175『レンツの事情』
「公爵様の甥が跡を継ぐことが決まっているそうです。公爵様が家を出たのも、既に跡継ぎが決まっているからなのかもしれまんね」
跡継ぎが決まっているからといって、無断で家を飛び出せば周囲が心配するはずだ。レイクラウド公爵はまだ現役の当主なのだから。
せめて正式に引退してから行動して欲しかったが、あのキャスリーンの父親なのだ。十年も我慢していただけで凄いと言える。
レイクラウド公爵が我慢強いのか、それともサンディとその母親が十年保たせたのか。はっきりとは分からないが、何となく後者であるような気がするフィーナであった。
サンディから話を聞いた後、フィーナはデメトリアの元へ向かっていた。
事が事なだけに、マリエッタに話すには村長代わりであるデメトリアの判断も必要だと考えたからだ。
あのダメトリアのことなので、役立つような助言は期待していない。だが側に仕えているであろうスージーには期待できる。デメトリアにはゴーサインを貰う、是か否かの判断をしてもらうだけだ。
一応、説明する人物も必要だろうと、フィーナはサンディを連れてデメトリアの執務室へと入った。
「……というわけなんです」
フィーナはデメトリアにエリオの手紙の内容と、マリエッタとレイクラウド公爵がかつて恋仲であったことを話し、レイクラウド公爵が十年の時を経てマリエッタの後を追ってきたことを話した。
「マリエッタから迷惑をかけるかもしれないと聞いていたが、まさか公爵とはな……」
デメトリアは貴族相手の揉め事に頭を抱えていた。
公爵というと国の中でも最上位クラスの貴族だ。その権力は国王も無視できないほど巨大であり、魔女と言えど、人の営みに準じるならば忌避できないのは明らかだ。デメトリアが頭を抱えるのもわかる。
「マリエッタさんから何か聞いてたんですか?」
「昔、キャスリーンを身籠って、村に帰ってきた時にな。もしかすると外のことで迷惑をかけるかもしれない、とな。随分昔のことだったから忘れていた」
どうやら、マリエッタはこうなる事を予想していたようだ。ただ確信は持てなかったらしい。
「しかし公爵か……。となると揉み消すのは難しいな。スージー、処理はできないか?」
「駄目ですよ。処理は明確に魔女を害する人にのみ適応されますから。ただ好きなだけで追っかけてきた人には使えません」
何やら揉み消しや処理などと物騒な単語が飛び交っている。フィーナは手で耳を塞ぎたい衝動に駆られた。
「ちょっと! 危ない話は私がいないところでしてください!」
フィーナが憤慨しながら言うと、デメトリアはふざけた表情で舌を出した。そこには反省の気持ちなど存在しない。見た目のせいもあって、子どもの悪戯のように見えるから尚更腹が立つ。
「ああ、すいません。フィーナに聞かせるような話ではなかったですね。こうやって話すことも多くなったので失念してました」
デメトリアと違ってスージーは申し訳なさそうに頭を下げた。
ちなみにサンディも後ろにいるのだが、まるでいないかのように扱われている。相変わらず影の薄さは並外れている。
「まあいいですけど……。それで、揉み消しとか処理ってどういう意味なんですか?」
「なんだ? やっぱり気になるのではないか。だめちゃんと呼ぶのをやめたら教えてもいいぞ」
デメトリアが鼻で「ふふん」と笑い、フィーナは額に青筋が浮かべた。
「姉さん、フィーナをからかうのはやめてください。大人気ないですよ。私から説明しますから、姉さんは黙っててください」
「何を言う! 村にとって大事なことなのだ。ギルドマスターである私から説明するのが筋というものだろう!」
「本音は?」
「フィーナをからかうのは楽しい!」
バチッ!
フィーナがステッキで雷魔法を打ち込むと、デメトリアは白目を剥いて突っ伏した。
髪が無造作に跳ね、デメトリアの体がビクビクと震える。
悲惨な光景だが、デメトリアは死んだわけではない。この雷魔法による気絶も、デメトリアは何度も味わっている。これはいつものやり取りなのだ。
「はぁ……姉さんも懲りませんね……。最近は『癖になる』とか言ってるんですよ。勘弁してほしいです」
「……次からは雷魔法以外にしときます」
フィーナは苦い顔をしてステッキを引っ込めた。
デメトリアは気絶してしまったが、ギルドマスターの業務はほとんどスージーがやっているようなものなので、全く支障はない。
元々、スージーに助言してもらうつもりだったので、デメトリアが白目を剥いていようといまいと問題はないのだ。
「揉み消しと処理について説明する前に、まずはこの村においての子作りについて説明しなければなりませんね。フィーナももう十一ですし、いつかは学ぶ時が来るので少々早いですが問題ないでしょう」
あまりにも直接的な表現だったので、フィーナは思わず面食らった。
「魔女の子は必ず魔女となる。これは知っていますね?」
フィーナはこくりと頷いた。
どういう理屈があってそうなっているかは知らないが、転生した直後、そんな話をイーナから聞いた覚えがある。
「才能の良し悪しはありますが、魔女の子は魔女。これは普遍的なものです。人が呼吸するのと同じようなものと思ってもらって結構です。ですが、魔女しか産まれないとなると、子孫の繁栄は望めません。なので魔女は外へと赴き、旅をして、行く先で惚れた男性に精を受けるのです。そして身籠れば村へと戻り、出産と子育てをします」
「あれ? それだと母さんはどうやって私と姉さんの二人を産めたんですか? 歳も離れてないし、村に戻っていたら二人目は授からないんじゃないですか?」
「村から遠い地にいる魔女は例外ですよ。旅は母体の負担になりますからね。その場合は外での出産が認められてます。あとは何らかの理由で動けない場合とかですね。レーナは国外を旅していたので、簡単に帰ることができなかったそうです」
「へぇ……」
古い慣習だそうだが、今まで従わなかった魔女はいないらしい。
正直、理解できないのだが、スージー曰く、身籠ればわかるのだとか。
「あれ? スージーさんって子どもがいるんですか?」
「いますよ。ケインヒルズに居を移してますけどね」
「へ〜、じゃあだめちゃんも?」
「姉さんは……残念ながら………」
スージーは言いにくそうに顔を背けた。
「モテなかったんですね」
「はい。私と一緒に旅していたんですが、何故か姉さんだけモテなくて……」
デメトリアの横に数倍しっかりしたスージーが立っていれば、皆スージーの方にアプローチするのは当然だ。
器量良し、物腰は柔らかく、理知的で優しい。惚れないほうが難しいというものだ。
スージーと一緒に旅をしていなければ、デメトリアにもチャンスはあったはずだが、そこに気付かないのがデメトリアらしい。
もしかすると、デメトリアは子を授かりたくて若返りの秘術を研究していたのかもしれない。少し可哀想にも思えたので、この事で弄るのはやめておこう。
「話が逸れましたね。揉み消しや処理というのは、村へと帰る魔女が相手の男性に無理やり引き止められた時に使用される強行手段みたいなものです。基本的に揉み消しは金銭で、処理は文字通りの意味です。まあ滅多にないんですけど」
「恐いですね」
「仕方ないんですよ。子どもを取り上げられたり、監禁されたりといった事案が起こったこともありますから」
人間の中で魔法を使えるのは魔女だけだ。そんな存在を手元に置いておきたいと思うのは、ちょっと強欲な人間からすると甘い蜜のようなものなのだろう。
レイクラウド公爵の場合、公爵という身分とただの追っかけという無害さが認められて、強行手段はとれないというわけだ。
「マリエッタさんに話した方がいいですか?」
「……そうですね。マリエッタに話し、レイクラウド公爵と一度会って話し合わなければ解決しそうにないですね」
「わかりました。マリエッタさんに会ってきます」
「お願いしますね。フィーナ」
「はい!」
フィーナは軽やかに答えると、よだれを垂らして気を失うデメトリアの頬を突いた後、マリエッタが在籍する魔道具分野の分野長室に向かった。