186『エリオの依頼』
王城のとある一室で、メルクオール国王は茶を楽しんでいた。
日当たりが良く、涼しげな風が流れる部屋で、サロンとして利用する王族から人気の高い部屋である。
武人気質な国王ではあるが、貴族にとっての作法とは騎士の剣と同じく、なくてはならないものだ。当然国王のそれも優雅で様になっていた。
傍らに侍るのは執事長のピボットだ。
茶が冷めれば直ぐ様新しい物を用意し、不必要に喋らず、かといって存在感は失わない。年齢と共に熟達した奉仕術を発揮する国王の信を得る者である。
今も国王と客の反応を伺い、新しい茶菓子を用意している。
王族との茶会の参加資格は貴族であれば誰もが羨む代物だ。
参加するだけで、上昇志向の強い数多の貴族たちから一歩リードすることができる。国王のお気に召せば、王女や王子といった権力の塊と、自分の子で婚姻を結ばせることも可能になる。
そんな貴族垂涎の椅子に座っているのは三人の年端のいかない少女たちだった。フィーナ、イーナ、デイジーの三人である。
こうした茶会に参加するのは一度や二度ではない。恥ずかしがり屋のイーナが緊張しなくなるほど、もう何度も繰り返し行ってきている。
その多くは依頼や達成時の報告の場だが、時には王妃や王女、王子などが参加することもあった。
例によって今日はエリオが参加している。緊張しているのか、始まってから一言も喋っていない。借りてきた猫のように縮こまるエリオは、カップを持ち、ちびちびと冷えた紅茶を口にしていた。
「クックック。賢者集会では見事な答えを返していたな。胸がスッとしたぞ」
「言葉遊びなら得意な方ですけど、あんなに騒ぎになるとは思いませんでした」
「言ったであろう? 頭でっかちな者たちの言葉遊びの場だと。風に吹かれて落ちた葉っぱ一枚で、何時間も議論するような馬鹿共なのだ。フィーナが出した答えに過剰に反応するのは容易く予測できるというものよ」
賢者集会に参加した知識人たちはフィーナを注意するあまり、出した答えを深く考え込みすぎてしまった。
知識人たちは、国王が用意した人物が簡単な答えを出すはずがないと推測し、思い思いに思考を巡らせてしまった。そのため、単純なようで、計算され尽くした答えなのでは、と勘違いを起こしてしまったのだ。
一度は猿呼ばわりされて馬鹿にされた国王だが、知識人たちの習性とプライドの高さだけは見破っていた。
フィーナを賢者集会の参加者にしたのも、有り体に言えば罠だったのである。今回はその罠が思った以上に機能した、それだけのことだった。
「次の賢者集会にも是非参加してくれ、と既に要請が来ているぞ。我はどうでもいいのでな。フィーナの好きにするがいいぞ」
国王はふふんと鼻を鳴らし、紅茶の香りを楽しむと、嫌味を含んだ目でフィーナを俯瞰して見つめた。
「勘弁してください。すっごく退屈な上に、全く自分の糧にならない集会なんて一回で懲り懲りですよ」
「さもありなん。我は老いぼれの戯言が面白くて堪らなかったがな。まぁ、次回の賢者集会にはバーネッティに参加させればよかろう。彼奴は本の虫だから向いているだろう」
同意見だったのだろう。国王の横ではエリオがうんうんと頷いていた。
「そうしてください……それで、今日も依頼ですか?」
フィーナが話を変えると、国王は手に持ったカップをソーサーへと置くと、背もたれに体を預けた。
国王が依頼の話をする、いつもの体勢である。
「そうなのだがな。今回は我からではない。エリオ、お前の依頼だ。お前から説明せよ」
「は、はい!」
国王の言葉に、エリオは慌てて答え、姿勢を正す。そして自身初となる依頼をフィーナに説明した。
「実は先生には学院で教鞭をとってもらいたいのです」
エリオは厳かに切り出した。
以前は不遜な言葉使いだったが、国王の前だからか、きっちりとした礼儀正しい言葉使いになっていた。フィーナたちは改めてエリオの成長を実感した。
「学院? メルクオール王立学院のことですか?」
「そうです。僕は先月から王立学院に通っているのですが、授業内容がその……あまりに幼稚だったのです。一度先生に教えを受けた身として、同輩の将来を不安に思うくらいに」
メルクオール王立学院といえば、貴族の子どもが通う名門校だったはずだ。十歳前後で入学し、三年ほどで卒業する学び舎であり、子どもたちはそこで領地経営の触りを学んだり、王国の歴史を学んだりする。しかし、実際は多感な年頃の少年少女が集まり将来の伴侶を探す、出会いの場となっている。ここで婚約者を探すためだけに入学する貴族も多い。
ある意味、由緒正しき学校だ。エリオからすればそういった点も貴族には重要だと捉え、大目に見るつもりはあっても、授業には真剣だ。
「通常の授業は問題ありません。問題なのは魔物に関する授業です」
魔物はこの世界において人類共通の敵であり、脅威である。領地を経営する以上、魔物との争いは必ずついて回る。その為、学院では魔物についてどのように対するか、どのように斃すのか、兵をどのように指揮するか、教えている、と国王が説明を補助してくれた。
一見問題ないように思えるが、授業を受けたエリオ本人は「楽観的で日和見な教え方」だと言う。
エリオはこの歳でガルディアの統治を任されている。未だ至らないところは多いが、将来的にはガルディアの領主として君臨する予定になっている。
勿論、この情報はエリオには知らされていない。
「僕は初めて魔物と遭遇した時、本当に怖かったです。いざ実戦となると足がすくみ、手が震えました。それもフィーナ先生に教わっていながらです。正直、学院の教師陣ではフィーナ先生やデイジー師匠には遠く及ばないでしょう。あのまま学院を卒業した子どもたちでは……魔物との戦闘を生き残るのも難しいのでは、と感じました」
エリオは初めてアーモンドアントを倒した時、半ば半狂乱になっていた。その時のことを思い出したのか、エリオは悔しそうに拳を握りしめていた。
「例えばどんなことを教わっているんですか?」
「……最適な護衛の人数だとか、応急処置の仕方とかです。そこには魔物の種類や強さといった指標がありませんでした。それに生徒の発言権が強く、教師は立場が弱いように感じました」
エリオの言葉に、フィーナたちと国王は眉を顰めた。
なるほど確かに楽観的で日和見だ、とフィーナはため息をついた。
教師陣も貴族とは言えあまり身分は高くないのだろう。生徒の顔色を伺って授業を行っているらしい。
「我が通っていた頃はもっと建設的な授業を行っていたぞ。最近は平和だからな。教師陣の危機意識も低下しているのかもしれん。それと子どもの増長だな。親の権力を自分の物だと勘違いしている」
「危ないですね。いつ魔物に襲われるか判らない世の中なのに、対処の仕方も知らないようですよ」
貴族の中にはデーブ伯爵のように軍務に就くものもいる。有事の際には兵を率いて指揮し、自身も剣を振るうことさえある。それは何も敵国相手だけではない。寧ろ魔物相手の方が多いだろう。
デーブ伯爵が学院の現状を聞けば、たいそう憂いたに違いない。そして、自ら鍛え直してやると言い出しそうだ。
「先生! 一週間でもいいんです! どうか学院の特別講師として教鞭をとってくれませんか?」
「我からも頼む。これでは何のために狩猟大会で競わせたのかわからぬ。未来の人材と教師陣に喝を入れてやってくれ」
王子と国王から頼まれたからには嫌とは言えない。
それに機関の教官職を務めた経験もあり、フィーナは魔物についての膨大なデータを持っている。物を教えるという行為自体に忌避感はないし、期間限定の講師としての扱いは忙しいフィーナたちにピッタリだと思われた。
故にフィーナは―――
「わかりました。受けましょう」
そう言って、いつの間にかピボットから差し出されていた依頼書を手に取るのだった。