163『ガルディア視察 4』
およそ数十匹に及ぶアーモンドアントの死骸を地中に埋め、馬車はガルディアに向けて再び進みだした。
あれだけ大量のアーモンドアントを埋めたら土壌が酸性に偏ってしまうのだが、特に作物を育てているわけでもない、ただの原っぱなので中和することも無く先を急いだ。そのための薬品を持ち合わせていないという理由もあった。ちなみにブラウンやエリオには説明していない。土壌が酸性云々を言ってもわからないだろうからだ。
王都からガルディアは箒なら一日、リシアンサスなら数時間で行ける距離である。馬車ならば三、四日といったところか。
日を跨ぐ上で問題になるのが寝床である。野営も考えたが、いつもフカフカベッドで寝ているエリオには荷が重かろうという事で、近くの村の宿屋に泊まることにした。
「ふむ。なかなか立派な村であるな。町と言っても良さそうではないか」
「ガルディアが解放されるまでは寂しい村だったと聞いております。ここまで発展したのは最近の事でしょう」
ブラウンが宿屋の脇に並んで停まっている馬車を見ながら言った。商人や定期便の馬車がズラリと並んでいる。この町は王都とガルディアの中継地になっているようだ。
ブラウンの言うように、町は大きくなり始めたばかりのようで、急ごしらえで整えたと言わんばかりの建物がいくつか建っている。前からある民家はどれも年期が入っており、大通りから離れた位置にポツポツと建っていた。
「新しく建てられた家や店等が並ぶこちら側は新町と呼ばれているそうです。前から住んでいた住人と、最近住み始めた住人とで諍いが起きているそうです」
「ほう。ブラウン、よく知っているな」
「この町の出身だった騎士が知り合いにいるもので。先日、里帰りから戻った時に聞きました」
「ふむ。諍いか……」
エリオは一言小さく零した。
跡継ぎではないにしても、エリオは歴としたこの国の王子である。諍いが起きているのを黙って見過ごすことはできないだろうとフィーナは考えていた。しかし、フィーナの予想とは裏腹に、エリオはこの件に関しては動かないようだった。
「ブラウンの話はよくわからなかったが、自分に当て嵌めて考えれば少しは理解できた。ここで動くのは僕の役目ではないのであろう?」
「……左様でございます。殿下」
ブラウンは眩しいものを見たかのように目を細め、嬉しそうに破顔した。
宿屋に入り、フィーナは受付へと向かう。馬車の停車場が併設しているほど大きな宿屋だ。内装は質素だが、他に宿屋は無いので値段はそれなりにしそうだ。
フィーナは受付で物書きをしていたおじさんに話しかけた。この宿屋の店主だろうか、大きく出た腹が特徴的だ。理想的な宿屋のおやじといった様相である。
「部屋空いてますか?」
「一人部屋以外なら空いてるよ」
「じゃあ三人部屋と二人部屋を一部屋ずつお願いします」
「あいよ。これが鍵だ。それと飯は出ないからな。近くの飯屋で食べてくれ。この辺りなら夜遅くまでやってるからな。まあ、大した味じゃないが、食えなくはないぞ。俺より旨いものを作るがな! ハハハ」
なかなかフランクな店主である。だが悪くない雰囲気だ。近場の飯屋とも軽口を言い合えるくらい仲がいいのだろう。
「あー、それから一つ言っておくが、旧町には行かないほうがいいぞ」
「どうして?」
「昔から住んでいた住人が多くいるんだが、俺達のことを嫌っていてな。今じゃよそ者ってだけで囲まれちまう有様だ。なんでも、俺達が王都のスラム出身なのが気に入らないらしい」
王都のスラム街と言っても危ない薬物が蔓延っていたり、柄の悪い連中が屯していたりといった側面は無い。元々、魔分で濁りきったガルディアの難民を一箇所に受け入れたため、まともな住居が建てられなかった。そのため粗末な家の集合地、スラムと呼ぶようになったのだ。貧富の差はあったが、前世に比べるとかなりマシだと思ったほどだ。
王都の人間でも、スラムの人間を悪し様に言うものは少ない。だがただの田舎村であったこの村では嫌われているらしい。
フィーナはどうもスラム出身という理由が嫌われた原因ではないような気がしてならなかった。
「ご忠告ありがとうございます。旧町には行かないでおきます」
「丁寧な嬢ちゃんだな! ウチの倅にも見習って欲しいよ」
フィーナはオホホとわざとらしく笑いながら代金を払おうとすると、フィーナを遮るようにしてエリオが立った。
突然のことに首を傾げるフィーナである。
「先生、ここは僕が支払う」
得意気に金貨の詰まった袋を見せ、ジャラジャラと揺さぶることで中身が大量であることを見せつけている。宿屋の店主の喉がゴクリとなった。
初めての魔物討伐で不甲斐ないところを見せてしまったので、金は持っているぞと背伸びしたい年頃のエリオである。
しかし、フィーナはローブの下から愛用のステッキを取り出すと、強かにエリオの頭を打った。宿屋の店主が酸っぱそうに口を尖らせるほどの強打である。コン、ではなく、ゴツンと打たれたエリオは脳天を押さえて、眼前をチラつく星を涙ながらに目にしていた。
「な、何をするのだ……」
「そのお金何ですか?」
「ち、父上が旅には入用だろうと持たせてくれたのだ。だから宿代を払おうと思って……」
エリオは頭を押さえながら震える声を絞り出した。フィーナの顔には明らかに険が入っている。エリオはなぜフィーナが怒っているのかわからず、困惑した表情を浮かべた。
「父君は宿代に使えと言いましたか? 言ってませんよね。そもそも、今回の旅費は貴方の父君から十二分に与えられてます。貴方が払う必要はありませんよ。それに、そのお金は貴方のお金じゃないでしょう?」
「た、確かに父上の金だが、僕に預けたのだから僕のものではないのか?」
「はあ……エリオ、違います。そのお金の出処は税金です。困窮した民の涙と汗が染み付いた重みのあるお金なんです。民が食費を削り、着るものを減らしてなんとか工面した税金を、貴方は宿代に使うのですか?」
「あ………」
「私は今回父君からもらった旅費も、できるだけ使わないようにと考えてました。それなのに貴方がそんな事でどうするんですか」
「………」
メルクオール王国は小国だが、物流と外交で他を圧倒する国だ。近年は平和そのものだが、それを維持する為にかかる金は膨大だ。なので王都の税金はそこそこ高い。狩猟大会や魔術大会で国庫が潤沢となり、国王があれだけ喜んだのも、その平和の維持に金がかかるからだ。もし金欠になりにでもしたら、とっくに何処かの国の属国となっているだろう。
エリオは王族だというのに、お金の重たさというものを知らない、とフィーナは憤慨した。もちろん王族という部分は高貴な身分などとぼかし気味に話した。
大層なこと言っているフィーナ達だが、自分達が金欠状態なので、お金のありがたみが前よりもわかるというだけである。要は貧乏性なのである。それと、金貨の詰まった袋を取り出したエリオのドヤ顔に腹がたったという理由もあった。
「なんだ、お嬢ちゃん達はお貴族様関係の人なのかい? こりゃあ生意気な口の聞き方しちまったかなあ。でもよ、言ってることは凄くよくわかるぜ。俺もこの腹だろ? よく食うんで食費が嵩むんだよ。だもんで税金を集めるのはそりゃ苦労したもんだ」
店主がハハハと豪快に腹を揺らしながら笑う。場を和ませるための一言だろうが、実際こちらに向けられていた周りの目線は減ったような気がする。
「涙と汗が染み付いた金か……。そんな事考えたこともなかったな」
エリオはすごすごと引き下がり、金貨の詰まった袋を大事そうに胸元へ仕舞い込んだ。
フィーナはそれを確認すると、宿屋の店主に向き直った。
「そういうわけでお金をあまり使いたくないんです。宿代負けてくれませんか?」
「………ハハハハハハ!! 面白え嬢ちゃんだな! わかったよ。二割負けてやる」
フィーナはその後も交渉し、結果的に三割まで負けさせた。
部屋を借りたフィーナ達は近くの飯屋へと向かい、遅めの夕食をとった。宿屋の店主は大した味じゃないと言っていたが、手が込んでいて美味しかった。店主は本当に大した味じゃないのか確かめに行く客を驚かせるつもりで言っているのだ、とフィーナは予想した。
宿に戻ったあとは特にやることも無いので、寝るだけだ。明日は朝から出発するので早めに寝ておくことにした。
次の日、フィーナ達はドアのノックで目を覚ました。
窓の外を見ると、まだ日も明けきっておらず、鳥の鳴き声すら聞こえないほどの早朝だった。
「おーい嬢ちゃんたち。お客だぜ」
フィーナはベッドからもぞもぞと動き出し、眠い目を擦りながら部屋のドアを少しだけ開け、隙間から覗き見た。イーナは起きているが、フィーナに任せるようだ。デイジーは目を覚ましてすらいない。
「すまねえな嬢ちゃん。断ったんだが、この爺さんが会わせろってしつこくってな」
「………誰ですか?」
フィーナの不信感は最初からピークである。そして無理矢理起こされたことで不機嫌にもなっていた。
「まずはこんな朝早くから訪ねて申し訳ない。儂は村の長をやっておるカラクと申す者。今日はお貴族様にご相談したき事がありまして……」
「ああ、旧町の……?」
「こちらではそう呼ぶらしいですな。ええ。旧町の長ということになりますな。それで相談の件なんですが……」
フィーナはぼうっとした頭を懸命に回した。しかし、考えるまでもなく答えは否である。昨日店主に旧町には関わるなと言われたばかりだ。店主はカラクが旧町の長だと聞いて、露骨に嫌そうな顔をし、そそくさとその場を離れた。
こんな朝っぱらからの訪問なんて、ろくな事になりそうにない。フィーナは警戒心をさらに上げた。
「嫌です」
「そこをなんとか……。あの貴族の坊っちゃんに話を通してくれませんか」
どうやらこのカラクとやらはフィーナのことをエリオの侍女か付き人か何かと思っているらしい。そういえばエリオにも最初は侍女だと思われていたな、とフィーナは自嘲気味に笑った。
「お願いします……。このままでは儂らは……」
あまりに切羽詰まった表情を浮かべるカラクにフィーナはたじろいだ。
こんな朝早くから押し掛けておいて、相手がフィーナでなかったらカラクはその場で斬られてもおかしくはない。カラクも田舎町の長だと言っても、それくらいわかっているはずだ。それなのに嘆願し、縋ってくる様子は鬼気迫っている。
何がカラクをそれほどまで動かすのか気になり、話を聞いてみることにした。