178『稼働』
レイクラウド公爵との会合から二ヶ月。
製薬会社を模した研究所の建設が終わり、それと同時に様々な魔道具や機材の搬入も始まった。
レンツの魔道具分野や町の職人たち、そして王都の機関が腕によりをかけて作成した物の数々で、どれも一級品である。
現代の地球とまではいかなくても、研究所として国内では最高水準の設備になったはずだ。無論、機関やレンツの研究所より数段いい環境を整えている。
レイクラウド公爵からの人材派遣も好調だ。
既に数十人以上がこちらに送られており、今は研究所内の寮で新しい生活を迎えている。
実践的な経験を欲した貴族の子弟や、引退して領地に引っ込んでいた老獪な貴族、大商会から独立した若頭、騎士を代々輩出する名門武家の青年など、職も身分もバラバラな人材が集まっている。
フィーナは送られてきた全員をとりあえず雇った。
「薬の研究所なのに商人とか騎士見習いとか雇って大丈夫?」
これはイーナの言だ。
ろくに面接もせず、雇用を示す判をポンポンと押していくフィーナに、不安を抱えたのだ。
機関の設立時は、難関な試験と面接をしていたのに、今回はそのようにふるいにかけなかった事を、イーナは疑問に思っていた。
「今回作ったのは研究所だけじゃないよ。薬の開発、研究、生産、販売も行う『製薬会社』だよ。流通させるには商人の知識がいるし、敷地が広いから兵士による警備も欠かせない。法律に詳しい貴族もいるし、もちろん研究を担う魔女も必要。たぶん、少なくても数百人規模の大っきな会社になると思うよ」
「す、すごいね……。それだけたくさんの人を雇用するとなると、選り好みはできないよね」
「まあ、それもあるけど、今回はレイクラウド公爵の伝手で派遣してもらってるからね。不適切だからって追い返すこともできないよ。問題を起こすようなら容赦無く帰ってもらうけど、面子を大切にする人ばかりだから下手な行動は起こさないと思うんだ。出自もはっきりしてるし、教育も受けてるから丸っきり使えないなんてことはないしね」
今回派遣された人達はみんな幼い頃から教育をされてきたエリート達だ。
機関の時のように、希望者全員から絞ることなどせずとも、初めから優秀な人間ばかりだ。そのせいで多少気位の高い人も多いのだが、そこはレイクラウド公爵の家の名で制御してもらおう。
「私、そんなとこで働いてていいのかな……?」
イーナが萎縮しきったように呟く。
イーナには研究者のチーフとして働いてもらうつもりだ。その実力はあるし、料理人として遊ばせるわけにもいかない。だが、それも年内までだ。
「ずっとここで働くわけでもないから大丈夫だよ」
「え!? ここも人に任せるの?」
「幹部として名前は残すけど、運営自体は代理を立てるよ。書類仕事とか、でめちゃんの手伝いで充分だもん。姉さんも後輩を育てたら辞めていいよ。いつでも復帰できるようにはしとくけど」
「そうなんだ……。デイジーはどうするの?」
「デイジーは一応、私の秘書扱いになってるよ」
「デイジーが……秘書……?」
「形だけね」
デイジーが秘書なんてできるはずがないし、本人もやりたがらないだろう。
それでも、三人はいつも一緒に行動してきたし、これからもそれは変わらない。今更デイジーを除け者になんてできるわけもないので、創立者であるフィーナの秘書として名前だけ置いているのだ。
それからさらに数日後、エリオから手紙が届いた。
内容はレイクラウド公爵の事についてで、公爵が帰ってきたおかげで王都はだいぶ元の雰囲気、いやそれ以上に良い雰囲気へと移行しているらしい。
これはフィーナの製薬会社設立計画に文官系の貴族が関われたことが大きい。
騎士系の貴族を優遇していると思われていた王族が、設立にゴーサインを出したことで、不和が和らいだのだ。
ゴーサインを出したのはエリオで、王族としてはほとんど傍系なのだが、文官系の貴族たちは気にしていないようだ。
レイクラウド公爵が積極的に動いてくれたのも関係しているのだろう。
レイクラウド公爵本人はマリエッタとの再会を目指しているだけなのだが、周囲への影響を考えると、流石は公爵といったところか。
騎士系の貴族と文官系の貴族の不和が解消されれば、国王も喜ぶだろう。
フィーナは手紙に『国王にくれぐれもよろしく』と黒い笑みでしたため、魔鳥を使って届けさせた。
さらに一週間後、フィーナの製薬会社は【アルベカ製薬】と名付けられ、試験的に稼働した。
といっても、まだ研究材料や方向性も決まっていない状態だ。当然、販売すべき商品もない。
とりあえずフィーナは安価で採算の取れそうな美容品の製造を進めた。
売れるだろうが、フィーナが本当に売りたいのは薬剤だ。
それもハーブや調合では得られない、科学と魔法の粋を凝らした薬である。
「まずは抗生物質かな」
フィーナは最新鋭の機器が並んだ研究室の一角で、ぽつりと呟いた。
治癒魔法では治せない、感染症に使う薬を作るのがフィーナの目的だ。
地球での抗生物質といえば、世界初の発見となったペニシリンが有名だが、異世界であるこの世界の環境で、発端であるアオカビが見つかるかわからない。
もし似たような物が見つかったとしても、別物である可能性もある。
存在するかわからないアオカビを見つけるよりも、もっといい方法がある、とフィーナは考えていた。
「それであたしの【ムクロギ】が、そのコーセーなんちゃらになるの?」
フィーナと同じく、研究室の一角に集められた魔女の一人が首を傾げる。
この魔女はベティーといって、チリチリと癖付いた長い黒髪と、眠そうな目が特徴的な機関の錬金術分野に所属する一人である。
機関に所属する実力はあるが、研究している内容が周囲に良く思われておらず、錬金術分野のお荷物となっていたところを、フィーナが引き取った人物だ。
その内容というのが『骸木による汚水浄化』である。
ムクロギというのは、その名の通り、動物の死体を養分として成長する特殊な植物のことで、見た目の悪さと、死体を養分にするという歪さから、“不吉な花”として忌み嫌われている。
そのムクロギを研究しているベティーも、当然周りから不快に思われていたのだ。
しかし、フィーナは機関にいる頃から目を付けていた。
地球には無い、真新しく思える面白い研究だったのもあるが、内容にも興味を持っていたのだ。
今日ここに集まってもらった魔女は、そうやってフィーナが目をつけた魔女ばかりだ。
「ベティーの研究によると、ムクロギの根を不純物を取り除いた汚水に浸して一日置いた後、濾過すると真水になるらしいね。これって本当?」
「ほ、本当だよ。流石に自分で飲む勇気は無かったけど、臭いもないし、濁りも無かったの。ムクロギには浄化作用があるんだよ!」
ベティーは必死に自分の研究の正しさを説いた。
これまでも、ベティーは色々と後ろ指をさされ、肩身の狭い思いをしながら研究を続けていたのだろう。
拳を握って、懸命に力説する姿は、心にせまる気迫を感じさせた。
「そっか。じゃあ確かめてみよう」
「確かめる? まさか飲むつもり?」
「そんな真似しないよ。視るんだよ。この顕微鏡で」
フィーナは手慣れた仕草で顕微鏡を使い、ベティーが持ってきた汚水を観察した。
顕微鏡は町の眼鏡屋と魔道具分野の魔女が共同で作ってくれた。
倍率は二百倍程度と、あまり精密ではないが、単レンズの顕微鏡としてはかなり高い精度を誇る。
「うひゃ〜、すっごいね。これ、どこの水?」
「王都近郊にある森の沼地だけど……」
「あそこの沼地ね。魔分も濃いのによく行ったね。まあ、いっか。ベティーも見てみる?」
ベティーはおずおずと顕微鏡を覗き込む。
「ひっ! な、何!?」
ベティーは泣きそうになりながら顔を上げるも、しばらく経つとまた顕微鏡を覗き込んだ。
「う、動いてる……?」
ベティー以外の魔女もそわそわとしだし、交代して顕微鏡を覗き込んでいき、悲鳴を上げた。
「見てもらってわかる通り、汚水には通常見えないくらい小さい生物が住んでいるものなんだ。汚水を飲んでお腹を壊すのも、こういった小さい生物が体の中に入って悪さをするからなんだよ」
「知らなかった…」
「そこで、ムクロギにつけて濾過した水はどうなるかなんだけど……」
フィーナは真水になったとされる水を観察し、ニヤリと笑った。
「見せて! ……いない! 変な生き物が全然!」
ベティーは顔上げて、軽やかに微笑んだ。
ベティーの頬には先程の涙とは違う、温かい涙が流れていた。