167『ガルディア視察 8』
「ここがガルディアか……。五十年間閉ざされていた都なだけあって、古い様式の建物が多いな」
「私としては古くてもまだ住めることに驚きました」
エリオとブラウンは興味深げにあたりを見回した。
フィーナ達が前にここに来た時は寂寥たる廃墟の街に恐々としたものだが、今のガルディアは古き良き街並みというのだろうか、趣があって良い雰囲気になっている。人の手が入るだけでこんなに違うものなのか、とフィーナは感嘆した。
「しかし、視察と言ってもどこをどう見ればいいのだ?」
「それについてはちゃんと計画してますよ。エリオ殿下」
「ほう。ならば先生の計画通りに行動しよう。まずはどこだ?」
「ローデン男爵邸です」
ローデン男爵邸は貴族街がある中心街の端にある。中心街、特に前領主の邸宅跡は今も魔分が濃く、フィーナ達とベヒーモスとの戦闘の跡が色濃い為、今も資格あるもの以外は立ち入る事はできない。
「止まれ。ここから先は危険だ。女子供が入っていい場所ではない」
フィーナ達が中心街へと入ろうとすると、門番をしていた兵士から止められてしまった。
中心街自体、酷く風化しており、【魔妖樹】が無くなっても簡単に復興できるものではないらしく、安全の為に通行を制限しているようだ。
「ローデン男爵に会う約束はとってます」
フィーナは懐から勲章を出して兵士に見せた。
「……失礼しました。どうぞお通りください!」
流石は「国王のお墨付き」を意味する勲章である。魔女と言えども子供であるフィーナにはありがたい代物だ。この勲章をもらったのもガルディア解放が成った時だった。あの頃貰った勲章がこうやって、その発端となった地で活用できる。そう考えると感慨深いものがある。
「先生はローデン男爵と知り合いなのか?」
「ローデン男爵とは深い間柄ではありません。弟さんにはとても助けられましたけどね」
「ぬ? ローデン男爵に弟などおっただろうか……?」
エリオが知らないのも無理はない。ローデン男爵の弟、アイザックは公式には五十年以上前に死んだことになっている。しかし彼は死して尚、生ける屍である魔人として、この街で活動し続けた。五十年間、【魔妖樹】について探り、最後にフィーナ達へ調査した資料を託して、唯一残った執事と共に死者のいるべき場所へと旅立った。
ローデン男爵は弟との思い出のあるこの街に籍を移したらしく、縁のある以前の家で生活している。
「ようこそ。ローデン男爵家へ」
ローデン男爵家の邸宅は前に来ていた時と同じく、綺麗に整えられていた。あまりに周囲の風景とかけ離れているので、この家だけ別世界に建っているのでは、と勘違いしそうだ。
「ローデン男爵よ。息災のようだな」
「これは殿下! このような場所までよく来られましたな。遠かったでしょう? 今お茶を入れさせます」
「いや、いい。それよりローデン男爵には弟がいるらしいが、今はどうしているのだ? 会ってみたいのだが」
「弟は……いえ、ご案内しましょう」
ローデン男爵は控えめに言って腰を上げた。
ローデン男爵が案内してくれたのは邸宅の裏にある小さめの庭だった。中央に大きな木が立っており、木漏れ日が短く刈られた芝の上を明るく照らしている。
「これは……墓か? 多いな……」
裏庭には無数の墓が建てられていた。ほとんどの墓は木製で、二つの墓だけが石製だ。
「ここには私の弟であるアイザックとその妻マデリン、そしてたくさんの使用人達が埋葬されております。アイザックと執事のフィリップの亡骸は見つかりませんでしたが、マデリンの墓の側で二人の物と思われる遺品の数々を見つけました。なので、二人も既に亡くなっているものとして墓を建てたのです。せめてもう一度弟と会って話をしたかったのですが………ままならないものです」
ローデン男爵はアイザックの墓の上に積もった葉っぱを手で払い除け、愛おしそうに刻まれた名を撫でた。
「五十年前の別れを今でも夢に見ます。残るアイザックにせめて思い遣る一言でも言っていれば、といつも後悔しています」
ローデン男爵とアイザックはケンカ別れしたまま離れ離れになった。ローデン男爵は貴族の血筋のために王都へ。アイザックは愛する人のためにここへ残った。
ローデン男爵は今でもあの時の別れ方を後悔しているのだろう。
「解せぬな。当時ローデン男爵がとった行動は貴族として当然のものだったと聞く。家の血を残すことは大切なことだ。誰にも責められぬのに何故悔やむ必要があるのだ?」
「貴族としては……正しい行いだったと私も思ってます。しかし、老い先短いこの歳になると別の方法があったのではないか、とつい考えてしまうのですよ。いやはや歳はとりたくありませんな」
ローデン男爵は枯れ枝のような手を見つめながら呟いた。
「そういうものなのか……」
エリオは納得いかないようだったが、考え込まずに直ぐに顔を上げた。
フィーナ達は墓の一つ一つに花を添え、ローデン男爵と形式的な話をして邸宅を後にした。アイザックのことを話すと、ローデン男爵は殊の外喜んでいた。
次に視察を行う場所は街の市場だ。
店舗はまだ整っていないので、ほとんどが露店だ。たくさんの人が集まっており、そこかしこで威勢の良い声が聞こえてくる。市場の熱気に誘われて、つい財布の紐が緩んでしまいそうだ。
「串焼きの匂いがする!」
デイジーは身軽な動きで壁を登り、バルコニーの柵にぶら下がると一方向を指差した。まるで猿だ。見物人が増えるのでやめていただきたい。
デイジーを大人しくさせるためにも、この街最初の買い物は王都でも買ったことのある串焼きにすることにした。
「こういった店で食べ物を買うのは初めてだ。……うむ、少し硬いが味は悪くないな」
「エリオ殿下は王都のお祭りには参加しなかったんですか? 雰囲気は王都のお祭りによく似てますよ」
「そうなのか。僕は公務があったからな。店を回ることはできなかったのだ。しかし、この街の市場は良い物だな。毎日お祭り気分を味わえるではないか」
「殿下、良い事ばかりでもなさそうです。私の見たところ、スリや釣り銭の誤魔化しが跋扈しております」
そう言うブラウンの傍らにはエリオを狙ったと思われるスリが三人ほど地面に転がっていた。いいカモだと思われたのだろうが、残念ながら国内最高レベルの護衛がついているのだ。並大抵のスリでは盗みどころか近づくことさえできないだろう。ちなみにフィーナ達三人には最初の一人以外、手を出してこなかった。串焼きを買う駄賃を盗られそうになったデイジーが、勢い余ってスリの顎の骨を砕いてしまったからだろう。一応、イーナの再生魔法で治療してやったが、数日は飯も食べられないくらい痛むはずだ。
「楽しい雰囲気の裏は犯罪だらけとはな……。虚しいものだ」
「仕方ありませんよ、殿下。元々スラム出身の人が多いのですから。人身売買や殺しが行われていないだけまだマシです」
ブラウンはまた一人、スリの意識を奪いながら言った。
ブラウンの言うように重犯罪が起きている様子はないが、置き引きや万引き、スリに釣り銭のちょろまかし、路地裏では恐喝、といった軽犯罪が至るところで行われている。危なすぎて観光は難しそうだ。
「まったく……。歴史あるガルディアの住民として誇りはないのか? 嘆かわしいぞ」
「五十年の時が経っているので、ガルディアで産まれた人も今や老人しかいません。住民のほとんどは貧困層でしたし、ただ住む場所に困っていただけで、この街に愛着も何も最初からないのかもしれませんね」
「難しい問題なのだな……」
フィーナ達は市場を離れ、街の東門へとやって来た。ここが最後の視察対象だ。
東門付近は大店の宿屋や商店が多く、兵の駐屯所もあるためこの街では一番治安が良い。富裕層が多いのもこのあたりの特徴だ。このあたりにいる間は安心して過ごせそうだ。
ただ問題があるとすれば……。
「いい服着てんなあ。なあ、金貸してくれよ。銅貨一枚でいいからさ」
「ウチの子どもが病気で……薬を買うためにお金を恵んでくれませんか?」
「今日の飯を買う金すらないんだ。恵んでくれよ」
というように物乞いがすごく多い。
捕まえるわけにもいかないので、放ったらかしになっているようだ。無論フィーナ達のところにも寄ってきたが、ブラウンがひと睨みすると、蜘蛛の子をちらしたように後退った。
「ひどい有り様だな……」
「大店の商店や宿屋を利用する客を狙って物乞いが集まっているようですね。今ここでお金を渡しても、明日また同じように街路に立つのでしょうね」
フィーナは遠巻きにこちらを見つめる物乞い達に背を向け、足早に宿へと向かった。物乞い達の目が、まるでこちらを値踏みしているかのようで、フィーナは早くここから立ち去りたかった。
「根本的な解決にはならぬか……」
そう言ってエリオは懐に忍ばせた手を引っ込め、フィーナの後を追った。