閑話『王太子バーネッティ』
「ん? エリオよ、これから勉強か?」
重そうな書物をいくつも抱えて城の廊下を歩いていたエリオに、我は話しかけた。
「父上。いえ、本日の勉学は既に終わっております。今からはガルディアの治安改善について、秘書や識者たちと会議を行う予定です」
エリオは我が面食らうほどハキハキと今後の予定を言ってみせた。
あの魔女たちとの旅がエリオにどういった影響を及ぼしたか、目の色を見ればすぐにわかる。あれは為政者の目だ。
我が儘ばかり言っていた息子であったが、凄まじい成長ぶりだ。やはり私の目に狂いはなかった。
エリオが視察から帰って来たときの顔つき、そして報告書の内容。幾度も訂正されたと思われる筆跡。各々から判断して、エリオにはガルディアに纏わる問題を任せられると我は判断した。
選抜した秘書からの反響も良い。今のエリオならば間違いなくガルディアの問題を片付けてくれるだろう。例え何年かかろうともだ。
「ふむ。頑張っているようだな。そちらのことは任せたぞ。報告だけはするようにな」
「はい。父上はいよいよ討伐作戦ですか?」
「うむ。三日後に出立する」
ゴブリン討伐作戦の足並みは揃ってきている。騎士たちの士気も上々だ。ゼノン騎士団長やブラウン副長からも態勢は万全との報告をもらっている。厳しい戦いになるだろうが、不安はない。我は必ずや勝利を掴めると確信している。
「時にエリオよ……。フィーナたちの教師役を解任してしまって悪かったな」
「え……あ、いえ、僕もガルディアをどうにかしたいと思っていたので、問題ありません」
「ふむ。想い人と離れ離れになってしまったのに問題ないのか?」
「ちょ……! 父上!」
「フフフ。冗談だ」
「やめてください……もう」
エリオは顔を赤くして不貞腐れた。
実に若いな。我もエリオくらいの年頃は初恋をしたものだ。だが初恋というものは大抵叶わん恋だ。そして失恋の甘酸っぱい辛さが、男の魅力と価値を上げるのだ。
「まあ、何も振られたわけでもあるまい。どうせあのお騒がせ魔女のことだ。じきにとんでもない事をしでかして、再び会うことになるだろう。それまでに成長し、見せつけてやれば良い」
「はあ……」
「ところでバーネッティを見なかったか?」
ここでエリオの表情が歪む。
王太子であるバーネッティを、エリオは苦手としている。バーネッティは少々特殊な性格、及び言動の癖があって、親である我でさえ時々何を言っているのかわからないときがある。
幼いエリオは兄の言っていることがあまり理解できず、つい敬遠してしまうのだ。
「……バーネッティ兄様ですか? わかりません。今日は見てませんよ」
「ふむ……そうか。わかった。もう行っていいぞ」
「はい。失礼します。父上」
うーむ。かなり真面目になってしまったな。
まったく、我が儘なエリオには呆れていたが、こう可愛げがないのもいかんともし難いな。可愛げが出るときはフィーナとのことをからかった時だけではないか。
まあ、王族としては喜ばしいことだ。だが、一人の父親として、エリオにはまだ巣立ってほしくない。この成長の早さもフィーナたちの教育による影響か。一体何を教えたのだ、あの腹黒少女は。
我がエリオの成長にもの寂しさを感じていると、探していたバーネッティが図書室から出てきた。
銀髪の長髪は我の真似であろうか?
いくら言ってもやめようとしない。顔は母親似なので、妻が我の髪型を真似ているように見えて、何とも言えない気持ちになる。
「おや、父上。廊下の真ん中で何を黄昏れているのです?」
「お主を探していたのだ。バーネッティ」
「おお、これは失礼しました。新刊が入ったと聞いて、いても立ってもいられず、昨夜から図書室に篭りきりでした」
「また本か…。バーネッティ、お主は第二騎士団の隊長であろう? 三日後には城を出るというのに、こんなところで油を売ってどうする? 準備はできているのか?」
「問題ありません! 全て順調、滞りなく進んでおります。予定が変わっても対応できるかと」
「まったく……はぁ」
ついため息を漏らしてしまう。
バーネッティは飄々としたところがあるし、少し浮世離れしたところがあるが、能力は抜群に秀でているのだ。何をやらせても唸るような出来にするのだが、如何せん、この軽い感じが台無しにしている。
だが、これでいて部下や家臣には好かれているというから驚きだ。
バーネッティはとにかく本が好きだ。珍しい本があると耳にすれば、あちらこちらに単身で向かうので、手綱を握るのも一苦労なのだ。
目当ての本が手に入らなければ、書店の前で泣き崩れることもしばしば……いや、よくある。
どうして我の息子はこんなにも特殊なのだ、と憂いたこともある。今はだいぶ落ち着いているが、未読の本が無くなれば、討伐作戦に支障をきたしていただろう。作戦のために、あらゆる本を集めておいて良かった、と心の底から思う。
「それで……? 何冊残っている?」
「十二冊です……ウッフッフゥ」
気持ち悪い笑い方をするなと叱りたくなる。大方、十二冊も未読の本がある、と喜んでいるのだろう。
しかし十二冊か……。
確か、三日前に五十冊は用意していたはずなのだが……。これでは作戦が始まる頃には未読の本がなくなるではないか。その状態で討伐作戦に参加だと……?
……できるはずがない。我は血走った目をして「本……本……」と呟くバーネッティなど、もう見たくないぞ。
「バーネッティ、本はそれくらいにしておけ。作戦に持っていく本がなくなってしまうぞ」
「な、な、な、なんと!? 私に本を読むなと仰るのですか!? 父上、それはあんまりです! 幽幽たるこの世界に、書物は一筋の光を指し示してくれたのです! 限られた字母に聡慧溢れでる史乗が脈々と語られ、計り知れない価値感の提供と、至福を与えてくれる書物が! 私には必要なのですぅ!」
「わ、わかった。すまなかった」
「ほっ……私、純然たる心が奸凶に染まるかと思いました。父上もどうですか? 本、面白いですよ?」
「いや、我は忙しい故、いい……」
「そうですか…。残念至極でございます」
そう言ってバーネッティは背を向けて歩いていった。
途中からバーネッティが何を言っているのか、我にはわからなかった。バーネッティは本の事となると、あのように暴走する悪癖がある。
こちらとしてはいつ暴走するかといつも戦々恐々としているのだが、あれは本を与えていればなんの問題もないのだ。とはいえ、暴走の度合いは計り知れないものがあるが。
「はぁ……我が国は大丈夫なのだろうか」
バーネッティの行動は王子であっても王太子てあっても変わることはなかった。恐らく、王になっても変わらないのだろう。
「せめて……他国とは穏便な外交をしてもらいたいものだ」
我は小さく頭を振り、憂いを振り払いながら、誰もいない廊下を進んだ。