162『ガルディア視察 3』
「如何でしたかエリオ殿下。初めての実戦は」
「うむ……。これが先生達の見ている風景なのだと思うと、正直ゾッとする。騎士や魔女はいつもこんな経験をしているのだな……」
エリオは剣についたアーモンドアントの体液を布で拭いながら、神妙な面持ちで答えた。
ブラウンがエリオに渡した剣は業物だったようで、エリオが無茶苦茶に振り回しても刃こぼれ一つしていなかった。流石は副長の剣といったところか。
「ゴブリンはアーモンドアントなんかより余程手強いですよ。そうですよね? ブラウン副長?」
フィーナがブラウンに話を振ると、ブラウンは罰が悪そうに苦笑いした。
「はあ……。本当は機密事項なんだけどね。他言無用で頼むよ」
「はい。それはもちろん」
フィーナが黒い笑顔をキラキラと輝かせる。
「いい笑顔だね、全く……」
ブラウンは困ったように腕を組み、こめかみを指でトントンと叩いた。
「ゴブリンの怖いところは知性にあるんだ。魔物は武器や防具などは使わないが、ゴブリンは拙いながらも使ってくる。そして獲物や敵には容赦しない。狡猾に罠を張り巡らせ、じわりじわりと相手を追い詰めるんだ。さながら南方の異民族のようだよ。今回の討伐戦、言い方を変えれば“戦争”とも言える。こちらも苦戦を強いられるだろう」
ブラウンは真剣な表情で語った。
騎士団副長であるブラウンがここまで言うのだから、本当に今回の討伐戦は厳しい戦いになるのだろう。エリオが参加するのを、国王が頑として拒否したのにも頷ける。
ブラウンの言う南方の異民族というのは、南の国、ノータンシア連邦の中でも砂漠に居を構える民族のことで、騎馬での奇襲やゲリラ戦術を得意とする、武闘派民族である。昔、限られた水を巡って度々民族同士で紛争を繰り返していたところに、ベンノールという当時、南で最も大きな国が民族間の仲介を成し遂げ、紛争を終結させた。ベンノールを中心として多数の民族や小国が集まって出来た国が今のノータンシア連邦である。
連邦となって表向き一つとなったが、昔の軋轢は今も残っているらしく、大規模な戦闘まではいかないにしても、小規模な小競り合いは頻繁に起こっている。それが連邦中央政府の悩みの種であるそうだ。
この情報の出処は国王その人である。雑談混じりで外国のことを話してくるので、フィーナはいつの間にか諸外国の憂いどころをいくつか知るようになってしまっていた。話としては面白いので、フィーナが特に嫌がらずに聞くのも、原因の一つであった。
「ブラウンよ。怖くはないのか?」
話を聞いたエリオが目を細めながら問う。こういった仕草は国王に似て、威厳が感じられる。
「僕は弱いと言われるアーモンドアントでさえ怖かった。見よ……。今でも手が震えている」
エリオは震える手を握りしめるが、一向に震えが止まることは無い。エリオはぐっと唇をきつく結び、何かに耐えるように佇んだ。
ブラウンはエリオの問いに、少し間を開けて答えた。
「そうですね……。怖さはありました。私は戦争を経験したことがありません。父や祖父に伝え聞いた事はありますが、実際に体験すると感じることもまた違うでしょう。共に訓練した仲間たちが隣で血を流しながら倒れるような戦場になるでょう。私がいくら強くても、仲間たち全員を守ることはできません。一体何人が死ぬのか、私は誰を守れるのか、そう思うと討伐戦の訓練だと言うのに身が入りませんでした。……そのおかげでこうやって殿下のお側にいられるんですけどね」
ブラウンはサボっていたところをゼノン団長に見られ、暇ならばと、この護衛依頼を勧められたと言っていた。
「訓練をサボったのはそういう理由があったからか……」
「はい。しかし、魔物を倒し終えた後、やり遂げた表情をする殿下を見ていて気づいたことがあります」
「ぬ……?」
「私もかつては魔物を一体倒す毎に一喜一憂し、武勇を誇る先人を尊敬する若輩でした。いや、今も若輩のままです。私は自惚れていたのです。誰を守れるのか、何人が死ぬのか、そんなことは今考えても仕方がないことだったのです。そんなことを考えるくらいなら、殿下のように愚直なまでに剣を振ればいい。昔の、あの頃の様に。敵を誰よりも多く倒す。それが“惨断”レイノルド・ブラウンなのです。誰かを守るとか、仲間の死を気にするとか、私の役目ではないと気付けました。殿下、ありがとうございます」
「ぬ? ああ、頑張るが良いブラウンよ」
エリオはよく分からなかったようだ。
ブラウンの心構えは騎士としては良くないのかもしれない。しかし、周りからブラウンが求められているものは、敵を誰よりも多く倒す強き副長の姿であり、守る姿や憂う姿ではないのだ。
味方を守り、導く役目は団長であるゼノン団長が行う、それが本来の騎士団なのだ。
ゼノン団長もブラウンに気づかせるためにエリオの護衛依頼を勧めたのかもしれない。
「良いお話が聞けましたね、エリオ殿下。では馬車の中で少し待っていてください。私はアーモンドアントの死骸を処理してきますので」
この街道はガルディアと王都を繋ぐ唯一のもので、人通りも多い。そんな道の真ん中に魔物の死骸がわんさと転がっていれば皆が驚いてしまう。エリオに穴を掘らせていれば日が暮れてしまうので、土魔法でチョチョイと埋めてしまおう、と考えているフィーナだったが、それに待ったをかけたのはエリオだった。
「待ってくれ先生。魔物は使える素材が採れるのではなかったか? 確か授業ではそう教わったのだが」
「確かに魔物には普通の動物からは採れない素材が採れます。けど、アーモンドアントは例外です。それも教えたはずですよ? さてはエリオ殿下、授業中に居眠りしてましたね?」
「うっ……」
アーモンドアントを討伐した際、採れる素材というと酸があるのだが、農民達の小遣い稼ぎ程度の値段でしか売れないのだ。
畑を荒らすアーモンドアントは農民達の小遣い稼ぎにされるのが殆どなので、魔女や冒険者は積極的に売ろうとしない。値が下がってしまうからだ。騎士に至っては魔物の素材を売ることさえ禁じられている。こちらは規律を守る為と聞いている。
その為、狩猟大会では騎士が狩った魔物の素材を買う事ができたので、異例の措置だったのだ。従来より高い値段がついた素材もある。ただ、高い素材の大部分が国王によって買い占められたので、市場に流れたのは極僅かだったのだが。
国王はその素材を他国に数倍の値段で売りつけたらしい。ピボット曰く、しばらくの間、国王の顔はホクホク顔だったそうだ。国王が毎年恒例の行事にしようと言い出すのも無理はないな、と思うフィーナであった。
「帰ったら宿題を増やさないといけませんね」
「先生! 許してくれ! ちょっと微睡んだだけなのだ!」
「わかるよーエリオ。デイジーも修行の後は眠くなるもん。特にお昼時はね」
「し、師匠もこう言っているのだ。許してくれ、先生」
「知りません」
「先生〜!」
エリオの懇願虚しく、宿題の量は二倍となった。
しかし、珍しいフィーナのふくれっ面を見られて、ちょっと良かったと思うエリオであった。
ブラウンの話が思ったより長くなってしまいました。