でございます!」
デイジーよりはるかに歳上と思われる魔女たちが背筋を伸ばして彼女に挨拶しだしたのである。
一糸乱れぬその所作に、子どもたちは騎士団の教練を見ているようだと錯覚した。
彼女たちは機関でデイジーのスパルタ訓練を受けていた魔女だ。今回はデイジーにお願いされて先導役と万が一の救助役を引き受けている。
危険な魔物については騎士団が予め間引いているので、彼女たちの役目はほとんど無いが、今回の演習場所が森なので、日頃森の中で生活を送る魔女を念のために呼んだのだ。
彼女たちは機関の中でも最も実力派の魔女である。ラ・スパーダくらいなら単独で屠れるほど戦闘能力は高い。通常ならば成人魔女が数人で駆除するラ・スパーダを一人で斃すのだ。この校庭が現在王都で一番安全と言っても過言ではないだろう。
「みんなヨロシクねー。イーナが教えた作戦なら大丈夫だから、みんな気軽に狩っていってねー。
もし危なくなってもデイジーたちがぶっ飛ばすから安心だよ」
「教官の拳だと、ここいらの魔物は弾け飛んでしまいますっす………」
「返り血で真っ赤になったあの日は忘れられません!」
生徒たちは魔女たちが放つ空気に圧倒され、さらに返り血のくだりで震え上がった。
魔女は独特の雰囲気を持っている。幼少から老後まで普通の人と全く違う生活を送っている。文化がまるで違うので貴族の少年たちも戸惑ってしまうのだ。共通するのは言語と食べる物くらいだろう。
「よーし、じゃあ出発!」
デイジーが青い顔をした生徒たちの先頭に立ち、ぞろぞろと引き連れて王都外を目指す。
前年度では騎士の人間が率いていたが、今回は低身長のデイジーが率いているため、一見子どもたちの行進のようである。街の見物人たちはその光景の微笑ましさから頬を緩ませ、笑顔で応援した。
多くの見物人に応援され、どことなく気恥ずかしい思いをしながら門を通り、王都の外へと出る。
大きな小麦畑を抜け、背の低い草に満ちた草原が広がるメルクオール平原に足を踏み入れる。
ここから魔物が出現するのだが、脅威も出現頻度も微々たるものだ。演習場所もここではないので、デイジーは鼻歌交じりに街道をどんどんと歩いた。
しかし、生徒たちは浮足立っていた。彼らの中には初めて王都の外に出たという者もいる。故に子どもながらの冒険心やら、外への期待などで落ち着かないのだ。
やがて演習場所となる王都近郊の森に着くと、班分けされた生徒たちは息を呑みながら続々と森に入っていった。
その後ろを魔女が箒に跨ってついていく。
いつもより格段に濃い自然の香り、柔らかい地面、よくわからない獣の鳴き声などに出くわす度に生徒たちは面くらい、集団は中々進まなかった。
そんな集団の中で一際張り切っている人物がいた。赤毛頭のサムである。
彼は中級貴族家の次男で、才能あふれる長男と比べられながら育ってきた。そのせいか、兄に負けないわかりやすい実績を欲していた。幼くして魔物を討伐したとなれば、両親から「サムは勇敢で武勇に優れている」と褒められるに違いない、と彼は考えていた。
「サム、あんまり前に出過ぎるなよ」
「う、うん」
昂ぶるサムは注意され、内心舌打ちをした。しかし、それを表に出すことはしない。注意してきた者はこの班のリーダーであり、上級貴族の御曹司なのだ。身分差的には気軽に声を掛けられない間柄だ。
サムは言うことは聞いたが、不満は溜まっていった。
班員は五名で構成されている。斥候、工作兵、重装兵、軽装兵、指揮官の五名である。メルクオール国軍部での実際の役職を小規模にしたものだ。サムはこの中で軽装兵の役割についていた。
軽装兵の役割は単純明快なもので、『重装兵が押し留めた敵を攻撃する』というもの。単純だが軽装故に攻撃を受けると、必ずと言っていいほど怪我を負う難職であった。
斥候役が魔物の存在を知らせに戻ると、班に小さな緊張が走った。
糞の大きさ、足跡の大きさなどから魔物はビッグフットラビットと判断された。ビッグフットラビットは先日イーナの授業で対策を学んだばかりの魔物である。
ついに対策の有効性を試すときが来た、と班は気炎を迸らせた。特にサムは今か今かと待ちわびていた。
そしてビッグフットラビットが姿を現した。
「出たぞ、ビッグフットラビットだ! 昨日の授業で学んだ通りに行くぞ。まずは―――」
リーダーの指揮官役が茶色い体毛のビッグフットラビットを視認すると、指示を出そうとする。
しかし、ビッグフットラビットがその間を暢気に待ち呆けているはずもなく、指示出しの最中に攻撃してきた。弾丸のような突進だ。
「な、はやっ」
指揮官役がその速度に驚き、慌てると班のメンバーも足が止まり判断を鈍らせた。
「う、うおおお!」
重装兵が役目を果たそうとかろうじて前線に立とうとするも、緊張と恐怖で中々足が前に進まない。
ビッグフットラビットも明らかに硬そうな重装兵役に突進するはずもなく、狙われたのは斥候だった。
「う、うわああああ!」
自分が狙われていると知り、恐慌に陥る斥候役。
恐怖が伝染し、班員は足を震わせ、歯をガチガチと鳴らした。
指揮官役は頭上の魔女に助けを求めようと視線を移したが、一向に助けに来る気配もない。
斥候役が尻餅をつき、いよいよもう駄目かと班員の全員が目を瞑った瞬間―――
「おらあああ!」
赤毛の少年がビッグフットラビットに向けて槍を突き出した。
槍はビッグフットラビットの肩口に深々と突き刺さり、滴り落ちた鮮血が地面に滲む。
「よし!」
サムは確かな手応えに喜色ばんだ。頭に浮かぶのは「討伐」の二文字だ。
しかし、魔物はそれくらいでは倒れない。
熟練の兵士なら機動力を削ぐために、まず脚を狙い、次に頭部へ痛撃を入れたであろう。初撃を当てたサムは大したものだったが、まだ素人の領域を抜けていなかった。
槍に肩口を貫かれたビッグフットラビットは怒り、矛先をサムに向けた。
「し、しぶとい奴め!」
槍を再び構え、先ほどと同じ要領で突き出す。しかし―――
「ごふぅ!」
至近距離での突進に槍を合わせられる技量もなく、サムの腹部にビッグフットラビットの頭がめり込んだ。
吹き飛んだサムは木の幹に頭を強かにぶつけ、そのまま気を何処かにやってしまった。
しかし、サムの勇姿は班員を奮起させた。
先程までの弱腰が嘘のように是正され、班員はサムを欠きながらもぎこちないが討伐することができた。
サムは腹に青痣、頭にたんこぶという怪我を負ったが、軽傷だった。
目が覚めて、初めての魔物討伐に喜びを顕にする班員たちに「サム、お前のおかげだ」「かっこよかったぞ」などと口々に褒められはしたが、サムは納得いかない表情で意気消沈した。
サム、頑張れ