174『情熱家の愛』
「レイクラウド公爵が行方不明?」
フィーナは一枚の手紙を読みながら、驚きの声を上げた。
魔鳥の育成は順調、新研究所の建設も目前となっていた今日。
朝方から速達で送られてきた手紙にフィーナは驚愕し、舞い込んできそうなトラブルに頭を抱えた。
手紙の送り主はエリオだった。
なんでも、文官系の派閥のトップであるレイクラウド公爵が数日前から姿を消して行方知らずになっているらしい。
レイクラウド公爵と言えば、マリエッタただ一人を愛する情熱家で、キャスリーンの父親にあたる人だ。
国王がゴブリン討伐で不在の今、文官系トップが行方不明になるという事件は国内の政治という分野を掻き乱す事案になりかねない。
現に、エリオからの手紙の文面には焦りが感じられた。
国王は以前、騎士団に所属していたため、騎士系の貴族とは仲が良い。反対に文官系の貴族とは仲が悪い。王太子さえも騎士団に所属しているので、二世代に渡って大きな利権に絡めない文官系の貴族達は不満を抱えている。
騎士系の貴族が与党とすると、文官系の貴族が野党といった感じだろうか。
そんな背景がある中で、この騒動である。あまりにもタイミングが悪すぎる。
エリオによると、騎士系の貴族も、文官系の貴族もギスギスしているらしい。
『どうか対処法を教えて下さい』と必死な筆跡があった。エリオには悪いが、貴族間を取り持つような技術は知らない。寧ろ、こちらが教えて欲しいくらいだ。
国王が伝えてなければ、エリオはレイクラウド公爵に実の子がいることを知らないはずなので、フィーナに助言をもらうために手紙を送ってきたのだろう。
今はまだどちらの陣営も動いていないが、このままだと国王が帰ってくるまでに波乱が起きそうだ。
せめてレイクラウド公爵の所在と安否の確認が取ることができれば、両陣営の軋轢も少しは解消する。レイクラウド公爵がどこにいるかは大体予想がつく。
レイクラウド公爵の失踪と共に、邸宅から幾ばくかの金銭も消失したらしく、自分の意志で家を出たのではないかと推測されている。
フィーナもそれが正しいと考えていた。
レイクラウド公爵は齢三十を越えても独身を貫くくらいマリエッタにベタ惚れしている。
おそらく、マリエッタに会いに行ったのだろう。
となると、レイクラウド公爵は旅の道中で野垂れ死んでなければ、今頃かなり近場にいるはずだ。
「でもなんで今頃になって……」
当時、マリエッタが村へ帰るのを追わず、十年以上経ってから追いかけたのは何故なのだろうか。
諦められなかったのか、若い頃の気持ちがぶり返したのか。
「うーん」
「フィーナ、ご飯だよ〜。あれ、どうしたの? そんな格好で考え込んで」
フィーナが寝間着のまま考え込んでいると、イーナが部屋に入ってきた。朝食の用意を済ませ、フィーナを起こしに来たようだ。
いつも優しくイーナに起こされているフィーナだが、今日に限っては、けたたましい魔鳥の鳴き声によって起こされている。
「おはよー、姉さん」
「おはよう。手紙?」
「うん。エリオ殿下から」
イーナに手紙を手渡すと、フィーナはいそいそと着替えを始めた。
「レイクラウド公爵ってキャシーのお父さんだよね?」
「そう」
「行方不明ってどういうこと?」
「うーん、マリエッタさんかキャシーに会いに来たんじゃないかなあ」
「え、マズいんじゃない?」
「マズいね」
ただ好きな人に会いに来ただけに思えるが、周囲にはどう捉えられるかわからない。
レイクラウド公爵がマリエッタとキャスリーンを公爵家に迎えた場合、非常に面倒なことになる。あり得なくはない話なので、公爵家の人達や次期公爵候補も警戒しているだろう。
(警戒のあまり、キャスリーンを排除するなんてことにならないと良いけど……)
ともあれ、動くにしても、まずはレイクラウド公爵をよく知る人物に話を聞いてからのほうが良さそうだ。
レイクラウド公爵を知る人物。一人はマリエッタで、この騒動の中心にいる人。あとはサンディやキャスリーンの取り巻き達くらいだろうか。
マリエッタがレイクラウド公爵のことを現在どう思っているかわからないので、この騒動を耳にしたらどう行動するか予想できない。マリエッタはいつも優雅でふわふわした気質の持ち主だが、恋は盲目と言うし、レイクラウド公爵と駆け落ちなんてこともあるかもしれない。伝えるのは時期を見たほうが良いだろう。
となると、まずはサンディにレイクラウド公爵、及び公爵家の大体の様相を聞いといた方が良さそうだ。
サンディはマリエッタとキャスリーン、二人の護衛だし、キャスリーン命だ。キャスリーンの嫌がる手段は取らないだろう。
「というわけで話を聞きに来たよ」
「なるほど……ついに公爵様が動きましたか」
事情を説明すると、サンディは目を細めて唇を噛み締めた。
言動から察するに、サンディはこうなる事を予測していたようだ。
「何か知ってるの?」
「はい。母から聞いております。公爵様はマリエッタ様のことを心から愛しておられ、いつかまた共に暮らすことを夢見て、何度も『母子ともに王都へ来ないか』と手紙を送っていたそうです。しかし、マリエッタ様もお嬢様も、それを望んでいないため、お断りしているとも聞きました」
いくら公爵夫人になれると言っても、公爵本人以外からは疎まれること必至だ。友人も仕事も全て放り出せるほどの誘惑にはならなかったようだ。
レイクラウド公爵は情熱家らしいが、マリエッタはそういうわけでもなさそうだ。
案外、キャスリーンを産んでからはどうでも良くなったのかもしれない。
「しかし、公爵様はそれでも諦めませんでした。お嬢様に『護衛』と称した取り巻きを送り込み、自身とマリエッタ様の逢瀬の橋渡しにしようとしたのです」
「えっ!?」
いつもキャスリーンの後ろにくっついていた取り巻き達は、レイクラウド公爵の諜報員のような者だったらしい。
取り巻き達がレイクラウド公爵から送られてきたことは、前にサンディから聞いたので知っていたが、まさかそんな自分勝手な目的で送ってきたなんて信じられない。
てっきりマリエッタとキャスリーンの身を案じた行動だと思っていただけに、フィーナの中で、レイクラウド公爵の株は暴落していった。
「ご安心を。取り巻き達は既に指導済みで、虚偽の報告をさせていますから」
フィーナはその言葉を聞いて、ホッと息をつくと同時に「どんな指導をしたんだろう」と少しばかり気になった。
「しかし、単身で家を出るなんて、とうとう痺れを切らしたようですね。もしかすると公爵という身分さえ捨てるつもりなのかもしれません」
「うへぇ……」
聞いているだけで気が滅入る。愛が重いのだ。
この何とも言えない気持ちは心当たりがある。キャスリーンだ。
この重さは血筋なのか、とフィーナは苦笑いを浮かべた。
「レイクラウド公爵って未婚だよね? 身分を捨てたら後継者がいないんじゃない?」
「公爵様の甥が跡を継ぐことが決まっているそうです。公爵様が家を出たのも、跡継ぎが決まっているからなのかもしれませんね」