182『治療開始』
クラウスは治療を受けることを了承した。
悩んでいたようだが、グスタフの勧めもあり、決心したようだ。
「では早速治療に移ります。グスタフ侯爵、手伝ってもらえますか?」
「何をすればいい?」
「まず、手術痕を切開し、壊死した細胞を切除。体内に残っているであろう異物を除去します。念入りに洗浄した後、姉さんが傷を塞ぎます」
感染源となっている物質を取り除かなければ、いくら抗生物質を投与しても効果は薄い。壊死した細胞も同じだ。
それらを取り除くには卓越した手術の腕が必要だ。なので宮廷医局長のグスタフに手伝ってもらおうというわけだ。
「わかった。それで治療は終わりかね?」
「手術はそこで終わりです。あとは残った細菌を減らし、血圧の乱高下を調節しながら体内の毒素を中和していきます」
「一筋縄ではいかないようだな」
グスタフはフィーナの説明を聞いて唸った。
通常、破傷風は短時間で症状が進行するほど予後が悪いとされている。
四十八時間以内ならば予後不良である。
しかしクラウスの場合、発症から既に一週間も経っており、適切な治療さえ受ければ、劇症化することなく完治は可能だ。
「では始めるぞ」
クラウスを集中治療室へと移し、麻酔を施す。
グスタフは手術痕を切開し、手慣れた手つきで壊死した細胞を切除していった。
おそろしく速い。
メスやハサミを器用に使い切除し、皮膚に近い部分はサージトロンのような魔道具で電気的に焼却していた。
どうやら機関に頼んだ特別製のようだ。その証拠に、機関の紋章が刻印されている。
「見つけたぞ……!」
グスタフが何かをピンセットで摘み、ガラス製のシャーレの上へと落とす。
覗き込むと、それは石の破片のように見えた。
「鏃の先だな。矢を抜いた際に折れていたのだろう」
見た目は単なる石の破片であるにも関わらず、体内に入ってしまえば恐ろしい病の感染源となることに、グスタフは恐怖した。
「ひとまず壊死した細胞の切除、異物の除去は終わった。次は洗浄だな」
グスタフは一息つくと、今度は生理食塩水で洗浄を始めた。
フィーナはこの間、ただ見ていただけではない。
持参してきた魔道具で血圧を測ったり、抗菌薬を投与したり、抗けいれん薬を処方したり、呼吸のコントロールをしていた。
ちなみにイーナは再生魔法の行使があるため同室しているが、デイジーには特に用はないので、医局の手伝いに回している。
「よし。あとは縫合だが……」
「あ、グスタフ侯爵。あとは姉さんに任せてもらえますか? それと今から起こることは他言無用でお願いします」
「……? まあ構わんが、出来るのかい?」
「お任せください」
グスタフは訝しげな目でイーナを見たが、イーナは気にせず一歩前へ出た。
イーナの手には針も糸もない。
グスタフはますます疑問に満ちた目をイーナに向けた。
しかし、次の瞬間グスタフの目が見開かれる。
差し出したイーナの手から光が溢れると、切開した創部が徐々に再生を始めたのである。
「こ、これは!?」
「再生魔法という特殊な魔法です。これを使える魔女はほとんどいません。国内では姉さんだけでしょう」
「神の御技のようだ……。むむ、確かにこれは広められるものではないな」
グスタフはごくりと息を呑んだ。
こんな魔法が広まってしまえば、自分たち医局の者はみんな路頭に迷ってしまう。
魔女の特異性は重々承知しているつもりだったが、まだ理解が浅いと言わざるを得ない。グスタフはそんな感想を持った。
「それにこの魔道具の数々は何だい?」
手術台に寝かされたクラウスの周りには、グスタフが見たこともない魔道具がいくつも置かれていた。
「つい最近、製薬工場で発明された魔道具です。手術道具の滅菌装置、人工呼吸機、血圧測定器、体温計に顕微鏡などですね」
「ううむ」
グスタフは腕を組んで唸った。
説明された物がどのように使われ、どのような効果があるのか、まるでわからなかったのだ。
それもそのはずで、微生物の発見自体がつい最近の出来事であり、グスタフはいち早くその情報を入手したとはいえ、せいぜい手術室にある物を清潔にする、くらいしか考えていなかったのだ。
これまで細菌という概念が無かったせいで、手術は極めて不衛生だった。
一昔前などは包丁のような刃物を患者の体に入れていた為、手術の成功率も非常に低かった。
手術室に入るということは乱暴に切られて死ぬことを覚悟しなければならないような状況であったのである。
先代メルクオール国王が即位した数年後、そのような環境が一変した。
グスタフの父が現行使われている手術道具を一新させたのだ。
包丁はメスへと変わり、ハサミは数種類を使い分けるようになった。
このことが男爵家であったグスタフ家を侯爵にまで階を上げた理由となっている。
そして、現在フィーナによって“衛生”、“細菌”といった概念が浸透し、手術はより安全なものへと変わってきている。
また、多種多様な魔道具を見る限り、今後は医療現場に魔女が必ず一人は必要になるだろう、とグスタフは予見した。
グスタフは父と同じく医学史の転換点に立っていた。
手術から二日後。
クラウスの容態は安定していた。
抗生物質の副作用が危ぶまれたが、それほど重篤な副作用は発生せず、極めて安定していた。
体内の毒素は治癒魔法の解毒作用によって中和し、破傷風の症状も薬でコントロールした。
「体の引きつりや張りもほとんどありません。一時は切断もあり得ると聞かされていましたが、治療を受けて本当に良かった」
クラウスはそう言って破顔した。
「まだ完治したわけじゃありませんから、油断せずに行きましょう」
「はい先生。しかし、病にかかるのも時には良いものです。イーナ先生の手料理が食べられますからね」
クラウスはそう言って目の前の食事を頬張り、笑みを零した。体が資本の騎士だからか、先程からもりもりと食べている。
イーナの手料理は非常に人気だった。
機関の食堂でイーナの手料理を食べたことがある騎士がおり、その人物の嘆願によって料理が振る舞われたのだが、それが他の騎士へと次々に波及し、ついには医局の者たちもイーナの料理を強請るようになっていた。
クラウス、そしてグスタフまでもその一人である。
「姉さんは厨房に篭りっぱなしになってしまいましたけどね」
「仕方ありませんよ。騎士も男所帯ですし、美味しく、かつ可愛らしい女の子が振る舞う料理なんて、そうそう食べられませんから」
そう自嘲するクラウスは、いつの間にか皿が空になっていたことに肩を落としていた。