180『原因不明の病』
大農園の計画が立案されたのは、それから三日後のことだった。
会議を開くと、魔術ギルドの各分野長、祖曽の血を継ぐレーナ、市場の責任者や宿場町の町長まで参加した。
一応、フィーナも参加していたが、終始隅っこの方で会議を眺めているだけであった。
草案自体は三日前にほとんど詰めており、デメトリアとスージーがその後も細部まで調整してくれたので、会議は反対意見の一つも出ず、円満に終わった。
今は休憩も兼ねて集まった面々で談笑中である。
「いやぁ〜胸が高まりますなぁ。ウィッチ・ニア町の野菜をレンツでも作れるようになるとは」
「若い働き手も募らないといけませんな! ますますこの町は栄えますぞ!」
「しかし、ウィッチ・ニア町から反発されないでしょうか?」
「問題ないでしょう。あの町には魔女謹製の品々を流していますし、結晶魔分の産出もあるのです。値段設定を間違わなければ大きな反発は少ないはずです。まあ、反発が起こる前に姉さんに交渉させますよ」
「ま、待て。私一人では荷が重いぞ。スージーもついてくるのだぞ」
町の有力者たちは大きな利益が舞い込む事に笑みを隠せないようだ。
レンツの魔女たちも同様だ。
野菜の味に首ったけの魔女たちは農園の開設に両手を上げて賛成した。
これだけの人間を虜にする、魅惑の野菜に、フィーナは少しばかり恐怖した。
そして会議の日から二ヶ月が経過した。
開墾は順調に進み、整備された畑には順序、種が撒かれている。
デメトリアは実りの秋に間に合うよう積極的に開墾へ参加している。
ウィッチ・ニア町からの反発は少ないながらもあったらしい。
しかし、桁違いに美味しい野菜は高級品として扱うことが合意され、一般の野菜の領域を脅かさないように値段を変えることで解決した。
これからはレンツとウィッチ・ニア町の一部の野菜は高品質と有名になるだろう。
この二ヶ月の間であった出来事として、騎士団の遠征終了がある。
例によってエリオの手紙で知らされたのだ。
ゴブリンの軍勢の規模は街一つに匹敵し、決して楽な討伐ではなかったが、メルクオール王国、サッツェ王国の両国ともに手痛い打撃は受けなかったそうだ。
なんでもブラウン副長が鬼神の如き働きをみせたらしく、数多くのゴブリンを葬ったらしい。
思わず手に力が入ったのか、エリオはその話を筆圧高めに書いていた。
手痛い打撃は受けなかったといっても多少の怪我人、死人は出たようで、今はその対応と、後始末に追われているそうだ。
(治療の催促はきてないみたい。原生生物関連にはとことん魔女を近づけたくないみたいだね)
魔女と同じように、原生生物が魔法を使うという事実は公にはしたくないのだろう。
魔女と密接な関わりがあるメルクオールだからこその判断とも言える。
これがレイマン王国だとどうなのか、とフィーナは考えたが、レイマン王国での魔女の立ち位置を思い出し、考えるのをやめた。
できれば、ゴブリンたちがどんな魔法を使ったのか知りたかったが、エリオも詳しく聞かされてないようで、知ることはできなかった。
とにかく、これで王国も安泰かな、とフィーナが安心しきっていたところに、一通の手紙が届いた。
封蝋は王族の物だった。
エリオからではなく、意外なことに国王自身からの手紙だった。
『原因不明の病が発生した。お前たちの手を借りたい。すぐに王都へ来てくれ』
手紙にはそれだけが書いてあり、フィーナは目を丸くして差出人の名前を二度見した。
いつもの国王らしからぬ、焦った筆跡に疑問が湧き、本人かどうか確認したのだ。
しかし差出人の名前は間違いなく国王本人で、字体も見覚えのあるものだった。
ただならぬ悪寒を感じ、フィーナはイーナとデイジーの元へと走った。
「姉さん、デイジー、王都に行くから準備して!」
フィーナが研究室に駆け込んで叫ぶと、イーナとデイジーは何事かと驚いていた。
「ど、どうしたの、急に?」
「王都で原因不明の病気が流行してるみたい」
フィーナの一言でイーナとデイジーは真面目な表情へと切り替え、荷物をまとめ始めた。
「感染症かな……?」
イーナが不安そうに尋ねる。
原因不明の病と聞き、イーナの脳裏に真っ先に過ぎったのは感染症のようだ。
感染症の恐ろしさはイーナとデイジーにも説明してある。恐怖を煽るように説明してやったので、トラウマを抱えたイーナが不安になるのも当然だった。
「わからない。違うかもしれないし、その可能性もあるよ」
フィーナは重々しく述べると、薬箱の中身を入念にチェックした。
薬箱の中には真新しい薬がいくつか入っている。
まだ研究途中の試作品の数々が納められており、これらは世に出回っていない出来立ての医薬品たちだ。
安全性は万全とは言い難いが、原因不明の病とやらの対処として背に腹は変えられない。
患者の数も未知数だ。
できるだけ大量に持っていったほうがいいだろう。
フィーナたちは荷物をまとめ終わると、リシアンサスに跨り、王都へと飛んだ。
王都近辺に着き、門へと向かう。
王都に入るには門を通過しなければならないのだが、フィーナたちが来たら優先的に通すよう命令が降りていたようで、通過待ちの行列を尻目に通ることができた。
門番に案内されるまま通過し、案内役が何度か交代するうちに王城へと辿り着いた。
「フィーナ様、陛下がお待ちです。こちらへ」
城門前で待っていたピボットは、一礼すると踵を返し、足早に先へと歩いて行った。
よほど急いでいるのだろう。
フィーナの脚では走らないとついていけないほどだ。
「陛下、お三方がこられました」
「うむ、入れ」
ピボットが執務室の扉を開けると、国王が腕を組んで待っていた。
険しい表情だ。眉間にシワが寄り切っている。
「よく来てくれたな」
「緊急事態みたいだったので文字通り飛んで来たんですけど、何があったんですか? 原因不明の病というのは?」
「うむ。このところ騎士団の者たちが相次いで体調不良を起こしてな。ゴブリン討伐遠征で負った傷が痛むのか、と考えたがどうもそうでないらしい」
ゴブリン討伐遠征で負傷した騎士は多い。
軽傷者、重傷者に関わらず、宮廷医局が処置しているらしい。
「毒の可能性では?」
「いや、食べ物も飲み物も周りと同じものを口にしていた。ゴブリン討伐遠征でも、毒を使われたとは聞いていない」
毒の可能性は低いそうだ。
国王もそう判断したからこそ原因不明の病、とフィーナに手紙を寄越したのだろう。
「医局長の報告によると、体調不良の症状は倦怠感や微熱といった軽いものだったそうだ。しかし、それから数日も経つと、体調不良を訴えていた騎士が狂ったような笑みを浮かべるようになったらしくてな。だが、本人は笑っていないと言う。この報告を受けた我は奇妙に思い、お前たちを呼んだのだ」
「………その騎士が体調不良を訴えたのはいつ頃ですか?」
「確か一週間前になるな」
「…わかりました。ピボットさん、患者の元へ案内してください」
「かしこまりました」
「何かわかったのか?」
「まだ何とも言えないですけど、予想はついています」
フィーナの頭の中ではいくつか可能性の有りそうな病名が浮かんでは消えていった。
「流石だな。我の騎士をよろしく頼む」
「わかりました。でも、貸し一つですよ?」
「フッ……わかっておる」
冗談のつもりだったが、国王は借りを作ったと判断したようだ。
不安に思っていた国王を和ませるつもりが、逆に負担になったかもしれない。
しかし、表情は和らいでいた。こんなやり取りでも、気を紛らわすことができたみたいだ。
フィーナたちは執務室を出ると、ピボットの案内で患者の元へと向かった。