164『ガルディア視察 5』
カラクから話を聞くことにしたフィーナだが、寝間着姿で聞くわけにはいかないので魔女見習いのローブに着替えることにした。カラクとの会談場所は旧町にあるカラクの家で行うことにし、カラクが帰った後、フィーナは未だ心地良さそうに寝ているデイジーを起こしにかかった。
「デイジーが寝てる間に変なことになったねー」
フィーナが経緯を説明するのを聞くデイジーは欠伸をしながら呑気に言った。
「エリオ殿下には伝えずに、取り敢えず三人で話を聞いてこようと思ってるんだけど」
「いいと思うよ」
「さんせーい」
フィーナの提案に二人は賛成し、エリオが起きる前に、と急いで支度した。
宿屋の店主に伝言を頼んでおき、エリオやブラウンが起きてきた時に困惑しないよう配慮は忘れない。
数日ぶりの三人での行動に、少しだけ胸を躍らせながら宿屋を出ると、エリオが腕を組んで、あたかも「待っていた」というように朝露に濡れて立っていた。側にはブラウンが申し訳なさそうに控えている。
「遅いぞ、先生」
「え、エリオ殿下? おはようございます。何故外に居るんですか?」
「ブラウンと朝の訓練をしようと出てきたのだが、カラクという御仁に旧町へ来てくれと頼まれてな。余りにも必死だったので先生と一緒ならば、と承諾したのだ。王族として、困っている民を見捨てることはできないからな!」
そう言って自慢げに笑うエリオを、フィーナは深いため息をつきながら鬱々とした目で見た。こうなりそうだからエリオには伝えたくなかったのだ。
つい最近まで、エリオは早朝の訓練などしたことが無かったはずだ。それがどうして今日になって、とフィーナは逡巡して考えた。そして一秒もかからずに「ああ、なるほど」と手を打った。
「早朝の訓練………。エリオ殿下は初めての魔物退治にとても感化されたようですね」
「は、はっきりと言われると恥ずかしいが……。まあ、そうであるな」
つまりエリオは先日の魔物との戦いで実戦の厳しさを知ったので、それを忘れないうちに訓練を、ということなのだろう。その相手として駆り出されたのがブラウンというわけだ。
甘さが取れたのは喜ばしいのだが、間の悪いことに、押しかけてきたカラクと鉢合わせたようで、フィーナの時と同じように懇願されたようである。侍女だと思われているフィーナ達が難色を示していた頃に主人であるエリオの登場である。カラクとしてはこれ幸いと半ば無理矢理にあの鬼気迫る勢いでお願いをしたのだろう。
カラクが何故エリオの、いや、貴族の助力を求めているのかはわからない。新町と旧町で不穏な空気が流れる中での接触なので、その件にエリオを巻き込むつもりなのだろうか。場合によっては、エリオの身が危なくなり得る。それは王族にとっても、フィーナにとっても酷く都合が悪い。
しかし、ブラウンがついていながらどうしてこうなったのか。フィーナはジロリとブラウンを睨んだ。
「も、申し訳ない。訓練に使用する装備を用意している間に接触されたようで、介入する暇がなかったんだ」
顔を青くして答えるブラウンに、フィーナは諦めたように微笑みかけた。
ブラウンに当たっても仕方が無い。エリオとカラクが接触する可能性を深く考えなかったフィーナのせいでもある。ブラウンはエリオの一介の護衛であって、監督責任はフィーナ達にあるのだ。今はどうエリオを説得するかが問題だ。
「カラクという自称旧町の長が何を考えているのか不明です。エリオ殿下はブラウン副長と宿にいてください。私達だけで伺ってみますから」
「む……しかし、本当に困った様子だったのだ。僕としては一刻も早く助けてやりたい。それに、貴族としての力を必要としているようだった。王族の末席に身を置く僕ならば助けに適任ではないか」
フィーナは手を上げて降参した。エリオはもう何を言っても聞きそうにない。かくなる上は雷魔法で意識を奪って、エリオを旧町へ行かせないようにする方法があるが、カラクが本当にエリオの力を必要としているのかもしれないので、いつ目覚めるかわからない雷魔法を使うわけにもいかない。
「仕方ありませんね……。絶対勝手な行動はしないでくださいよ」
「うむ!」
「ブラウン副長、エリオ殿下の身を任せますね」
「心得た」
新町と旧町はそれほど離れていない。歩いて行ける距離だ。しかし、境界線と思われるような柵で遮っているので、交流は全くと言っていいほど無さそうに思えた。
旧町では古びた家屋がポツポツと建っているが、外に出ている人はおらず、まるでガルディアの廃墟を思い出すような閑散とした光景だった。ただ、家の中に人はいるようで、民家の側を通れば、時折刺すような視線を感じた。どうやらよそ者は嫌われるというのは本当らしい。
居心地の悪い中、フィーナ達はカラクの家へと辿り着いた。周囲の家々より少しだけ大きい家だが、かなり古い。庭も荒れ放題である。なんとなく不気味だ。イーナは薄気味の悪さにフィーナの後ろに隠れるようにして歩いていた。
ドンドンとドアを叩くと、軋むドアを開けてカラクが顔を出した。
「おお、エリオ様。来てくださってありがとうございます」
カラクは土下座せんばかりにエリオの足下で小さくなり、涙を流した。
困っているというのは本当のようだ。
「お、落ち着くのだ。まだ僕の力が役立つかわからないからな。何故にそんなに困っているのか教えてくれないか?」
カラクは鼻をすすりながら立ち上がり、理由を話し始めた。
「エリオ様も気づいているでしょう。新町と旧町の仲が悪いことを。初めは関係も良好でした。しかし、ある事を切っ掛けに、両者の関係は悪化しました」
「ある事?」
「ガルディアが解放され、多くの移民が当時、村だった此処へやって来たあの日から、こちらでは病が絶えないのです。それも流行病でして。皆、いつ自分が患うのかと怯えながら暮らしています」
「ふむ……」
「スラムから来た者達のせいだという声も当然の如く上がり、私は新町との交流の一切を絶ちました。住民達には言い聞かせてはいましたが、病を持ち込んだスラムの者達に暴力的になる住人もいました」
カラクが新町との交流を絶ったのは感染の拡大をさせない為でもあったのだろう。
現在の季節は寒さが厳しくなってきた晩秋、初冬といったところ。空気も乾燥し、この時期は特に病気が蔓延する。錬金術分野の魔女の稼ぎ時でもある。ガルディアが解放されたのは少し前のことだが、入植が終わり、地盤が出来始めたのは最近だ。今が最も交流の盛んな時期なので、それに合わせて病が流行ったと考えてもおかしくはない。
フィーナは流行りそうな病気を思い浮かべ、対処法を考えていた。
「医師はいなかったのか?」
「村に医術を嗜んでいた老婆がおりましたが、先の流行病で倒れてしまい、お亡くなりになられました……」
カラクは力なく項垂れた。
「ふむ……思ったより拙い状況のようであるな」
「はい……。ですから私らにはもうどうすることも出来ず、かと言って手前勝手に新町に助けを求めることも出来ず、途方に暮れていたところに貴族様が来ていると耳にしたのです。貴族様ならば、私らには及ばぬ深い知識があるだろうと考え、無礼ながら宿を訪問させてもらいました」
「なるほど……な。しかし、申し訳ないが僕には病に関する知識は無い」
エリオがそう言うと、カラクは絶望に染まった顔をした。見てるだけでこちらまで鬱屈としてしまうくらい辛い表情だ。
しかし、エリオは続けてこう言った。
「だが、安心せよ。僕の先生方は薬の専門家なのだ。先生方が必ず救ってくれる」
「おお、ありがとうございます!」
カラクは歓喜に満ち溢れた顔で泣いた。そして何故かブラウンの手を握り締めている。どうやらブラウンをエリオの先生だと思っているらしい。
フィーナは「それもそうか」と諦観気味に息を吐くのだった。
遅くなりました