185『フィーナの答え』
賢者集会。
その名の通り、そこに集まる傑物たちは幼少期から学問を修め、豊富な知識と類稀なる智見を持って数々の難題を克服してきた各国の重鎮である。
長い年月を学問へと費やし、他の追随を許さないほどに優れた頭脳を持つ彼らは、国の中枢へと入り込み、国主に対して様々な助言を与えた。
国は彼らを貴重な財産とし、あらゆる面で優遇した。彼らにとって知識は武器であり、権力であった。
そんな傑物が集う場に、場違いな人物が一人。フィーナである。
賢者集会の参加者は総じて出涸らしのような老人ばかりである。平均年齢は五十を裕に超えるだろう。それを一気に下げるような少女であり、黒尽くめの衣装を身にまとった魔女。
参加者達はこの魔女を好奇の目で見ていた。
一見年相応に無邪気な少女のように見えるが、落ち着いて茶を啜る姿は老獪地味た威厳を放っていた。
あくまで冷静。
各国の首脳陣でさえ気後れするような面子の中、惚れ惚れするほど堂々としている。まるでふらりと立ち寄った喫茶店でお茶するように。
そして少女をさらに大物だと予想させる人物が、彼女の後方で腰掛けていた。
ヨハン・レーベン・メルクオール。
開催地の国王であり、前回の賢者集会で大恥をかいた猿である。さりとて一国の主であり、プライドも一入。そんな彼がこの場を任せられると判断したのだ。ただの少女であるはずがない。
知識人たちは初め、今回も国王に赤っ恥をかかせられると意気込んでいた。
最近何かと景気の良いメルクオール王国の元首に、一泡吹かせられると、この場を心待ちにしていたのだ。
しかし、蓋を開けてみれば、国王の矢面に立っているのは幼い少女である。知識人たちはこの少女を侮ることはしなかった。寧ろ、前回恥をかかされた国王の意趣返しを企む尖兵だ、と注意を向けていた。
「さて……皆集まったようですし、『賢者集会』を開始致しますか」
「そうですな。“題目”は何に致しますかな?」
賢者集会では誰かが意気揚々と話し始めるわけではない。
“題目”という、言わばお題が出され、それを己の知識の及ぶ中で答え、周りがその答えを評価していく。これが賢者集会の大体の流れである。
答えの内容が深く考えられていたり、即座に答えたりすることが賢者集会の中で至上とされており、逆に鼻で笑われるような答えや、言い淀んで無為に時間を浪費させるのは愚とされる。
「ふむ。では『発生した時点で敵対する存在が生まれる事柄』これを今回の題目としましょう」
「ほほう。中々面白そうな題目ですな。流石はブレンデル殿」
こういった題目を決める人間は、ある程度固定されている。
賢者集会の中でも序列といったものがあり、その最高位にいる者が題目を決められるのだ。
無論、自分で考えた題目を決められるため、非常に有利な立場となっている。この場合の最高位はブレンデル男爵である。新参のフィーナは最下位の序列である。
「では提示者の某から軽めに……『目尻の皺と女性』」
「ふむ。皺は女性の大敵ですからな。発生と共に淘汰されようというもの。まあ、それが出来ぬから大敵足り得るのですが」
「一つ目の答えとしては優しいですな。ブレンデル殿は新規の方に配慮なされておるのですかな?」
「なに。あまりに難解な答えだと、初心者には辛かろうというもの。某としては皆に楽しんでいってもらいたくてね」
「ははは。誠にお優しいことですなあ」
賢者集会の参加者たちは嘲笑を浮かべ、フィーナの様子を横目で確認する。その目はフィーナの反応をつぶさに観察する虎の目であり、先程の挑発の続きを受けた少女の顔色を伺うものだった。
しかしフィーナは動じない。
この程度の挑発など、右から左へ受け流すのは簡単である。そもそもフィーナは挑発とすら受け取っていなかった。
命の危機に瀕したこと数回。日頃の交渉相手は王族ばかり、精神年齢は外見にそぐわず、一人で軍隊に比肩しうるほどの膨大な武力を持つ。様々な背景のおかげで、フィーナは挑発を糠に釘を打つが如く、聞き流した。
人生経験が豊富すぎたのだ。
そんな些細なことよりも、フィーナはこの題目に対して返答を行っていくという、ある種のゲーム性に興味を惹かれていた。
(早い話、大喜利に近いゲームだよね。内容がちょっと難しいけと、笑いをとらなくていいなら、そんなに考え込むものでもないかな。和歌とか俳諧に似たような物
もあるし)
中々反応を見せないフィーナに、知識人たちの表情が陰る。
この少女は挑発には乗らないようだ、と情報の探り方を変更せざるを得なくなった。
フィーナの実態を掴めないまま、一人、また一人と順番が回っていく。
「では次の方、お答えをどうぞ」
「そうじゃのう。『保守思想と革新思想』でどうじゃ」
保守思想は現状の状態を是とし、これを守ろうとする思想で、革新思想は否として改革を行おうとする思想である。保守派、革新派と時に呼び名を変えられることもあるが、大して変わりはない。
「ほう。保守思想が生まれるところ、革新思想あり、といつぞやの人も申しておりましたな。それを引用したのですか」
「然り」
「ブルワターク殿の知識は老練ですな。古い言葉を引用するあたり、流石はご老公ですな」
「いやはや。この場も盛り上がって参りましたなあ」
次は順番的に言って、フィーナの番である。
知識人たちの言葉の端からは「粗末な答えで場を乱すなよ」という意思が見え隠れしていた。
次々と難解な答えが提示され、題目に対する返答の難易度は徐々に上がっていく。
これが賢者集会の恒例であり、序列の低い者が苦しみ、高い者は文字通り高みの見物という様式となっている。
何人もの犠牲者が、この末席で赤っ恥をかかされたのだ。
「ふわわ……あ、失礼」
そんな中、フィーナは待ちくたびれて大口を開けて暢気に欠伸をしていた。
周囲の知識人たちはフィーナの大欠伸を見て、同じくらい口をあんぐりと開けた。
フィーナの番に回ってくるまで凡そ一時間。
議論に入り込む気にもならず、ただぼうっと待っていただけでは、眠気も押し寄せてくるというもの。
しかし知識人たちの目からはそのようには捉えられなかった。
賢者集会中の大欠伸は「つまらない答えばっかりで、すっかり眠くなってしまった」と言っているようなものだったのである。
「フ、フ、フフ。お嬢さんには少し退屈だったかな?」
「ええ、少し」
その言葉を聞いて、知識人たちは顔を茹で蛸のように真っ赤にした。
「では我らを驚かせるようなお答えをお聞かせ願いたいね」
末席に身を置くフィーナは陳腐な答えを提示してはいけない。
フィーナは少し考えたあと、投げやりに答えた。
「うーん。じゃあ『新造貨幣と旧造貨幣』で」
「ふむ……」
「ほほう……」
新造貨幣と旧造貨幣。一見対立しそうにない二つだが、知識人たちはその真意を図ろうと熟考した。
「……そうか! 新しい貨幣が作られれば、従来の貨幣は古い物とされる。そこには新しい物と古い物という二項対立が成立しているんだ!」
卓の一席から閃いたような声が飛ぶ。
この声が議論の幕開けとなった。
「それだけではないぞ。さらに面白いのは、新造貨幣もまた将来的には旧造となる可能性も暗に秘めておるのじゃ。答えの中に時の流れを加味するとは面白い試みじゃのう」
「しかし、敵対というには少し弱いのでは?」
「いや、貴金属の含有量という前提を定義すれば敵対箇所も生まれよう。新造だからといって、含まれる銀の比率が旧造より上回るわけでもない。そこには“新しい物ほど良いという固定観念に対する警鐘を鳴らしている”答えだと認識できる」
「それも含有する銀に限った論点であろう? 新貨幣と旧貨幣、市場を背景として考えてみよ。商人と役人の対立をも薄っすらと見えてこんか? 広義的に見れば、至るところに敵対箇所がある」
「然り然り。時に貨幣は偽造されうる物。新しい貨幣というのは偽造貨幣に対抗して生み出される物でもある。新造貨幣と旧造貨幣の敵対とはそういった政治的側面も踏まえての答えと言えよう。実に面白い」
白熱しだした議論に、今度はフィーナが面食らった。
フィーナは別に、そこまで深い意味を考えていなかった。
現に、集中力強化の特殊魔法は使用しておらず、頭を捻って絞り出した答えでもなかった。
あちこちで議論の火が注がれ、青龍の間が騒然となったのを、フィーナは丸い目で見ていた。
そして後ろでは国王が笑いをこらえていた。
「ふむ。常識に囚われない発想と言うべきですなぁ。いかがですかな? ブレンデル殿」
「……ッ! い、いや、素晴らしい発想と着眼点だと思いますな」
「そうですなあ。いやはや、ただの少女かと思っておりましたが、期待を裏切られましたな! 彼女は歴とした賢者集会の一柱ですぞ!」
「そうですな……。は、ハハ」
この時、ブレンデルは心担を寒からしめていた。
実はこの男、偽造貨幣の製造の片棒を担ぎ、不当な利益を貪っていた悪漢であった。
それも新貨幣が造られる際の混乱に乗じての犯行という現在議論の真っ只中にある行為である。
まるで賢者集会で見透かした答えを提示し、ブレンデルを追い詰めようとしていると錯覚するほどに“素晴らしい発想と着眼点”だったのである。
ブレンデルは年端のいかない少女を恐ろしい化物を見るかのように、不安げに見た。
(なんか見られてるよ……。とりあえず愛想笑いしとこ)
フィーナは愛嬌のある笑みをブレンデルに向け、意味有りげに小さく頷いた。
フィーナは軽い会釈のつもりであったが、ブレンデルは「全てお見通しだ」という地獄の監察官の声を幻聴した。
「ヒィッ……!」
「ブレンデル殿? 何処へ行くのです?」
「たたたた体調が優れないので、きききき今日はこれで失礼する!」
ブレンデルは縮み上がりながら、足早に部屋を出ていった。
青龍の間にはポカンとした知識人たちと、ニヤニヤと笑みを浮かべる国王と、笑顔に悲鳴を挙げられ、落ち込むフィーナだけが残っていた。
数日後、北の国ノース・ハーノウェイで偽造貨幣を製造していた一味が捕らえられたという噂が流れた。
一味の中には賢者集会に出席するような身分の高い男もいたらしい。
男は「叡智の神は全てを見通しているのだ。某は凡愚でしかなかった」などと意味不明な言葉を供述しているという。