165『ガルディア視察 6』
フィーナ達は早速病を患っているというカラクの息子夫婦の家へやってきていた。
フィーナ達が魔女であり、エリオの教育係と知ったカラクは、目玉が飛び出るくらい驚き、そして無礼であったことを謝罪した。
見た目で判断されるのはいつもの事なので、フィーナは特に気にしていないのだが、カラクは大量の冷や汗をかいて目を合わそうとしなくなってしまった。
貴族の従者だと思い込んでいた小娘が実は爵位持ち、それも教育役を任されるような実績のある魔女だったのだ。カラクが怯えてしまうのも無理はない。
カラクの息子夫婦はつい最近体調を崩し始めたばかりだという。
既に流行り病で死亡した人数は十を越え、日を追うごとに新たな患者が増えているらしい。
「初めは村の幼子からでした。元々体があまり強くない子で、寝込むこともしばしばありました。寝込んだと聞いたときは『ああ、またか』と思ったものです。しかし、二日後にはその子の祖父母が倒れ、見舞いに来た者が次々に体調を崩し、あれよあれよと言う間に村全体に病が流行りました。単なる悪風だと軽く見ていたことも仇となったのでしょう。回復は遅く、今では何人も死人が出ています。村は人々の呻き声で満ちております。魔女様、どうか村をお救い下さい」
カラクは息子夫婦の枕元でフィーナ達に頭を下げた。
「少し時間がかかるかもしれません。それに薬も道具も足りません。ですが精一杯やってみます」
フィーナはカラクの息子の額に触れながら言った。
酷い高熱だ。眠っているようだがつらそうに呼吸を乱している。
フィーナは持参していた薬箱を取り出し、一つ一つ薬の個数を確認していった。旧町にどれくらい患者がいるかわからないが、事前に用意した分だけでは足りないことはすぐにわかった。なのでイーナとデイジーには急遽王都へと戻ってもらい、薬の補給を頼んでいる。リシアンサスならば数時間もかからずに辿り着くだろう。往復の時間を考慮しても明日の朝には戻ってくるはずだ。
しかし、フィーナは内心かなり焦っていた。
推測の域を出ないが、カラクの話からすると流行り病の正体はインフルエンザだ。もしくはそれに似た異世界の病気だ。
前世ではインフルエンザと言えば冬に流行する病気の代表格だが、ワクチンや治療薬の活躍もあって、死に至る事例は少なかった。しかし、ここではワクチンも治療薬もない。フィーナでさえ感染の危険すらあるのだ。
インフルエンザはかつてパンデミックを起こしたほど感染力の強いウイルスが原因となる感染症で、第一次世界大戦の頃は数千万人も死亡した病原性の強い感染症として有名である。
対症療法は心得ているが、問題なのはフィーナが得意とする治癒魔法が使えないという点にあった。
治癒魔法には人体の免疫機能を高める働きがある。軽い風邪の初期症状ぐらいならばあっさりと治してしまうくらい優れたものなのだが、インフルエンザのようなウイルスには使えそうではなかった。レーナから教わった治癒魔法の使い方で、発熱、悪寒を感じる患者には使用してはならないとある。教えたレーナも詳しいことはわからないようで、昔から禁忌として代々教えられる事柄なのだそうだ。
なぜ禁忌となっているのか。フィーナはこれをサイトカインストームが起こるからと推測した。
サイトカインとは細胞死、細胞の増殖、分化、体外からの侵入物に対する防御反応の情報伝達を行うタンパク質だ。感染症にかかった場合、病原菌やウイルスに対抗するためにサイトカインが増殖の阻止、炎症の治癒を目的として免疫細胞である特殊なタンパク質を誘導する。
本来ならばこの免疫機能は恒常性を保つ為に体内で見張られるようにして調節されているのだが、治癒魔法はこの調節を一時的に解放し、サイトカインの異常分泌を引き起こす。これが重篤な感染症下ではサイトカインストームとなる。
通常、ちょっとした怪我や軽い病気などでは起こらないが、感染力の強い感染症、重い症状では起こる可能性が高い。
サイトカインストームが起こると多種の臓器に負担をかける他、場合によっては死亡することもある。そう考えるとアレルギー反応に似ているとも言える。
フィーナの先祖がそんなことまで知っていたとは思えないが、実際に起こってしまった為、禁忌として伝え遺したのだろう。
因みに、イーナの再生魔法でも効果は得られない。再生魔法は免疫力の強化作用は無いが、創傷の治癒に特化した魔法だ。病気には無力なのだ。
治癒魔法が使えないとなると薬での治療になるが、ウイルスを直接殺す抗ウイルス薬のような優れた薬はこの世界には無く、あるのは解熱鎮痛、咳止めなどに適応される漢方やハーブぐらいだ。これだけでは治癒に時間もかかるし、患者の体力次第になってしまう。まずはコレ異常広がらないよう感染原因を探り、そこを叩かねば。
フィーナは一度カラクの家へと戻り、エリオやブラウンを交えて話し合いをしていた。
「息子はどうですか?」
「薬は飲ませました。定期的に飲ませる事になりますが、症状はだいぶ改善するはずです。あとは水分と食事をきちんと取り、睡眠を十分にとることで回復するでしょう。ですが具合が良くなっても一週間は外に出さないようにしてください。それから看病するときはこれを口に着けて下さい。勿論、患者にも」
「おお、ありがとうございます。しかし、これは?」
「マスクと言う物です。患者の咳やくしゃみからの感染を防ぐ事ができます。これを着けても安心はしないでください。手洗いは必ずするように。それから―――」
そこでフィーナは大きく息を吸った。周囲には話が変わる合図のようにも見えた。
「カラクさん。この村に家畜はいますか?」
「家畜? ええ、少ないですが山羊と鶏がいます。それがどうかしましたか?」
「明日にでもその家畜を焼却処分してください。家畜から感染した可能性があります」
「な!? し、しかし……そうなると私達の生活が……」
カラクからしてみれば、新町に頼ることのできない現状で、支えとなっている家畜を処分されるのは痛いことなのだろう。だが、感染源を断たねば、どの道この村は立ち行かなくなる。
「これだけ大流行する病となると、免疫のない新しい病原体の可能性が高いです。本来家畜にしか感染しないはずの病が、人にも感染するようになると、このように大流行するんです。悩んでいる暇はありません」
「ううむ……」
フィーナが強く言うと、カラクは両腕を組んで押し黙ってしまった。
「カラクよ。何を迷う必要がある」
カラクが悩んでいると、エリオが横から口を挟んできた。
「家畜は大事な村の一員であるというお前達の気持ちもわかる。ならば家畜と一緒に村人全員が倒れるか? そんなの笑い話にもならぬ。大きくなってしまった瘤は痛みを伴うと言えども切り落とさねばならん。長はそれが出来るからこそ長足り得るのだ」
「それは……わかっております。疎まれようと身を切る思いで処分を決定する。それが長たる私の役目なのだと。ですが、長として家畜を処分した後の生活を考えなければならないのも事実です。この時期、人手も金も食料も何もかもが足りません。正直に言ってぎりぎりなのですよ、この村は」
カラクはため息混じりに言った。
村人の多くが病に倒れ、生産力が著しく落ちている上に、作物のとれない冬が迫っている。この上家畜を処分するとなると、たとえ流行り病を凌いだとしても、今度は食糧難が待っている。カラクが渋るのも当然だろう。だがエリオは柔らかな笑みを崩さなかった。
「食糧や金については心配するな。僕が補填する。人手は……カラク、お前が新町と交渉し、どうにかするのだ」
そう言ってエリオは懐から金貨の詰まった袋を取り出した。新町の宿で代金を払おうとしてフィーナに小突かれた、あの金だ。
「この使い方であっているだろう、先生?」
そう言ってはにかんだエリオの表情に、国王の面影を確かに感じた。