172『ある旅人の一幕 前編』
「ここがレンツか……。彼女の故郷……。ここに彼女が……」
私は『レンツの町』と書かれた門を通る。
「凄いな……」
彼女は「小さな村」と言っていたが、そんなことはない。
軒並み連ねる建築物も、人の数も、とても小さな村とは言い難い代物だ。
行き交う人の職種も、見たところ様々だ。冒険者、探索者、商人、兵士、そして魔女。他にも見ただけではわからない者も混じっている。
これだけの人混みに揉まれるというのは久しぶりなので、若干気後れしてしまう。
雑多な人混みを縫うように歩いていると、一際人だかりの多い十字路へと行き着いた。
どうやらここが町の中心地のようだ。たくさんの店が建ち並び、賑わいを見せている。飲食店もあるようで、香ばしい匂いが漂っている。
「大きいな……」
様々な店が建ち並ぶ一角に、ひたすらに大きな建物が建っていた。敷地もかなり広そうだ。
ひっきりなしに人が出入りしており、なんの店かは定かではない。ただ、少なくとも飲食店ではなさそうだ。
少し気になるが、今はそれ以上に腹が減っている。
「久しぶりに美味いものを食べたいな」
私は溢れ出る唾液で喉を鳴らすと、大きな建物から目を外し、一軒の飲食店へと入った。
昼過ぎだというのに店内は満席で、ガヤガヤと雑音を響かせている。どうにも座れそうにない。
「まいったな……」
別の店に入るか、と考えていると、テーブル席に一人で座っていた男がこちらに手招きした。
「相席でも構わないなら、そこ座っていいぜ」
「ありがたい。ご一緒させてもらおう」
以前は見知らぬ人と相伴などしなかったが、それもこの旅の間でだいぶ慣れた。
勢いのまま家を飛び出たのはいいものの、一人旅はかなり厳しかった。幸い、金はあったので、乗り合いの馬車に乗せてもらい、野営の時は金を払って食事を分けてもらったりと、旅の間、ひたすら人の世話になっていた。
飯はマズかったが、振り返ってみると人の温かみに触れられたような、いい旅だった気がする。
意外とどうにかなるものだ、と数日経つと思うようになっていたな。
「一人で食うのも味気なかったところだ。感謝はいらねーぜ」
男はニヤッと笑うと、女給を呼んで注文を始めた。
男はこの店に慣れているらしく、ささっと注文を済ませてしまう。
私は初めてというのもあり、決めかねていた。折角だからできるだけ美味いもので腹を膨らませたい。
しかし、なかなか決められず、痺れを切らして結局、男がおすすめだと言った、鶏肉のステーキを注文することにした。ついでに、男にエールをおごってやる。席を譲ってくれたお礼だ。
「悪い。仕事の休憩時間に来てんだ。酒は飲めねえ」
「そうだったのか。すまんな」
「いや、いい。代わりに腸詰めの盛り合わせを頼んでいいか? 好物なんだ」
「ああ」
私が頷くと、男は嬉しそうに腸詰めの盛り合わせを注文した。エールより高いが、ここでとやかく言うのは野暮だろう。
程なくして料理が運ばれてくる。
遠目からでも美味そうだと思わせるステーキだ。脂の乗った鶏肉が熱い鉄板に載せられてジリジリと音を立てている。
値段はそれほど高くないというのに、鉄板といい食器といい、恐ろしく贅沢だ。
テーブルの上に置かれると、香りと見た目によって、さらに食欲を駆り立てられた。
ナイフで肉を切って口に入れる。
「ハフッ……美味い!」
「だろう?」
日頃冷めた食事ばかりしていたせいだろうか。このステーキがとても美味しく感じる。つい笑みが溢れてしまうほどだ。
「この店はここいらで一番美味いからな。もうすぐ食べられなくなるのが残念でならねえ」
「ん……? 何故食べられなくなるのだ? こんなに繁盛しているのに潰れるのか?」
「違えよ。あんたも見ただろう? ここの近くのでっけえ建物。俺はそこの建築に関わってるんだ。もうすぐ完成だからな。そうなりゃお仕事もお終いってわけよ。よって、ここの美味い飯を食べる機会も減るってわけだ」
男はそう言って悲しげにソーセージを頬張った。
男が言う、でかい建物。確かにこの店に入る前に見た。てっきりこの町の領主が住む家か何かをだと思っていたが、まだ完成前だったのか。となると、あの建物はいったい何に使うのだろうか。
「あの建物か。あの大きさなんだから、さぞ建築に時間がかかっただろう?」
「いや、建て始めたのは一ヶ月前からだぜ? 魔女がととんと建てちまいやがったのさ。ま、おかげで俺は楽だったけどな」
「そ、その魔女の名前は!?」
「知らねえよ。というか、十人以上いたからな。覚えきれねえ。覚える前に工事が終わっちまったし」
「そ、そうか」
男は私の剣幕に驚いたのか、目を見開きながら答えた。
少々取り乱してしまったようだ。
もしかすると彼女がそこにいるのではないかと考えると、つい熱くなってしまった。
「魔女がどうかしたのか?」
「あ、いや。知り合いに魔女がいるんだ。もしかしたら知り合いだったのかも、とな」
「ふーん。まあこの町じゃ魔女の知り合いなんて珍しくもねえな。で、どんな人なんだ?」
「彼女は……マリーは美しい人だ。教養があって、優しく、気高い。かといって高慢ではなく、面倒見の良い女性だ」
「惚れた女か」
「……そうだ」
そう、彼女はどんな女性よりも素晴らしい。
彼女と離れて十年以上経つが、未だに忘れることができないでいる。あの可憐な横顔も、可愛らしい笑顔も。脳裏に焼き付いて離れないのだ。
「ま、いい女だな。何か目印になる特徴はあるか? こう見えても俺は結構この町に詳しいんだ。場合によっちゃあ教えてやれないこともないぜ」
「本当か!? ……だが、もう十年以上前に別れたきり会ってないんだ。外見の特徴はおそらく……もう……」
十年という歳月は長い。私もあの頃と比べると顔つきが変わった。恐らく彼女も変わっているだろう。
だがきっと美しい成長をしているに違いない。
「そうか……。そりゃちと厳しいな」
「あ、でも待ってくれ。確か彼女は魔道具分野に所属していたはずだ。これは特徴になるか?」
「うーん。十年以上前じゃなあ……。まあ、魔道具分野の魔女の仕入れ先くらいなら教えてやれるが……」
「是非教えてくれ!!」
願ってもない情報だ。
飛び出してきたはいいものの、彼女がレンツ出身だということ以外、何も情報が無かったのだ。ここで手がかりが掴めるならこの上ない話だ。
「魔道具分野の魔女は村から近い店に仕入れてる。魔女由来の高級魔道具店が仕入れ先だ。ここから森に向かって歩いていけばすぐだぜ」
「ありがとう!」
私は懐から金貨を取り出し、テーブルの上に置いた。
私の代金と男の代金を合わせても釣りが来る。その釣りが情報の対価だ。
男もそれがわかっているのか、満足そうに金貨を懐に入れた。
「じゃあな。想い人に逢えるといいな」
「ああ!」
私は軽く手を上げて別れを告げると、勇み足で店を後にした。
番外編の投稿を始めました。ドロドロデロデロのシリアス物です。