187『教壇に立つ少女』
「えー、であるからして」
フィーナは現在メルクオール王立学院にて『魔物生態学』なるものの授業に参加していた。
担当教師は中肉中背の頭頂が寂しい男性で、現在行っている『魔物生態学』の他にも、いくつかの講義を受け持っているベテランだ。
授業内容ははっきり言って普通。エリオが指摘していたように、極めて穏便で当たり障りのない内容だった。教科書の表面上をなぞっているだけともいえるが、それ故に間違いは教えていない。なので可もなく不可もなくといったところだが、クラスの雰囲気は最悪である。
まず、真面目に授業を受けている生徒が少ない。そして教室全体が騒がしく、どことなく生徒に落ち着きがない。
原因はすぐに判明した。真面目に授業を受けている生徒はエリオを筆頭とした、所謂王侯貴族や上級貴族たちの子だ。彼らは家の名が非常に重いため、どんな授業でも気を抜くことができない。親や家の名に泥を塗るわけにはいかないからだ。
しかし、中級や下級貴族の子たちはそうでもない。跡を継ぐ長男ならば汚点を残すわけにはいかず、真面目に取り組むだろうが、今不真面目な彼らは次男、三男、もしくはそれよりもっと下である。真面目に勉強したところで跡継ぎになれるわけでもなく、重役につけるわけ度もないので、手を抜いているのだ。
教室全体が騒がしいのは暇を持て余した生徒たちがたてる物音や話し声のせいだ。上級貴族がいるのに、よくおしゃべりできるな、とフィーナがあたりを見回したところ、原因となっている生徒を発見した。
窓側付近で女生徒に囲まれて小声で話し込む、チャラ男がそこにいた。見た目は笑顔がまぶしいイケメンである。だが、彼を中心とした集団のせいで、教室全体が騒がしくなっていた。
人は会話しているとき、周りが騒がしくなり相手が自分の声を聞き取りにくくなると、周りの騒音に負けじと声のボリュームを上げる傾向にある。
この教室でもその傾向が現れていた。度々教師が注意するも、数分後にはもとの状態に戻る。例のイケメン君が上級貴族の五男ということもあり、他の生徒たちもおいそれと注意できないでいるらしい。
ならばエリオはどうかというと、彼は何度かイケメン君に注意したが、その度に周囲の女生徒から物言いたげな眼差しを突き付けられ、最終的に黙ってしまっている。
王族がそれでいいのか、と思わずフィーナは突っ込みそうになったが、彼も思春期な男の子なので、仕方ないのかもしれないと思い直すことで、何とか踏みとどまった。
授業終了後、フィーナはエリオを呼び出した。
「エリオ殿下、先程の授業風景、拝見させてもらいましたよ」
「うっ……うむ」
「苦労しているようですね」
「そ、そうなのだ! 学院がどれほどのものかと期待していたのに、これでは授業に身が入らんのだ! まったく、先生も気づいたであろう? 騒がせる元凶を」
「はい。気づきましたよ。しかし、エリオ殿下にも言いたいことはあります。王族が女生徒に睨まれて縮こまるとは何事ですか」
「ううう……仕方ないだろう。そもそもこの学院は未来の伴侶を決める舞台でもあるのだ。女生徒が本気になるのもわかるというものだ。将来の嫁ぎ先が懸かっているのだから、こちらも強くは言えんのだ」
この学院でラブコメ紛いのやり取りがあるのは事前情報で得ている。それを背景としておくと、あの女生徒たちが一か所に集まってやんやするのも理解できる。
イケメンで家柄も良し、あの様子では性格も好まれるのだろう。かなり競争率は高いと言えるが、射止めればバラ色の人生が待っているのだから、女生徒たちの剣幕はものすごいのだ。
残念なのはエリオである。彼は顔も悪くないし、家柄も最高クラスだ。さぞモテるのだろうと思いきや、学院入学前の奔放さが仇となり、あまりモテてはいない。
おまけに思い人がいると噂されているらしく、火のないところに煙は立たず、それが女生徒を遠ざける原因となっていた。
「まあ、それも今日までです。明日から私が担当するので。抜本的に解決するでしょう。エリオ殿下もうかうかしていたらアッという間に取り残されますよ?」
「ヒッ……わ、わかっている。よろしく頼む、先生」
次の日、フィーナは教壇に立った。
急に頼まれた依頼であるため、生徒の名前すら覚えきれなかったが、短期間ならばやり過ごすこともできよう。
フィーナが教壇に立つと、案の定教室はざわついた。
「だれだあれは?」
「転校生か?」
「先生はまだか」
「奇妙な服装だなー」
各々が好き勝手に意見を述べる中、エリオだけは口ををきゅっと結んで沈黙していた。
「えー、今日から『魔物生態学』を受け持つことになりました、フィーナです。短い期間になりますがよろしくお願いします」
「えぇー!」
「ゲラルド先生はどうしたんだ?」
「こんな奴が先生なのか!? 学院はどうかしている! 俺たちと大して変わらない歳だろう!?」
淡々と述べたフィーナに教室が雑然とする。
ざわつく生徒たちとは裏腹にフィーナは「あの先生ゲラルドっていう名前だったんだ」などと暢気に考えていた。
「伝統ある王立学院がこんな奴を教師に置くはずがない! 何かの間違いだ!」
「僕がほかの先生に聞いてくるよ!」
「よし! 行ってこい、サム!」
サムと呼ばれた赤毛の少年が席を立つと同時に、沈黙を保ってきたエリオが「待て」と声をかけた。
「で、殿下?」
「彼女は歴とした先生だ。父上と僕が学院で教師をしてくれるよう頼んだ」
「陛下と殿下が直々に!?」
「そ、そんな馬鹿な……」
男子生徒相手ならばエリオの家柄と権力は働くらしい。席を立ちかけた赤毛のサムとやらも粛々と座り直していた。雑然としていた教室が静まり返っていく。
「エリオ殿下が言う通り、私はメルクオール国王陛下から依頼されてこの場に立っています。素行の悪い生徒がいましたら陛下に報告するので、気を付けてくださいね」
生徒たちは目を丸くしてフィーナを見た。
明らかに自分たちと変わらない歳に思える少女が国の頭首と懇意にしているなどとは考えにくい。しかし、実際王族であるエリオは黙ったまま頷くだけであり、否定もしないので事実であると否応なく認めさせられた。
自分が不真面目だったと自己理解している生徒たちはことさらに肝を冷やしていた。
「まずは自己紹介しましょうか。名前はさっき言ったので省略して…職業は魔女。普段は製薬会社の運営や魔鳥郵便の運営をしています。昨年は王国魔女養成機関で教官をしていました。現在も籍だけは置いていますが、多忙のため実質名誉教官みたいなものになっています。最近は陛下や王妃様の依頼を受けることが多いですね。今回もその一部です。ここまでで何か質問はありませんか?」
フィーナが質問を促すと、一人の生徒からおずおずと小さな手が上がった。丸眼鏡をかけたおさげの女の子である。フィーナは便宜上、彼女を「たまちゃん」と名付けた。他意はない。
「フィーナ…先生は魔術大会に出ていませんでしたか?」
「出ていましたよ。レンツ代表としていくつかの競技に出ました」
「やっぱり! わ、わたし大会でフィーナ先生をお見掛けして、すごく感銘を受けました! かっこよかったです!」
「ありがとうございます」
にこにこと可愛らしい笑みを浮かべるたまちゃんに癒されつつ、フィーナは背筋を伸ばす。経歴は嘘偽りないものだが、はたから見てもとんでもない経歴だ。思わず背を正さずにはいられなくなる。
フィーナは他に質問がないか尋ねたが手を上げる者はいなかった。
「では次に授業の方針について説明します。初めに王都周辺の魔物の生態を復習、次に北方、東方、南方、西方の順に生態を学んでいきます。最後にイーナ先生の『指揮統率論』、デイジー先生の『野外演習』と並行して試験を行います。それから授業には解剖もあるので、どうしても駄目な方は事前に申し出てください」
「あ、あの質問!」
赤毛の、先ほどサムと呼ばれていた少年が手を上げる。
「どうぞ」
「イーナ先生とデイジー先生とは誰でしょうか?」
「イーナ先生とデイジー先生は私の身内です。二人も陛下から依頼を受けて赴任しています。あなたたちの中には二人の授業を受けない人もいると思うので、その方たちには別途試験を設けます。ほかに質問は?」
「もう一つ質問!」
またもやサム少年から手が上がる。
「どうぞ」
「先生は魔女ということですが、それは本当ですか? 何か証拠となる魔法を見せてください」
フィーナは内心嘆息した。
どうやらこのサムという少年はお調子者らしい。クラスに一人か二人、必ずいるような存在だ。相手をするのも面倒なので、フィーナはこの赤毛の少年を「バット」と呼ぶことにし、雷魔法で気絶させた。他意はない。